悠々日記〜7人家族その日暮らし〜

5人の子育てに奮闘しながら悠々自適に暮らしているベンチャー社長の奮闘物語をゆるく発信します。

成功への道⑧〜理想の人生を生きる為に〜

ある日を境に自分の身体が思う様に動かせなくなり、ベッドから起き上がれなくなった。

そんな経験をした事があるだろうか?

突然という訳ではない。徐々に身体の調子が悪くなり、改善の兆しも見えないなと思っていたら、遂にその日は訪れたのだ。

 

ここで言う「成功」というのは単に世間一般でいう「大金持ち」になる事ではない。「自分の理想の人生を生きる」ことを一言で「成功」と位置付けた。そして勿論、自分自身「成功」している訳でも「大金持ち」な訳でもない。今まで歩んで来た道、これから進む目指すべき「成功」への道を自分の為に記録する事にしただけだ。そんなベンチャー社長の物語シリーズである。


物語シリーズ①はこちら
成功への道①

 成功への道①〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族その日暮らし〜

 

前回の物語シリーズはこちら
成功への道⑦

成功への道⑦〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族その日暮らし〜

 

スタードームが評判になったお陰で、イルミネーション事業をスタートする事ができた俺は、冬のイルミネーションに向けて各施設への提案書を作成し、忙しくしていた。

 

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前回、肝心のスタードームを載せていなかったのでここに載せておく。

あの低予算と短い納期でこのドームを完成できた事は俺の中で自信になったのは間違いない。

 

初年度から(確か)9施設を任せて貰える様になり、部材仕入れの為に借金(銀行借入はできないので、いわゆる消費者金融から)をして、約1カ月半名古屋の施工部隊と一緒にキャラバンで各地を回った。

当時は東京に住んでいたので、日曜夜に名古屋に移動し、早朝に集合して出発。

そんな感じでスタートしたイルミネーション事業だったが、宿泊はホテルの一室を用意して貰えるし、新しい施設ばかりで刺激も多く、大変だったけど楽しく仕事ができた。

まとまった売上も上がり、サラリーマン時代の年収以上の利益を得て少し有頂天になっていた気もする。

 

損して得取るとはこの事だな。

 

そう実感した。スタードームを利益度外視で完成できた事で次の仕事を沢山獲得できたのだから。

 

Give and Give and Give

 

やはりこれで間違いない。

最後にリターンが返ってくるのだ。

 

施工が終わり一段落して、俺は今後の事を考えていた。クライアントも施工部隊も名古屋だし、設計の仕事でも名古屋の案件が複数あり(当時名古屋マリオットホテルのレストラン改修工事の照明コンサルをしていた!)、相談した友人からも名古屋に戻ってきたら良いじゃないかと言われたのもあり名古屋に引っ越す事に決めたのだ。

東京生まれ東京育ちの妻も都心から離れた場所でのびのびと子育てしたいと言っていたので、快く名古屋行きを賛成してくれた。

 

名古屋に行くなら車を手に入れないと生活できない。そう思った俺はすぐに施工部隊の(中古車屋もしている)友人Oに車の手配をお願いした。

個人事業主(で独立したばかり)の俺はローンが組めないので、当然一括払いになる。

それまでの金欠生活からは想像できないが、まとまった利益が出たばかりなので強気である。

 

問題ない。買ってくれ。

 

オークション会場から電話で金額を聞いた俺は即答でそう答えた。

そうして、正月休みに物件を決めて、慌ただしく名古屋へ拠点を移すべく引越しした訳だが、数ヶ月もたたないうちにある噂が飛び込んできた。

 

俺が友人Oに手配して貰った車が、実は公式なオークションで購入したモノではなく、悪名高い先輩が走行距離を改ざんして売り飛ばそうとしていた車を下取りして俺に売りつけたらしいと。

 

いやいや、そんな筈はない。

俺とあいつは中学校からの付き合いだし、確かに金に汚い噂は聞いていたが、まさか俺に対してそんな騙す様な事をする訳がない。

一緒に事業も始めて、ちゃんとあいつにも利益を分けてる。間違っても俺にだけは…

 

だが、俺の事を心配して教えてくれた人はくだらない嘘をつく様な人ではない。裏を取るべく事実関係を知っていそうなヤツに会って話を聞いた…

 

完全なる黒。

Super Black

 

反吐が出るとはこの事だ。

あろうことか俺の妻の車も水没車だった事も判明したのだ。(当時、東北の津波で流された車が大量に安く市場に出回っていたらしい)

そして、他でもない俺に嘘をついて車を売りつけたヤローが、自分はJEEPの新車を購入していて、翌日納車だということが判明した。

 

明日、制裁を決行する。

 

協力者と関係者に連絡を取り、明日の段取りを伝えた…

 

 

当日、俺から直接Oに連絡し

「新車、納車されたらしいじゃん。ちょっと今から車見に会社行くわ」

と伝え、そいつの会社(ガレージ)に押しかけた。到着して暫くするとOは新車のJEEPに乗って、最大限格好付けて現れた。

最初他の奴らもいた事を不思議がっていたが、新車のお披露目に駆けつけてくれたと勘違いしたらしい。目出度ぇヤローだ。

 

事務所の中に連れて行き、一切合切をぶちまけた。全てバレていると悟り、みるみる顔面が蒼白になっていく。

車の元持主である悪名高い先輩まで合流した時に観念したらしく、Oは崩れ落ちた。

俺は最後まで手は出さなかった。

 

殴る気にもなれねぇ。

 

Oとは、お互い若くして父親になり、独立して自力で家族を養っていかなきゃならない者同士、一緒に成り上がろうと事業を始めた仲だった。そんな風に思ってたのは自分だけだったという事が分かり、単純に悲しかったんだ。

 

後から思えば、殴ってやった方がOは救われたのかもしれないと思ったが、考えても無駄だ。

Oには新車を売った金で俺の車を(迷惑料を上乗せした金額で)下取りさせてケジメをつけさせた。

 

Oには、今の自分がどれだけ腐ってしまったのか見直して、家族に感謝してやり直せと伝えたが、どこまで伝わったかは定かではない。

 

実はこの事件が発覚する数日前に俺には衝撃の事実が発覚していた。

 

なんと4人目の妊娠が発覚していたのだ。

 

最後にその事をOに伝えると、バツが悪そうに

「お、おめでとう。」

と言ってきたので、

「うるせぇ。お前はもっと家族を大事にしろ!」

と釘を刺して、その場を離れた。

 

 

そうしてOに制裁を与えた後、施工部隊の協力者と新たにイルミネーションの為の会社を設立する事にした。会社の設立準備、ロゴの作成、新しい会社の事務所と倉庫探し等々、昼夜問わず忙しくして、気晴らしする為に仕事に没頭していたかった。

 

そんな中、義理のお母さんが救急で搬送されたと連絡が入る。検査の結果、末期の子宮がんで気が付かない内に悪化し、遂には子宮が破裂してしまったのだということが判明した。

にも関わらず、搬送された病院では手術の予約が取れずに1ヶ月以上も先になってしまうというのだ。

 

そんな馬鹿なことがあるか?

 

末期がんで子宮が破裂してる患者を放置するなんて治療放棄じゃないか‼️

俺は親父に頼んで都内の大きい病院を紹介して貰い、すぐに手術をしてくれる様にお願いした。

車を飛ばして、義理のお母さんを新しい病院に搬送し、数日後無事に手術を終える事ができた。術後、義理のお父さんと一緒に執刀して頂いた先生から報告を受けた俺は、またもや衝撃を受ける。

 

切り出した臓器を目前に並べて、抗がん剤治療をしなければ50%以上の確率で患者は死にます。

 

そう淡々と執刀医から告げられたのだ。

元々抗がん剤治療は殆ど効果がない上に副作用が大き過ぎて、抗がん剤治療の副作用で亡くなる方の方が多いという事を義父と義母に伝えていたのだが、そんなやり方されたら誰だって抗がん剤治療を選ばざるを得ないじゃないか。

 

それでも別の治療法を進めたが、両方行うという事で決着した。決めたのはご本人だ。

 

誰も責任は取れない。

取れるのは自分だけだ。

だから、決めるのは自分。

 

これは何をするにしても同じこと。

起業するにしても、新事業を始めるにしても、責任を取れるのは決断した自分だけだ。

 

 

そして俺の身体にも当時から異変が起きていた。今まで味わった事のない疲労感と倦怠感、長距離運転ですらクタクタだった。体温は下がり、夏なのに一人長袖のパーカーを着る様になっていた。

 

そんな状態だったが、夏のイルミネーションの施工の時期だ。休む訳にはいかない。

新たに会社を立ち上げたばかりで最初の施工なんだ。施工部隊は元々のメンバーだから安心だが、施工プランは自分しか把握していない。

俺が指示を飛ばさなければ始まらないのだ。

 

夏の施工は施設が少ないから、何とかなるだろうと動かない身体に鞭を打って現場に出た。

だが、最後の施設の施工時、昼休憩の時に部屋のベッドで休んでいたら起き上がれなくなった。

 

身体が異様に重たいのだ。

指先の感覚も普通ではない。

重力が3倍になった感覚で、明らかにおかしい。

 

こうして俺は、この日を境に原因不明の体調不良の日々が続いていく事になる。

病名が判明したのはもう少し後になってからだった。

 

〜悠々自適に生きる〜