悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

脱サラした父ちゃんが山奥の古民家に移住し、5人の子育てに奮闘しながら悠々自適に暮らしている日々の生活をゆる〜く発信します。

成功への道⑥〜理想の人生を生きる為に〜

 生きる為に何でもやる覚悟

周囲の制止も聞かず無計画に独立した挙句、プロジェクトが中止になり、新たな案件も取る事ができず、どん底の状況で3人目が産まれた俺は途方に暮れていた。

自分の仕事(プレゼン資料作成の下請け等)をこなしながら知り合いの設計事務所のバイトを掛け持ちしていたが、明らかに収入が足りない。

 どうすればこのどうしようもない状況を変えられるのだろうか。毎日オムツを替えながら自問自答する日々が続く。

 

俺はオムツを替えてる場合じゃないんだ!と。

 

ここで言う「成功」というのは単に世間一般でいう「大金持ち」になる事ではない。「自分の理想の人生を生きる」ことを一言で「成功」と位置付けた。そして勿論、自分自身「成功」している訳でも「大金持ち」な訳でもない。今まで歩んで来た道、これから進む目指すべき「成功」への道を自分の為に記録する事にしただけだ。そんな(今はまだ誰も知らない)ベンチャー社長の物語シリーズである。

 

物語シリーズ①はこちら
成功への道①
成功への道①〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

前回の物語シリーズはこちら
成功への道⑤

成功への道⑤〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 

独身時代には味わった事のない重責と焦燥感。

俺は三児の父親なのだ。家族を養わなければならないという最低限かつ最優先の責務がある。

だが、一人で悩んでいても答えはでない。

 何ができるかわからない、設計の営業なんて特殊過ぎて誰もよく知らないし、自分でもどうすれば仕事が取れるのかわからなかった。

 

動かなければ何も変わらない。
自ら変える為に行動しなければ。

よし、色んな人に悩みを相談しよう!

そして何でも構わないから仕事を振ってもらおう!

 

そう思って色んな人に昼夜問わず相談しまくった。自分一人で何とかできないなら周りに助けを求めるしかない。そんな事も分からず一人で悩んでいたのだ。そして、大事なのは直接会いに行く事だと気付いた。(書いていて今の自分がお世話になった方々に顔を出せていない事に気付いて反省している)

顔を合わせる事、同じ時間と空間を共有する事は大袈裟ではなく、電話やメールでは伝わらないサムシングがあると思う。

格好付けてる場合でも見栄を張ってる場合でもないのだ。恥を忍んで周りに相談しまくった。

 

独立したんですけど、全然上手くいってないんです。しかも三人目産まれて超大変なんですって。

 

 だからと言ってすぐにどうにかなるもんでもないし、すぐ仕事を振って貰える訳じゃない。

でも、新しい人を紹介して貰ったり、気にかけてくれる人が増えた。

そんなタイミングで前から気にかけてくれていた前の会社の上司と独立に反対していた親父から(見るに見兼ねて)紹介して貰い、二つの案件を頂いた。

 

一つは大阪マリオット都ホテルの照明デザイン設計。この案件は前の会社を辞める前に実施図面を自分もまとめた事がある元々担当だった案件だ。アメリカの照明デザインのボスであるバブ・シャンカー氏に依頼した所、予算が合わないので、俺が間に調整役で入って欲しいとの事。

 

勿論ですっ‼️

 

マジで電話で叫んだ記憶がある。

有難い。阿倍野ハルカスの上層階にオープンした複合ホテルで世間からも注目されていた。施主は近鉄だし、JVの設計会社は日本設計だ。辞めて改めて思い知る、前の会社の有り難みと凄さ。しかも自分の担当案件をかつての照明デザインのボスと一緒に携われるなんて、この上なく嬉しかった。

 

もう一つは表参道にオープンしたショップの内装デザイン(勿論、照明デザインも含む)。独立して初めて一からデザインした案件なので思い入れも強い。だが、残念ながら2年前に閉店となってしまった。

 

この2つの案件に集中する為、設計事務所のバイトは辞めた。元々応援してくれていたので、喜んで背中を押してくれたのが本当に有難い。

 

 

それでも食べていけないのがこの世界。

 

フリーランスのデザイナーや少人数のアトリエ系設計事務所で生計を立てている人たちは本当に凄いと思うし尊敬する。自分の作品をつくる(設計する)事がどれほど大変な事か(それも継続的に)。

大口のクライアントか仕事を振って貰えるパートナーがいなければ到底やっていけない。

ましてや、俺の様な妻子持ちには非常に過酷だ。最低限必要な生活費の額が違うし、家にいたら育児の手伝いをしなければならないからな。

 

一人で事業を継続していくには限界があるけど、人を雇えばその分経費がかかる。

多くのフリーランスやデザイン事務所はシェアオフィスやインターンを有効活用してなんとか案件をこなしているケースが多い。

 

俺の場合はそんな状況ですらなかったので、出来る限り作業は自分でこなし、自宅作業を続けていた。上の2つの案件を無事に完了して報酬を頂いても次が続かなければ同じ状況に陥ってしまう。

 

同時並行で動いていた海外案件は中断してしまった。(海外案件、特に中国案件ではよくある事だが、個人事務所にはキツイ)

提案資料作成の下請業務だけでは意味がないのだ。焼け石に水というヤツである。

 

どうせ下請ばかりでやりたい仕事(自分の作品作りやデザイン)ができないならば、やれる事は何でもやるしかないと覚悟を決めた。

そして、以前相談した方から自分が保有しているアパート物件のリフォームをしないかと持ちかけられ引き受ける事にしたのが、リフォーム事業の始まりだ。あわよくばR不動産の様に俺がリノベして不動産価値を上げられたら自分の実績や経験に繋がるとも思ったからだ。

有難い事にその方は都内に多数の不動産を所有して資産運用している大富豪(本人曰く自分は小金持ちらしいが)だったので、提案次第で自分のデザインリノベが採用されるかもしれないと淡い期待を抱いていた。

 

甘い。完全に甘く見ていた。

自分の資産を運用している様な方は非常にお金に厳しいのだ。だからお金持ちになれるんだと思う。

前のリフォーム会社の担当者を紹介して貰い、色々とアドバイスを頂いたが、金額とクオリティにはどのお施主様よりも厳しいから頑張ってねと言われた。まさにその通り。

リノベの提案は一切採用されなかった。

むしろ予算内に収める為に簡単な雑工事や塗装、電気工事は自分でこなす必要があったぐらいだ。

設計の仕事では、現場で鹿島や大成、清水等のスーパーゼネコンきんでんの現場所長と打ち合わせをしているというのに、普段は作業着を着てアパートのリフォームをしている。このギャップには自分でも笑えてくるものがあった。

それでもこの時の経験は自分の人生の中で非常に大きな礎になったと思う。

無収入の月がないだけでどれほど救われる事か。サラリーマンの頃に毎月決まった給料が貰えて、少ないとはいえ貰えていたボーナスの有り難みをこの時期程、噛み締めた事はないかもしれない。

仕事を貰えるという事の有難さ。

その事に感謝し、誠心誠意取り組みたいと思える様になったのはとても大事な事だと思うし、自分自身の中でも大きな変化だった。

 

だが、生活の為にはリフォーム事業は必須ではあるが、自分がやりたい仕事じゃないのは間違いない。

 

感謝はしつつも、このままではいけないと感じていた。一見矛盾している様に見えるが、とても大事な事なのだ。

努力の方向性や方法論の様なもので、やっている事は間違いではなくても、正しい結果に繋がるか、自分が望む成果が得られるかは別問題だから。

 

設計業務にしろリフォーム事業にしろ、人を雇える様にならなければ個人事業(フリーランス)から脱却できない。

 

以前その事について書いたエントリーがこちら↓

フリーランスが一番楽。だが、いずれ限界が訪れる。 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

フリーランスの戦闘力が上がらないのではない。仕事のスキルだけでなく、営業、人脈づくり、経理や契約の知識が必要になるので、ある一定までは戦闘力も経験値も上がるはずです。だが、外注さんの立場に甘んじた時、停滞が始まる。焦燥感すら覚える事もありました。

正に目の前の安い自由と手取りに釣られている状態。これじゃぁ何処かの組織に属していた方がマシなんじゃないか、と自分も思った事もあります。終わりの始まりを肌で感じ始める。

だからと言ってクライアントを獲得して期待に応え続けるとなると、発注する側も受注する側もフリーランスでは限界が来る。

それが私が思う所のフリーランスの限界です。

 

まだブログをやり始めた頃なので、「私」とか言ってるwキャラ違い過ぎるだろwww

すいません。当時はちょっと頭良さげに見られたいと思ってました。あと、優しげなキャラ設定にしてました。

 

でも、やっぱ無理でした。

 

慣れない表現をすると疲れるという事が分かっただけでしたね。

話が逸れましたが、そんなフリーランスの状況を脱却する為には資金力と仕事の案件を掴むしかないと肌で感じ、それまでは一人で走り続けるしかないなと確信したのであります。

 

〜悠々自適に生きる〜