悠々日記〜7人家族その日暮らし〜

5人の子育てに奮闘しながら悠々自適に暮らしているベンチャー社長の奮闘物語をゆるく発信します。

成功への道⑧〜理想の人生を生きる為に〜

ある日を境に自分の身体が思う様に動かせなくなり、ベッドから起き上がれなくなった。

そんな経験をした事があるだろうか?

突然という訳ではない。徐々に身体の調子が悪くなり、改善の兆しも見えないなと思っていたら、遂にその日は訪れたのだ。

 

ここで言う「成功」というのは単に世間一般でいう「大金持ち」になる事ではない。「自分の理想の人生を生きる」ことを一言で「成功」と位置付けた。そして勿論、自分自身「成功」している訳でも「大金持ち」な訳でもない。今まで歩んで来た道、これから進む目指すべき「成功」への道を自分の為に記録する事にしただけだ。そんなベンチャー社長の物語シリーズである。


物語シリーズ①はこちら
成功への道①

 成功への道①〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族その日暮らし〜

 

前回の物語シリーズはこちら
成功への道⑦

成功への道⑦〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族その日暮らし〜

 

スタードームが評判になったお陰で、イルミネーション事業をスタートする事ができた俺は、冬のイルミネーションに向けて各施設への提案書を作成し、忙しくしていた。

 

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前回、肝心のスタードームを載せていなかったのでここに載せておく。

あの低予算と短い納期でこのドームを完成できた事は俺の中で自信になったのは間違いない。

 

初年度から(確か)9施設を任せて貰える様になり、部材仕入れの為に借金(銀行借入はできないので、いわゆる消費者金融から)をして、約1カ月半名古屋の施工部隊と一緒にキャラバンで各地を回った。

当時は東京に住んでいたので、日曜夜に名古屋に移動し、早朝に集合して出発。

そんな感じでスタートしたイルミネーション事業だったが、宿泊はホテルの一室を用意して貰えるし、新しい施設ばかりで刺激も多く、大変だったけど楽しく仕事ができた。

まとまった売上も上がり、サラリーマン時代の年収以上の利益を得て少し有頂天になっていた気もする。

 

損して得取るとはこの事だな。

 

そう実感した。スタードームを利益度外視で完成できた事で次の仕事を沢山獲得できたのだから。

 

Give and Give and Give

 

やはりこれで間違いない。

最後にリターンが返ってくるのだ。

 

施工が終わり一段落して、俺は今後の事を考えていた。クライアントも施工部隊も名古屋だし、設計の仕事でも名古屋の案件が複数あり(当時名古屋マリオットホテルのレストラン改修工事の照明コンサルをしていた!)、相談した友人からも名古屋に戻ってきたら良いじゃないかと言われたのもあり名古屋に引っ越す事に決めたのだ。

東京生まれ東京育ちの妻も都心から離れた場所でのびのびと子育てしたいと言っていたので、快く名古屋行きを賛成してくれた。

 

名古屋に行くなら車を手に入れないと生活できない。そう思った俺はすぐに施工部隊の(中古車屋もしている)友人Oに車の手配をお願いした。

個人事業主(で独立したばかり)の俺はローンが組めないので、当然一括払いになる。

それまでの金欠生活からは想像できないが、まとまった利益が出たばかりなので強気である。

 

問題ない。買ってくれ。

 

オークション会場から電話で金額を聞いた俺は即答でそう答えた。

そうして、正月休みに物件を決めて、慌ただしく名古屋へ拠点を移すべく引越しした訳だが、数ヶ月もたたないうちにある噂が飛び込んできた。

 

俺が友人Oに手配して貰った車が、実は公式なオークションで購入したモノではなく、悪名高い先輩が走行距離を改ざんして売り飛ばそうとしていた車を下取りして俺に売りつけたらしいと。

 

いやいや、そんな筈はない。

俺とあいつは中学校からの付き合いだし、確かに金に汚い噂は聞いていたが、まさか俺に対してそんな騙す様な事をする訳がない。

一緒に事業も始めて、ちゃんとあいつにも利益を分けてる。間違っても俺にだけは…

 

だが、俺の事を心配して教えてくれた人はくだらない嘘をつく様な人ではない。裏を取るべく事実関係を知っていそうなヤツに会って話を聞いた…

 

完全なる黒。

Super Black

 

反吐が出るとはこの事だ。

あろうことか俺の妻の車も水没車だった事も判明したのだ。(当時、東北の津波で流された車が大量に安く市場に出回っていたらしい)

そして、他でもない俺に嘘をついて車を売りつけたヤローが、自分はJEEPの新車を購入していて、翌日納車だということが判明した。

 

明日、制裁を決行する。

 

協力者と関係者に連絡を取り、明日の段取りを伝えた…

 

 

当日、俺から直接Oに連絡し

「新車、納車されたらしいじゃん。ちょっと今から車見に会社行くわ」

と伝え、そいつの会社(ガレージ)に押しかけた。到着して暫くするとOは新車のJEEPに乗って、最大限格好付けて現れた。

最初他の奴らもいた事を不思議がっていたが、新車のお披露目に駆けつけてくれたと勘違いしたらしい。目出度ぇヤローだ。

 

事務所の中に連れて行き、一切合切をぶちまけた。全てバレていると悟り、みるみる顔面が蒼白になっていく。

車の元持主である悪名高い先輩まで合流した時に観念したらしく、Oは崩れ落ちた。

俺は最後まで手は出さなかった。

 

殴る気にもなれねぇ。

 

Oとは、お互い若くして父親になり、独立して自力で家族を養っていかなきゃならない者同士、一緒に成り上がろうと事業を始めた仲だった。そんな風に思ってたのは自分だけだったという事が分かり、単純に悲しかったんだ。

 

後から思えば、殴ってやった方がOは救われたのかもしれないと思ったが、考えても無駄だ。

Oには新車を売った金で俺の車を(迷惑料を上乗せした金額で)下取りさせてケジメをつけさせた。

 

Oには、今の自分がどれだけ腐ってしまったのか見直して、家族に感謝してやり直せと伝えたが、どこまで伝わったかは定かではない。

 

実はこの事件が発覚する数日前に俺には衝撃の事実が発覚していた。

 

なんと4人目の妊娠が発覚していたのだ。

 

最後にその事をOに伝えると、バツが悪そうに

「お、おめでとう。」

と言ってきたので、

「うるせぇ。お前はもっと家族を大事にしろ!」

と釘を刺して、その場を離れた。

 

 

そうしてOに制裁を与えた後、施工部隊の協力者と新たにイルミネーションの為の会社を設立する事にした。会社の設立準備、ロゴの作成、新しい会社の事務所と倉庫探し等々、昼夜問わず忙しくして、気晴らしする為に仕事に没頭していたかった。

 

そんな中、義理のお母さんが救急で搬送されたと連絡が入る。検査の結果、末期の子宮がんで気が付かない内に悪化し、遂には子宮が破裂してしまったのだということが判明した。

にも関わらず、搬送された病院では手術の予約が取れずに1ヶ月以上も先になってしまうというのだ。

 

そんな馬鹿なことがあるか?

 

末期がんで子宮が破裂してる患者を放置するなんて治療放棄じゃないか‼️

俺は親父に頼んで都内の大きい病院を紹介して貰い、すぐに手術をしてくれる様にお願いした。

車を飛ばして、義理のお母さんを新しい病院に搬送し、数日後無事に手術を終える事ができた。術後、義理のお父さんと一緒に執刀して頂いた先生から報告を受けた俺は、またもや衝撃を受ける。

 

切り出した臓器を目前に並べて、抗がん剤治療をしなければ50%以上の確率で患者は死にます。

 

そう淡々と執刀医から告げられたのだ。

元々抗がん剤治療は殆ど効果がない上に副作用が大き過ぎて、抗がん剤治療の副作用で亡くなる方の方が多いという事を義父と義母に伝えていたのだが、そんなやり方されたら誰だって抗がん剤治療を選ばざるを得ないじゃないか。

 

それでも別の治療法を進めたが、両方行うという事で決着した。決めたのはご本人だ。

 

誰も責任は取れない。

取れるのは自分だけだ。

だから、決めるのは自分。

 

これは何をするにしても同じこと。

起業するにしても、新事業を始めるにしても、責任を取れるのは決断した自分だけだ。

 

 

そして俺の身体にも当時から異変が起きていた。今まで味わった事のない疲労感と倦怠感、長距離運転ですらクタクタだった。体温は下がり、夏なのに一人長袖のパーカーを着る様になっていた。

 

そんな状態だったが、夏のイルミネーションの施工の時期だ。休む訳にはいかない。

新たに会社を立ち上げたばかりで最初の施工なんだ。施工部隊は元々のメンバーだから安心だが、施工プランは自分しか把握していない。

俺が指示を飛ばさなければ始まらないのだ。

 

夏の施工は施設が少ないから、何とかなるだろうと動かない身体に鞭を打って現場に出た。

だが、最後の施設の施工時、昼休憩の時に部屋のベッドで休んでいたら起き上がれなくなった。

 

身体が異様に重たいのだ。

指先の感覚も普通ではない。

重力が3倍になった感覚で、明らかにおかしい。

 

こうして俺は、この日を境に原因不明の体調不良の日々が続いていく事になる。

病名が判明したのはもう少し後になってからだった。

 

〜悠々自適に生きる〜

34才にして父親から勘当(絶縁)された理由

夢を追いかけるのは個人の自由だが、それを理解してもらうには今の世の中は余りに世知辛い。

 

先日、齢34歳にして父親からもれなく勘当(絶縁)を言い渡されました。

何が理由かって?

なんて事はない。ただ俺がいい歳こいて、子供五人もいるのに自分の夢ばかり追いかけて周りに迷惑ばかりかけてるから、ですな。

いや〜正にその通り。

反論の余地もありません。

 

そんな訳で事業運転資金と開発資金、合わせて1000万円を借り受ける代わりに、借金返済するまで親子の縁を切られる事になりました。

 

親父に言いたい事は山程ありますが、頭を下げてお金を借りた訳だから、親父の意見や愚痴に罵倒は全て受け入れなくてはいけない。

馬鹿息子が何を言っても親父は聞く耳を持たない性格なのは息子である俺が一番理解してるし。

とは言え、受け入れられない意見は聞かなかったので、物凄く怒ってましたが、仕方ないじゃないか。

俺は貴方の息子なんだから。

その代わり頑固親父から「頑固」の称号を頂きました。

ありがとうございます。

 

悔しくて涙も流した事もあったけど、最後はこんな形で背中を押してくれた親父に感謝してます。

甘えてしまってすいません。

必ず結果を残して、まとめて返済できる時にドヤ顔で挨拶しに行きます。

 

そんな状況の中、グループの傘下に入れば開発費も量産化の費用も、マーケティング費用も全て出してあげるよと甘いお誘いを受けていたわけだが、そのかわり持ち株比率は70:30(俺が30%)が条件だと。

 

それって完全に乗っ取りやん。

 

本当に色んな人が色んな事を言ってくる。何が正しい答えかなんて誰にも分からないから、自分が後悔しない選択を選ぶしかない。

 

 

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親父にはさっさと傘下に入って資金出して貰え、早く自分を安心させてくれと説得されましたが、それはやっぱりできなかった。

親父を安心させる為にこの事業やってる訳でもないし、今まで苦労してきた時間、費やしてきた資金、交渉の末、大金を払って手に入れた権利、支援してくれた方々、全てが報われないじゃないか。

 

お陰様で勘当(絶縁)された訳だが、実を言うとほっとしているんだ。

 

「お前にそんな事ができるのか」

「経営センスがない」

「社長なんて務まらないから辞めろ」

「これ以上周りに迷惑かけるな」

 

挙げればキリがないが、実の父親が息子に浴びせる言葉じゃねぇなぁと聴きながら思っていた。尊敬している父親からそんな事を言われると心が折れそうになる。

俺は自分の息子や娘にはこんな事を決して言わないとその時心に決めた。

 

どん底にいる時、周りは暗闇でしかない。

何も見えない中、進もうとしているこの道が正しいのかどうかもわからない。

誰も正解など知らないのだ。

そんな時でもこの道を進むと決断しなければならない。

 

今までやってきた事、

これからやろうとしている事、

それだけが道標になる。

 

ついてきてくれる仲間も出来た。

 

応援してくれる人達も増えた。

 

俺は俺を裏切らない。

 

自分自身を信じていられている間は、まだまだ走っていられる。

 

誰にも期待されてないぐらいが丁度いいのだ。

 

いかん。完全に厨二病みたいになってるwww

病んでる証拠だな。

 

それでも沢山の人達から期待して貰えて、本当に有難い。応援してくれたり、支援してくれる人達の殆どが経営者や独立してる人が多い。みんな資金調達の苦労や、売上を上げる苦労を知ってる人達ばかりだ。

給料やボーナスを貰える事の有難みを理解している人達だ。(成功している社長は次元が違うのだが)

何より自分自身がこの事業に期待しているし、むしろ確信してる。今進めている事が事業化できれば、社会に対するインパクトは計り知れないと思っている。

 

必ず形にしてやる。

諦めてたまるか。

 


高橋優「プライド」MV short ver.

 

最近、この曲をリピートしまくってる。

今の自分に歌詞が刺さり過ぎるwww

 

〜悠々自適に生きる〜

結婚して10年が経った。

結婚記念日というのは入籍した日なのか、式を挙げた日なのか、どっちなんだろうかと悩んだりした事はあるだろうか?

まぁどちらでも構わないんだが、我が家では何となく、式を挙げた日が結婚記念日になっている。とは言え、入籍日は妻の誕生日だから必然とも言えるが。(誕生日と結婚記念日を一緒に祝う事など許されないのだ)

 

あの日、自転車女を嫁に貰って早10年。

本当に一言では言い表せないぐらい密度の濃い時間を共に過ごしたなぁ。

 

成功への道②〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

自転車女との出会い編

あの日あの時あの場所で、出会わなければお互い全く違う人生を歩んでいた。

神さまのイタズラとしか思えない。

 

今読み返しても不思議だ。何故あの時、妻は自転車を運ぼうと思ったんだろうか。

余程の天然(馬鹿)じゃない限り、自宅にスペアキーがあるのにわざわざ自転車を運ぶ人はいないはずだ。どうかしてる。突き抜けてるんだ、きっと。

 

だがこの10年、そんな妻に何度も救われた。

 

普通の人ならとっくに愛想をつかされてもおかしくない程、迷惑をかけっぱなしだ。

断っておくが、女性問題ではない。(妻は俺の事を限りなく黒に近いグレーだと罵っているが、ただの勘違いだ。冤罪で黒だと言われても困る。正真正銘のグレーです)

 

この10年をざっと振り返ろう。

衝撃的な出会いから1年経たずしてデキ婚し、アメリカ帰りの新入社員一年生だった俺は晴れて父親になるも速攻で2人目がデキル。

リーマン時代は安月給に深夜残業続きだったが3人目妊娠の一報を受けて独立を決意。

独立後は無収入に借金地獄が続く。その後、義理のご両親から頂いたマンションを買い戻して貰って売却資金を持って名古屋に移住。

名古屋引越し後に4人目妊娠が発覚(荷造りしながら子作りしてましたと自虐ネタを披露するもウケず)と同時に仕事仲間の裏切りが発覚。

キッチリ制裁を与えて別の仲間と会社を興すもマンションのお金は事業資金に溶かす。

義理の母上の癌が発覚。

俺、ストレスで倒れる。(リーキーガット症候群という免疫不全の病気で小腸に穴が空く病気だ)

体重が2ヶ月で15kg激減し、闘病しながら仕事をするも一向に改善せず、そのまま4人目が出産。

妻は4人の育児をしながら俺の介護までする羽目に。

一年かかって(妻の献身的な食事療法のおかげで)体調が50%程度にまで回復し、仕事に復帰。

新規事業として飲料水業界に参入を決意。

商談の為に上京する当日早朝に一緒に会社を興した仲間の自宅にガサが入る。

仲間、大麻所持で逮捕。

新規事業契約締結後、面会に行く。からの保釈。

その後、義母が他界。

程なくして5人目の妊娠が発覚。

新規事業の契約元が別会社に事業売却するも、アメリカ本社と契約破棄の危機に。俺が別会社を引き継ぎ事業を継続する事に。

5人目が出産。

イルミネーション事業を任せていた社員が離散、大麻所持の仲間とも決別。

田舎に移住を決意。古民家を改修し、豊田市は足助の山奥に移住。

新規事業で引き継いだ会社に問題がある事が発覚した(資金調達ができない)ため、新しく別会社を設立。

移住先の古民家が事故物件だった事が発覚。

アメリカ本社が経営難に陥る。発注した商品が届かない事態に。

古民家裁判を提訴。

新会社で資金調達に成功。

兼ねてより交渉していた製造権を取得。

再び名古屋に移住。

国産モデル開発中←今ココ

 

 

細かいところは端折ったつもりだけど、それでも色々あり過ぎた。まさかの連続だった。

こんな事態を一番側で支えてくれて、時には弱気になる俺を励ましてくれた妻には、

感謝しかない。

本当に感謝の言葉に尽きる。果てしない苦労を共にしてきた妻には何でも打ち明けてきたし、悩みも相談してきた。一番の理解者であり、応援者でもあり、戦友でもある。5人の子育てはみんなが想像を絶する程に過酷なのだよ。無論、自分が家にいる時は家事も育児も手伝うが、仕事がら出張も多く(なんせ新会社は東京なのだ)、一人で5人の相手をしなければならない日も多い。

俺の両親は離婚していて、母親は祖母の介護で田舎に帰っており、親父は再婚相手と一緒に住んでいる。妻のお父さんは東京在住でお母さんは他界してしまった。周囲に頼れる人は俺の兄妹か友達だけだ。わがままなんて言えない。

 

自分の事業だって資金難の連続だ。新会社には自己資金を突っ込んでるにも関わらず給与はとってないし、名古屋の会社も売り上げが安定せずに毎年資金繰りに頭を悩ませている。資金繰りに困ってるときは自分の給与を未払いにする事も少なくない。個人と会社の借金を合わせると4000万円ぐらいだろうか。何億円も借金している先輩経営者から比べればなんて事はない数字だが、半分ぐらいは個人の借金だ。改修資金も入ってるが。

 

それでも、それでも妻は笑って応援してくれる。

「万が一失敗しても、絶対なんとかなるよ。」

 

そう言って背中を押してくれる。やはり、突き抜けてるな。楽天家で、ポジティブで、天然な妻に何度助けられたことか。

見返したい相手、恩返ししたい相手、安心させたい相手、沢山いるが、妻と子供たちに俺が目指してる景色を見せてやりたいと強く想っている。無論、俺自身も見てみたい。ずっと思い描いて、夢に見てきた景色を。

 

 

間も無く、この10年の集大成を見せられる時が訪れるかもしれない。まだまだ、不安要素もいくつもある。

だが、必ず俺はやり遂げるだろう。

今までと同じく、諦めさえしなければ。

 

 

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写真は10周年の記念日に食事したレストラン「マルコンソール」のもの。兄妹家族に子供たちを預けて数年ぶりに2人きりでディナーに行く事ができた。喜ぶ顔が見れて、こちらも嬉しくなる。(ついつい飲み過ぎた)

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いつも本当にありがとう。

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最後は隠れ家バーで妻を口説いた。

 

〜悠々自適に生きる〜 

成功への道⑦〜理想の人生を生きる為に〜

それがチャンスだとは誰も気付かない

自分がやりたい仕事をする為に、フリーランスから脱却する為には資本力が必要だと今更気付いた俺はどうすればこのジリ貧生活から脱却できるのだろうかと日々悶々と考えていた。

勿論フリーランスで稼いでいる人は沢山いるだろうし、その生活を否定している訳ではない。

ただ俺の場合、最速でハットトリックを決めて子供が3人に増え、妻は育児と家事に追われる日々なので当然専業主婦(むしろ積極的に俺も手伝わないと家が回らない)状態で収入が不安定なフリーランスの仕事ではこの先到底養っていけない事が明白だっただけなのだ。

 

ここで言う「成功」というのは単に世間一般でいう「大金持ち」になる事ではない。「自分の理想の人生を生きる」ことを一言で「成功」と位置付けた。そして勿論、自分自身「成功」している訳でも「大金持ち」な訳でもない。今まで歩んで来た道、これから進む目指すべき「成功」への道を自分の為に記録する事にしただけだ。そんな(今はまだ誰も知らない)ベンチャー社長の物語シリーズである。

物語シリーズ①はこちら
成功への道①
成功への道①〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

前回の物語シリーズはこちら
成功への道⑥

成功への道⑥〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 

実はリフォーム事業を始める前から自分(と我が家)の窮地を周りに相談していた甲斐もあっていくつか単発の仕事を頂いていた。

その1つがクリスマスディスプレイの仕事だ。

所謂デザイナーの仕事をしているので、インテリアや照明以外のデザインもできるでしょ?みたいなノリで仕事を頂いたのだ。

簡単に言うとホテルロビーのクリスマスツリーの飾り付けだが、リフォームの雑工事までこなす俺からすれば楽勝だ。

ただやった事もないので仕入れ先や装飾品の市場調査から始めなければならない。

google楽天等、先ずはネットで情報収集するもクソみたいな装飾品しかない。

次に浅草橋の問屋さんを物色しに行くも昔から殆どデザインも変わってなくネットで売られている様な物しかない。だが、色々と調べて輸入品を扱っている業者や品揃えの良い問屋さんを見つけた。だが、全く予算と合わない。

仕方ない、予算内で利益を出す為に普通の装飾品を使うか…

 

とは、ならない。

こんな俺に頼んでくれた方に喜んで貰いたい、ホテルの宿泊客やスタッフに喜んで貰える様なクリスマスツリーにしたい。

どうせなら自分が楽しんで、やるからにはやりきりたい。

そういう性分なのだ。

 

薄利になった分、クリスマスツリーはとても好評で、来年も仕事を貰える事になった。さらに、イルミネーションのLED化も検討しているので見積提案して欲しいとの事。

喜んで!

 

という訳で後日、LEDイルミネーションの見積提案をすると責任者の方が驚いて電話してきた。

「この金額は仕入額じゃないよね?ちゃんと利益取ってる?」

「一応、薄利ですが。他社より安くないと提案の意味がないと思いまして。」

と答えると、どことは言えないが、他社の半額以下だと言われた。どうやらこの業界はニッチなので、価格競争があまりないらしい。

確かに浅草橋のイルミネーションも高いもんなぁと思っていた。俺は色々調べて業者専用のネットで仕入れるサイトから金額設定していたので、圧倒的に安かったのだ。

おかげで提案が通り、施工まで対応できないかと依頼を受け、施工部隊編成を要請した名古屋の旧友と一緒にLED化を検討していたホテルに向かった。

忘れもしない。初めてホテルのイルミネーションをする事になった初島へ。

 

本部の人と一緒に現地入りすると、現場の担当者が迎えてくれた。こちらの年齢の低さに少し違和感を持たれた印象を受けたが気にしない。話を聞くとその担当者が、(一人で!)このホテルの広大な庭のイルミネーションの取付と管理をしているそうだ。

驚愕した。

 

昨年の施工写真を見せて貰ったが、とても一人で施工した様には見えない。約1ヶ月かかるそうな。どうやら、その方もプライドを持って取り組んでいるみたいだ。だからLED化の申請を本部に出したのだ。

 

これは本気で取り組まないとヤバイ。:(;゙゚'ω゚'):

 

フェリーに乗って初島に来たので、半ば観光気分で自分が来ている事に気が付いた。俺たちはプロの業者としてここに来ている。当然担当の方より遥かに高いクオリティが求められているのだ。

 

やったこと無いんですけどねっ!

 

甘い考えが吹き飛び、ただイルミネーションを取り付けるだけじゃダメだと思った俺は色々なアイデアを出した。そのうち、

 

「この水景の真ん中の島にイルミネーションのドームを作るのは如何でしょうか?」

 

なんて提案をしていた。

「きっと水景に映り込んで、まるで惑星の様に綺麗に見えると思いますよ。」

 

我ながら驚く程に冗舌だ。

屋外なので台風対策が必要になる為に強度の問題と、島なので重機がない為に施工の問題、更に予算の問題があると協議上判明した。

 

「ですが、検討する価値はあります。」

 

半ば押し切る形で現地を後にした。

やるしかない。この案しかないと思っていた。

 

できるかできないかではない。

やるかやらないか、なのだ。

 

早速、東京に戻りドーム制作について調査を開始した。ドームといえば通称「フラードーム」が一般的で最適な事が分かった。三角形構造のアレだ。

 

 

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こんなにでかいドームも建設可能。

 

だが、今からフレームを特注する時間も予算もない。その後数日かけて辿り着いたのが「スタードーム」だった。施工事例としては竹で作った小さいドームしかなかったが、部材を調達できれば施工できる筈だ。

 

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だが、低予算かつ納期まで殆ど時間がなく対応して貰える業者さんは見つからなかった。

本来は金物で製作する必要があるのだが、こうなったらホームセンターで手に入る部材を使うしかないと探し回った。

強度があり、耐食性にも優れて、しなる部材。

塩ビはどうだろうと探したが、強度と寸法が合う部材は当然扱ってない。

名古屋の施工部隊にも材料探しを手伝って貰っていた時に知り合いのものづくり工場をされている先輩から救いの手が差し伸べられたと連絡を受けた。すぐに名古屋に行って打ち合わせし、納期はギリギリだが、フラットバーと特殊な透明な塩ビパイプで施工しようという事になった。

スタードームの図面と3Dパースを持参し、打ち合わせした時に「構造的に六角形の方が良いのだけど、五角形じゃないとダメですか?」

と聞かれ

 

「ダメです。五角形じゃないとスタードームになりませんので。」

 

とドヤ顔で即答した。

なんて生意気な野郎なんだと思われたに違いない。だが、こだわった甲斐もあり想像通りのスタードームを完成する事ができた。

 

 

施工時は10個ぐらい問題が発生したが、施工まで付いて来て頂いた製作担当者と施工部隊チームの対応力のおかげで完成まで辿り着いた。

施工メンバーの誰もが完成できないと心配していたらしいが、俺は微塵も思っていなかった。

 

単純にやるしかない。

そんな心境だったので心配や不安等感じている暇がなかったのだと思う。

 

そしてまたしても、このスタードームを製作した事で殆ど利益は出なかった。

だが、その年のホテル全施設で配布される会報誌の表紙をスタードームが飾る事になり、そのおかげで他の施設のイルミネーションの仕事も任せて貰える様になったのだ。

こうしてイルミネーション事業が始まった。

 

多くの駆け出しのクリエイターやデザイナーは、自分の作品をつくる為に寝る時間を削り、利益度外視でより良い作品創りを心掛けていると思うし、それと同じ事なんだが、それができるか否か。仕事がなく、収入も殆どなく、借金してまで挑んだ仕事でも、お客様に喜んで頂ける作品にする為にたまたま利益が出なくたって、また次の機会を貰えたらその時は少し利益が出る様に工夫しようと思えるかどうか。

こんなやり方はプロの仕事とはいえないと思う人もいるかもしれない。

だが、独立したて、駆け出しの新人はそれぐらいやらないと仕事は貰えないと思うし、そもそも新人なのだからセミプロなのだ。

Give and Give and Give

しかないと思う。

誰もやりたがらない事、やらない事、

そこにチャンスが隠れてる。

だが、殆どの人はそれがチャンスだとは気付かないんだ。

 

人生は決断の連続だ - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

周りに困っている人や誰かに頼まれた事、友人の会社や事業にとってプラスになりそうな事は、どんなに自分の事業が上手くいっていなくても、どんなに忙しくても、積極的に、全力で助けてあげなければならないし、取り組まなければならない。

それが成功の秘訣なんじゃないかと最近思い始めた。自分が求めている事や困っている事に誰かの助けを求めるよりも、誰かが困っている事や求めているものを自分ができる範囲で積極的にお手伝いした方が自分も動き易いし、最終的に返ってくる事が多い。

 

〜悠々自適に生きる〜

成功への道⑥〜理想の人生を生きる為に〜

 生きる為に何でもやる覚悟

周囲の制止も聞かず無計画に独立した挙句、プロジェクトが中止になり、新たな案件も取る事ができず、どん底の状況で3人目が産まれた俺は途方に暮れていた。

自分の仕事(プレゼン資料作成の下請け等)をこなしながら知り合いの設計事務所のバイトを掛け持ちしていたが、明らかに収入が足りない。

 どうすればこのどうしようもない状況を変えられるのだろうか。毎日オムツを替えながら自問自答する日々が続く。

 

俺はオムツを替えてる場合じゃないんだ!と。

 

ここで言う「成功」というのは単に世間一般でいう「大金持ち」になる事ではない。「自分の理想の人生を生きる」ことを一言で「成功」と位置付けた。そして勿論、自分自身「成功」している訳でも「大金持ち」な訳でもない。今まで歩んで来た道、これから進む目指すべき「成功」への道を自分の為に記録する事にしただけだ。そんな(今はまだ誰も知らない)ベンチャー社長の物語シリーズである。

 

物語シリーズ①はこちら
成功への道①
成功への道①〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

前回の物語シリーズはこちら
成功への道⑤

成功への道⑤〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 

独身時代には味わった事のない重責と焦燥感。

俺は三児の父親なのだ。家族を養わなければならないという最低限かつ最優先の責務がある。

だが、一人で悩んでいても答えはでない。

 何ができるかわからない、設計の営業なんて特殊過ぎて誰もよく知らないし、自分でもどうすれば仕事が取れるのかわからなかった。

 

動かなければ何も変わらない。
自ら変える為に行動しなければ。

よし、色んな人に悩みを相談しよう!

そして何でも構わないから仕事を振ってもらおう!

 

そう思って色んな人に昼夜問わず相談しまくった。自分一人で何とかできないなら周りに助けを求めるしかない。そんな事も分からず一人で悩んでいたのだ。そして、大事なのは直接会いに行く事だと気付いた。(書いていて今の自分がお世話になった方々に顔を出せていない事に気付いて反省している)

顔を合わせる事、同じ時間と空間を共有する事は大袈裟ではなく、電話やメールでは伝わらないサムシングがあると思う。

格好付けてる場合でも見栄を張ってる場合でもないのだ。恥を忍んで周りに相談しまくった。

 

独立したんですけど、全然上手くいってないんです。しかも三人目産まれて超大変なんですって。

 

 だからと言ってすぐにどうにかなるもんでもないし、すぐ仕事を振って貰える訳じゃない。

でも、新しい人を紹介して貰ったり、気にかけてくれる人が増えた。

そんなタイミングで前から気にかけてくれていた前の会社の上司と独立に反対していた親父から(見るに見兼ねて)紹介して貰い、二つの案件を頂いた。

 

一つは大阪マリオット都ホテルの照明デザイン設計。この案件は前の会社を辞める前に実施図面を自分もまとめた事がある元々担当だった案件だ。アメリカの照明デザインのボスであるバブ・シャンカー氏に依頼した所、予算が合わないので、俺が間に調整役で入って欲しいとの事。

 

勿論ですっ‼️

 

マジで電話で叫んだ記憶がある。

有難い。阿倍野ハルカスの上層階にオープンした複合ホテルで世間からも注目されていた。施主は近鉄だし、JVの設計会社は日本設計だ。辞めて改めて思い知る、前の会社の有り難みと凄さ。しかも自分の担当案件をかつての照明デザインのボスと一緒に携われるなんて、この上なく嬉しかった。

 

もう一つは表参道にオープンしたショップの内装デザイン(勿論、照明デザインも含む)。独立して初めて一からデザインした案件なので思い入れも強い。だが、残念ながら2年前に閉店となってしまった。

 

この2つの案件に集中する為、設計事務所のバイトは辞めた。元々応援してくれていたので、喜んで背中を押してくれたのが本当に有難い。

 

 

それでも食べていけないのがこの世界。

 

フリーランスのデザイナーや少人数のアトリエ系設計事務所で生計を立てている人たちは本当に凄いと思うし尊敬する。自分の作品をつくる(設計する)事がどれほど大変な事か(それも継続的に)。

大口のクライアントか仕事を振って貰えるパートナーがいなければ到底やっていけない。

ましてや、俺の様な妻子持ちには非常に過酷だ。最低限必要な生活費の額が違うし、家にいたら育児の手伝いをしなければならないからな。

 

一人で事業を継続していくには限界があるけど、人を雇えばその分経費がかかる。

多くのフリーランスやデザイン事務所はシェアオフィスやインターンを有効活用してなんとか案件をこなしているケースが多い。

 

俺の場合はそんな状況ですらなかったので、出来る限り作業は自分でこなし、自宅作業を続けていた。上の2つの案件を無事に完了して報酬を頂いても次が続かなければ同じ状況に陥ってしまう。

 

同時並行で動いていた海外案件は中断してしまった。(海外案件、特に中国案件ではよくある事だが、個人事務所にはキツイ)

提案資料作成の下請業務だけでは意味がないのだ。焼け石に水というヤツである。

 

どうせ下請ばかりでやりたい仕事(自分の作品作りやデザイン)ができないならば、やれる事は何でもやるしかないと覚悟を決めた。

そして、以前相談した方から自分が保有しているアパート物件のリフォームをしないかと持ちかけられ引き受ける事にしたのが、リフォーム事業の始まりだ。あわよくばR不動産の様に俺がリノベして不動産価値を上げられたら自分の実績や経験に繋がるとも思ったからだ。

有難い事にその方は都内に多数の不動産を所有して資産運用している大富豪(本人曰く自分は小金持ちらしいが)だったので、提案次第で自分のデザインリノベが採用されるかもしれないと淡い期待を抱いていた。

 

甘い。完全に甘く見ていた。

自分の資産を運用している様な方は非常にお金に厳しいのだ。だからお金持ちになれるんだと思う。

前のリフォーム会社の担当者を紹介して貰い、色々とアドバイスを頂いたが、金額とクオリティにはどのお施主様よりも厳しいから頑張ってねと言われた。まさにその通り。

リノベの提案は一切採用されなかった。

むしろ予算内に収める為に簡単な雑工事や塗装、電気工事は自分でこなす必要があったぐらいだ。

設計の仕事では、現場で鹿島や大成、清水等のスーパーゼネコンきんでんの現場所長と打ち合わせをしているというのに、普段は作業着を着てアパートのリフォームをしている。このギャップには自分でも笑えてくるものがあった。

それでもこの時の経験は自分の人生の中で非常に大きな礎になったと思う。

無収入の月がないだけでどれほど救われる事か。サラリーマンの頃に毎月決まった給料が貰えて、少ないとはいえ貰えていたボーナスの有り難みをこの時期程、噛み締めた事はないかもしれない。

仕事を貰えるという事の有難さ。

その事に感謝し、誠心誠意取り組みたいと思える様になったのはとても大事な事だと思うし、自分自身の中でも大きな変化だった。

 

だが、生活の為にはリフォーム事業は必須ではあるが、自分がやりたい仕事じゃないのは間違いない。

 

感謝はしつつも、このままではいけないと感じていた。一見矛盾している様に見えるが、とても大事な事なのだ。

努力の方向性や方法論の様なもので、やっている事は間違いではなくても、正しい結果に繋がるか、自分が望む成果が得られるかは別問題だから。

 

設計業務にしろリフォーム事業にしろ、人を雇える様にならなければ個人事業(フリーランス)から脱却できない。

 

以前その事について書いたエントリーがこちら↓

フリーランスが一番楽。だが、いずれ限界が訪れる。 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

フリーランスの戦闘力が上がらないのではない。仕事のスキルだけでなく、営業、人脈づくり、経理や契約の知識が必要になるので、ある一定までは戦闘力も経験値も上がるはずです。だが、外注さんの立場に甘んじた時、停滞が始まる。焦燥感すら覚える事もありました。

正に目の前の安い自由と手取りに釣られている状態。これじゃぁ何処かの組織に属していた方がマシなんじゃないか、と自分も思った事もあります。終わりの始まりを肌で感じ始める。

だからと言ってクライアントを獲得して期待に応え続けるとなると、発注する側も受注する側もフリーランスでは限界が来る。

それが私が思う所のフリーランスの限界です。

 

まだブログをやり始めた頃なので、「私」とか言ってるwキャラ違い過ぎるだろwww

すいません。当時はちょっと頭良さげに見られたいと思ってました。あと、優しげなキャラ設定にしてました。

 

でも、やっぱ無理でした。

 

慣れない表現をすると疲れるという事が分かっただけでしたね。

話が逸れましたが、そんなフリーランスの状況を脱却する為には資金力と仕事の案件を掴むしかないと肌で感じ、それまでは一人で走り続けるしかないなと確信したのであります。

 

〜悠々自適に生きる〜

古民家裁判とその後

大丈夫、何とかやってます。

 

前回のエントリーから約4ヶ月も経ってしまった。目まぐるしく状況が変わり、目の前の問題や状況を解決するのに精一杯で、仕事は忙しくなるし、とてもじゃないが更新する時間がなくて、というか更新する気になれなくて時間だけが過ぎてしまった。

別に沢山の読者がいる訳でも心配するメッセージを頂いた訳じゃありませんが、一応申し伝えておきます。

 

大丈夫です。ちゃんと生きてます。むしろ調子良いです‼️

 

前回のエントリーはこちら↓

空き家バンクを利用して田舎に移住したら事故物件だった件 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 

この話は、豊田市の空き家バンク制度を利用して築200年の古民家を改装し、田舎に移住した7人家族+猫2匹の現在進行系リアルストーリーである。

 病気で亡くなったと聞いていた前住人が実は自殺だった事が移住後に発覚したのだ。

 

さて、裁判の件は素人から見て完璧な内容の訴状を弁護士に作成して頂き、少々時間はかかりましたが、先日無事に提訴しました。

今回のタイトル通り、ズバリ「古民家裁判」と命名しました!(自分の中で)

訴状通知後に被告人の1人から泣きのメールが送られてきましたが、勿論被告と原告が個別にお会いするのはできませんのでお断りしました。というか事前に提訴する旨は説明していたのに何をトボけた事を言っているんだろうか。

 

引越先と日付も無事に決まり、来る4月4日に名古屋市内に戻る事になります。一年前の4月4日に移住してきたので、ちょうど丸1年の古民家暮らしでした。

発覚したのが昨年の6月なので、色鮮やかな思い出は最初の3ヶ月程度しかない。それでも地元の人たちや学校の先生方は素晴らしい人ばかりで、とても良くしてくださり、交流を深める事ができたと思う。

本件を打ち明けると皆心配してくれて、申し訳ない、地元の責任だと言われる方も複数いた。この地域に対する悪いイメージは全くない。悪いのは当事者だけだ。

 

一番心苦しかったのは、毎日楽しく学校に行ってる息子達に打ち明ける事だった。

ギリギリまで寂しい想いをさせたくなくて、学校の先生とも相談し、この連休初日まで話をするのを待っていた。

朝一、何気ない会話から機を見て話を切り出す。事前に妻と相談して、包み隠さず話した方が理解してくれるだろうと決めていたので、ありのままを話した。

先ず情緒豊かな長男が涙を流した。彼にとっては2年連続の引越しでようやく仲良くなった友達とまたサヨナラする事になるのだから、当たり前だ。その姿を次男が見て、それまで我慢していた涙が次男の目から溢れた。

 

俺はこの姿を目に焼き付けておかねばならない。

 

そう思って対面に座っていた。今回のような事態を招いたのは大人である自分の責任でもあるからだ。だが、いてもたってもいられず2人の肩を抱きに机を回り込んだ。

 

「ゴメンなぁ。悲しいよな。悔しいよな。

父ちゃんも同じ気持ちだよ。」

 

そう息子達に伝えた。俺まで泣きそうになる。

だが、ありのままを話した事で、息子達は気丈にも現状を理解してくれて、引越しは悲しいけど、仕方ない事だと前向きに捉えてくれた。

その日のうちに一緒に引越先を見に行って自分達の部屋になる予定の部屋を見て、息子達も楽しみだと言ってくれた。

 

それだけで、心が救われる。

 

子供達にも学校にも地元にも話をして、引越先も引越業者も引越日も決まった。

あとはキッチリ、カタを付けるだけだ。

 

また気が向いた時に古民家裁判に関する続報を書こうと思う。

それと仕事の事や成功への道シリーズも更新していきたいと思います。

 

 

空き家バンクを利用して田舎に移住したら事故物件だった件

さて、豊田市から想定内の回答書も頂いた事だし、そろそろ本案件についてエントリーしておく事にする。

この話は、豊田市の空き家バンク制度を利用して築200年の古民家を改装し、田舎に移住した7人家族+猫2匹の現在進行系リアルストーリーである。

 

病気で亡くなったと聞いていた前住人が実は自殺だった事が移住後に発覚したのだ。地元の方々との何気ない交流から病死ではない事に妻が勘付いて、管理人に問いただした所、自白した。本当の事を言うと誰にも住んで貰えないと思って言えなかったんだと。

 

ふざけるなよ?

 こっちは毎週末、足を運んで自分達で解体して、約1000万円かけて改修したんだぞ?

 どんな思いで移住を決めたと思ってるんだ。

 悔しくて悲しくて、今まで大切にしてきた思いや期待が全て吹き飛んだ気がした。

 

古民家改修中のエントリー↓

古民家改修 解体編 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 古民家改修 解体編その2 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

古民家改修 解体編その3 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

古民家改修 解体編その4 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

古民家改修 工事編 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜 

読み返すとマジで泣けてくる。

 

更に管理人と話し合いを続けていると衝撃の事実が発覚した。なんと前々住人も自殺で亡くなっていたのだ。

 

アウト。完全にアウト。

 

詳細は割愛させて頂くが、そんな物件をわざわざ嘘を付いて説明して勧める、その神経が理解できない。しかも自殺したのは他でもない管理人の娘婿だというのに。

 

翌日、大家にも事実確認をしに行ったが、何故か被害者面だ。自分は全て管理人に任せていたから責任はない等と言っている。

余りに無恥。賃貸契約上、貸主である大家に説明責任があるのだから。管理人に一任していると言っても契約前に顔合わせや賃貸条件等の話し合いをしたわけだからその時に説明するべきだ。

 

そして豊田市の対応も全く理解できない。

豊田市へ一番最初に事実関係を確認する為に話し合いをした所、前住人が自殺していた事を知っていた事を認めたのだ。しかし、空き家バンク登録から紹介までの経緯を調査報告依頼をして、後日報告を受けた時点では亡くなった事は知っていたが、自殺だった事は知らなかったと供述を変えた。異動になっていた担当者にも同席して頂いたが、自殺の事実を知ったのは地域説明会の後に管理人が相談に来た時点だと話した。そして管理人に説明する様に促したから責任はない等と言うのだ。

賃貸契約の条件等の説明時に大家、管理人、豊田市職員、そして仲介業者として地元不動産会社、前住人(管理人の娘)同席のもと、顔合わせと話し合いを行ったが、自殺に関する説明は一切なかった。全員が知っていたにも関わらずだ。本件は重要事項説明義務違反にあたるが、賃貸契約上、責任があるのは貸主と仲介業者のみになってしまう。しかし、俺たち家族は豊田市の空き家バンク制度を利用して古民家を探し、移住を決めたのだ。

豊田市側にも登録時等において重要事項の確認、説明責任があるとし、弁護士を立てて提訴する事になった。

先日弁護士を通して豊田市に内容通知書を通達し、その回答書が届いた。豊田市からの回答は想定通り認められないという内容だったので、今月末に提訴する事になる。

今後はこの裁判についても書いていきたいと思う。人生初の裁判は思いも寄らない形で経験する事になったが、前を向いて進めていきたい。

 

前に自殺だった事が発覚した時に書いた記事↓

人生は決断の連続だ - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

人生は決断の連続で、時に間違った選択をする事や想像もできない様な事態が起きる事もある。そんな時は開き直れば良いんじゃないだろうか。このエントリーは未来の自分を励ます為に書いた。今読んでも染みるが、また気が向いた時に読み返そうと思う。

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〜悠々自適に生きる〜