悠々日記〜7人家族その日暮らし〜

5人の子育てに奮闘しながら悠々自適に暮らしているベンチャー社長の奮闘物語をゆるく発信します。

大事な事は自分で決めろ

 

こんな事は当たり前だと思うかもしれない。

だが、追い込まれている時や決定事項が重大であればある程、自分の判断かつ自己責任で決断する事は容易ではない。

先日こんな記事を読んだ。

 

集団思考の罠:他人の意見に振り回されないための「5つの問い」

集団思考の罠:他人の意見に振り回されないための「5つの問い」

 

重大な決断をする前に、他人の意見を求めるのは理にかなっている。私たちはそうすることを奨励されてもいる。しかも、そうしたアプローチが功を奏することもある。
ただし、非常に重大な決断をする必要がある場合はこれに当てはまらない。それこそ、集団的意思決定が逆効果になってしまう場合だ。というのも、集団思考はたいてい中道の意見で落ち着くからだ。
集団思考は尖ったアイデアを丸くしたり、超少数意見を排除したりする。その結果、アドバイスやフィードバック、そしてとくに議論を深めるために意図的に出された(善意の)反対意見までもが、無難で凡庸な結論に落ち着いてしまう。
加えて、集団的意思決定はあなたに逃げ道を与える。その結論の責任を負うのはグループ全員であるから、うまくいかなかったとしても自分のせいではない、と言い訳ができるのだ。
一方、自分で決断した場合は、すべてが自分の肩にかかってくる。あたなのビジョン、情熱、モチベーション、責任感、すべてだ。
だから、あなたは他人が間違っていると証明するためにも、全力を尽くすだろう。自分が正しいと証明するためにも、あらゆる障害を必死で乗り越えていくだろう。成功を収めるために、どんなことでもするはずだ。
これでわかるだろう。あなたが自分の人生で何かを変えたいと思ったとき、本当に必要なのは自分の意見だけなのである。

 

全くその通りだと思う。

これは社内会議の様な集団的意思だけでなく、客観的な他人の意見も当てはまると思う。

他人が自分の事を心配して、良かれと思ってしてくれたアドバイスだとしても、結果的にそれが自分の為になるとは限らない。

 

他人から見て馬鹿げた事や、無理な事だとしても自分がやりたい事(夢)なら決断してやるべきだ。だが、実行するのは言う程簡単な事ではない。

 

最初は失敗するつもりで始めるのが良い。

 

やった事がない事に挑戦するということがいかに重要で困難な事かということは、当事者にしかわからないだろう。できる、できないではなく、やるか、やらないか。

だが、自分で決めた事は自分の責任で、他人のせいにはできない。言い訳はできない。

だから頑張れるのだ。

 

誰だって失敗なんてしたくない。

だが、失敗したくなくて、できる事しかやらなくなると成長は止まるのではなかろうか。

やりたい事に挑戦し失敗しても、諦めなければ経験が増えるだけだ。

失敗した事のない人ほど怖いものはない気がする。リカバリーの経験や対応力は失敗した経験から得るものだからだ。

 

だからこそ悔いのない方を選べ。

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34才にして父親から勘当(絶縁)された理由 - 悠々日記〜7人家族その日暮らし〜

本当に色んな人が色んな事を言ってくる。何が正しい答えかなんて誰にも分からないから、自分が後悔しない選択を選ぶしかない。