悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

脱サラした父ちゃんが山奥の古民家に移住し、5人の子育てに奮闘しながら悠々自適に暮らしている日々の生活をゆる〜く発信します。

成功への道⑥〜理想の人生を生きる為に〜

 生きる為に何でもやる覚悟

周囲の制止も聞かず無計画に独立した挙句、プロジェクトが中止になり、新たな案件も取る事ができず、どん底の状況で3人目が産まれた俺は途方に暮れていた。

自分の仕事(プレゼン資料作成の下請け等)をこなしながら知り合いの設計事務所のバイトを掛け持ちしていたが、明らかに収入が足りない。

 どうすればこのどうしようもない状況を変えられるのだろうか。毎日オムツを替えながら自問自答する日々が続く。

 

俺はオムツを替えてる場合じゃないんだ!と。

 

ここで言う「成功」というのは単に世間一般でいう「大金持ち」になる事ではない。「自分の理想の人生を生きる」ことを一言で「成功」と位置付けた。そして勿論、自分自身「成功」している訳でも「大金持ち」な訳でもない。今まで歩んで来た道、これから進む目指すべき「成功」への道を自分の為に記録する事にしただけだ。そんな(今はまだ誰も知らない)ベンチャー社長の物語シリーズである。

 

物語シリーズ①はこちら
成功への道①
成功への道①〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

前回の物語シリーズはこちら
成功への道⑤

成功への道⑤〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 

独身時代には味わった事のない重責と焦燥感。

俺は三児の父親なのだ。家族を養わなければならないという最低限かつ最優先の責務がある。

だが、一人で悩んでいても答えはでない。

 何ができるかわからない、設計の営業なんて特殊過ぎて誰もよく知らないし、自分でもどうすれば仕事が取れるのかわからなかった。

 

動かなければ何も変わらない。
自ら変える為に行動しなければ。

よし、色んな人に悩みを相談しよう!

そして何でも構わないから仕事を振ってもらおう!

 

そう思って色んな人に昼夜問わず相談しまくった。自分一人で何とかできないなら周りに助けを求めるしかない。そんな事も分からず一人で悩んでいたのだ。そして、大事なのは直接会いに行く事だと気付いた。(書いていて今の自分がお世話になった方々に顔を出せていない事に気付いて反省している)

顔を合わせる事、同じ時間と空間を共有する事は大袈裟ではなく、電話やメールでは伝わらないサムシングがあると思う。

格好付けてる場合でも見栄を張ってる場合でもないのだ。恥を忍んで周りに相談しまくった。

 

独立したんですけど、全然上手くいってないんです。しかも三人目産まれて超大変なんですって。

 

 だからと言ってすぐにどうにかなるもんでもないし、すぐ仕事を振って貰える訳じゃない。

でも、新しい人を紹介して貰ったり、気にかけてくれる人が増えた。

そんなタイミングで前から気にかけてくれていた前の会社の上司と独立に反対していた親父から(見るに見兼ねて)紹介して貰い、二つの案件を頂いた。

 

一つは大阪マリオット都ホテルの照明デザイン設計。この案件は前の会社を辞める前に実施図面を自分もまとめた事がある元々担当だった案件だ。アメリカの照明デザインのボスであるバブ・シャンカー氏に依頼した所、予算が合わないので、俺が間に調整役で入って欲しいとの事。

 

勿論ですっ‼️

 

マジで電話で叫んだ記憶がある。

有難い。阿倍野ハルカスの上層階にオープンした複合ホテルで世間からも注目されていた。施主は近鉄だし、JVの設計会社は日本設計だ。辞めて改めて思い知る、前の会社の有り難みと凄さ。しかも自分の担当案件をかつての照明デザインのボスと一緒に携われるなんて、この上なく嬉しかった。

 

もう一つは表参道にオープンしたショップの内装デザイン(勿論、照明デザインも含む)。独立して初めて一からデザインした案件なので思い入れも強い。だが、残念ながら2年前に閉店となってしまった。

 

この2つの案件に集中する為、設計事務所のバイトは辞めた。元々応援してくれていたので、喜んで背中を押してくれたのが本当に有難い。

 

 

それでも食べていけないのがこの世界。

 

フリーランスのデザイナーや少人数のアトリエ系設計事務所で生計を立てている人たちは本当に凄いと思うし尊敬する。自分の作品をつくる(設計する)事がどれほど大変な事か(それも継続的に)。

大口のクライアントか仕事を振って貰えるパートナーがいなければ到底やっていけない。

ましてや、俺の様な妻子持ちには非常に過酷だ。最低限必要な生活費の額が違うし、家にいたら育児の手伝いをしなければならないからな。

 

一人で事業を継続していくには限界があるけど、人を雇えばその分経費がかかる。

多くのフリーランスやデザイン事務所はシェアオフィスやインターンを有効活用してなんとか案件をこなしているケースが多い。

 

俺の場合はそんな状況ですらなかったので、出来る限り作業は自分でこなし、自宅作業を続けていた。上の2つの案件を無事に完了して報酬を頂いても次が続かなければ同じ状況に陥ってしまう。

 

同時並行で動いていた海外案件は中断してしまった。(海外案件、特に中国案件ではよくある事だが、個人事務所にはキツイ)

提案資料作成の下請業務だけでは意味がないのだ。焼け石に水というヤツである。

 

どうせ下請ばかりでやりたい仕事(自分の作品作りやデザイン)ができないならば、やれる事は何でもやるしかないと覚悟を決めた。

そして、以前相談した方から自分が保有しているアパート物件のリフォームをしないかと持ちかけられ引き受ける事にしたのが、リフォーム事業の始まりだ。あわよくばR不動産の様に俺がリノベして不動産価値を上げられたら自分の実績や経験に繋がるとも思ったからだ。

有難い事にその方は都内に多数の不動産を所有して資産運用している大富豪(本人曰く自分は小金持ちらしいが)だったので、提案次第で自分のデザインリノベが採用されるかもしれないと淡い期待を抱いていた。

 

甘い。完全に甘く見ていた。

自分の資産を運用している様な方は非常にお金に厳しいのだ。だからお金持ちになれるんだと思う。

前のリフォーム会社の担当者を紹介して貰い、色々とアドバイスを頂いたが、金額とクオリティにはどのお施主様よりも厳しいから頑張ってねと言われた。まさにその通り。

リノベの提案は一切採用されなかった。

むしろ予算内に収める為に簡単な雑工事や塗装、電気工事は自分でこなす必要があったぐらいだ。

設計の仕事では、現場で鹿島や大成、清水等のスーパーゼネコンきんでんの現場所長と打ち合わせをしているというのに、普段は作業着を着てアパートのリフォームをしている。このギャップには自分でも笑えてくるものがあった。

それでもこの時の経験は自分の人生の中で非常に大きな礎になったと思う。

無収入の月がないだけでどれほど救われる事か。サラリーマンの頃に毎月決まった給料が貰えて、少ないとはいえ貰えていたボーナスの有り難みをこの時期程、噛み締めた事はないかもしれない。

仕事を貰えるという事の有難さ。

その事に感謝し、誠心誠意取り組みたいと思える様になったのはとても大事な事だと思うし、自分自身の中でも大きな変化だった。

 

だが、生活の為にはリフォーム事業は必須ではあるが、自分がやりたい仕事じゃないのは間違いない。

 

感謝はしつつも、このままではいけないと感じていた。一見矛盾している様に見えるが、とても大事な事なのだ。

努力の方向性や方法論の様なもので、やっている事は間違いではなくても、正しい結果に繋がるか、自分が望む成果が得られるかは別問題だから。

 

設計業務にしろリフォーム事業にしろ、人を雇える様にならなければ個人事業(フリーランス)から脱却できない。

 

以前その事について書いたエントリーがこちら↓

フリーランスが一番楽。だが、いずれ限界が訪れる。 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

フリーランスの戦闘力が上がらないのではない。仕事のスキルだけでなく、営業、人脈づくり、経理や契約の知識が必要になるので、ある一定までは戦闘力も経験値も上がるはずです。だが、外注さんの立場に甘んじた時、停滞が始まる。焦燥感すら覚える事もありました。

正に目の前の安い自由と手取りに釣られている状態。これじゃぁ何処かの組織に属していた方がマシなんじゃないか、と自分も思った事もあります。終わりの始まりを肌で感じ始める。

だからと言ってクライアントを獲得して期待に応え続けるとなると、発注する側も受注する側もフリーランスでは限界が来る。

それが私が思う所のフリーランスの限界です。

 

まだブログをやり始めた頃なので、「私」とか言ってるwキャラ違い過ぎるだろwww

すいません。当時はちょっと頭良さげに見られたいと思ってました。あと、優しげなキャラ設定にしてました。

 

でも、やっぱ無理でした。

 

慣れない表現をすると疲れるという事が分かっただけでしたね。

話が逸れましたが、そんなフリーランスの状況を脱却する為には資金力と仕事の案件を掴むしかないと肌で感じ、それまでは一人で走り続けるしかないなと確信したのであります。

 

〜悠々自適に生きる〜

古民家裁判とその後

大丈夫、何とかやってます。

 

前回のエントリーから約4ヶ月も経ってしまった。目まぐるしく状況が変わり、目の前の問題や状況を解決するのに精一杯で、仕事は忙しくなるし、とてもじゃないが更新する時間がなくて、というか更新する気になれなくて時間だけが過ぎてしまった。

別に沢山の読者がいる訳でも心配するメッセージを頂いた訳じゃありませんが、一応申し伝えておきます。

 

大丈夫です。ちゃんと生きてます。むしろ調子良いです‼️

 

前回のエントリーはこちら↓

空き家バンクを利用して田舎に移住したら事故物件だった件 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 

この話は、豊田市の空き家バンク制度を利用して築200年の古民家を改装し、田舎に移住した7人家族+猫2匹の現在進行系リアルストーリーである。

 病気で亡くなったと聞いていた前住人が実は自殺だった事が移住後に発覚したのだ。

 

さて、裁判の件は素人から見て完璧な内容の訴状を弁護士に作成して頂き、少々時間はかかりましたが、先日無事に提訴しました。

今回のタイトル通り、ズバリ「古民家裁判」と命名しました!(自分の中で)

訴状通知後に被告人の1人から泣きのメールが送られてきましたが、勿論被告と原告が個別にお会いするのはできませんのでお断りしました。というか事前に提訴する旨は説明していたのに何をトボけた事を言っているんだろうか。

 

引越先と日付も無事に決まり、来る4月4日に名古屋市内に戻る事になります。一年前の4月4日に移住してきたので、ちょうど丸1年の古民家暮らしでした。

発覚したのが昨年の6月なので、色鮮やかな思い出は最初の3ヶ月程度しかない。それでも地元の人たちや学校の先生方は素晴らしい人ばかりで、とても良くしてくださり、交流を深める事ができたと思う。

本件を打ち明けると皆心配してくれて、申し訳ない、地元の責任だと言われる方も複数いた。この地域に対する悪いイメージは全くない。悪いのは当事者だけだ。

 

一番心苦しかったのは、毎日楽しく学校に行ってる息子達に打ち明ける事だった。

ギリギリまで寂しい想いをさせたくなくて、学校の先生とも相談し、この連休初日まで話をするのを待っていた。

朝一、何気ない会話から機を見て話を切り出す。事前に妻と相談して、包み隠さず話した方が理解してくれるだろうと決めていたので、ありのままを話した。

先ず情緒豊かな長男が涙を流した。彼にとっては2年連続の引越しでようやく仲良くなった友達とまたサヨナラする事になるのだから、当たり前だ。その姿を次男が見て、それまで我慢していた涙が次男の目から溢れた。

 

俺はこの姿を目に焼き付けておかねばならない。

 

そう思って対面に座っていた。今回のような事態を招いたのは大人である自分の責任でもあるからだ。だが、いてもたってもいられず2人の肩を抱きに机を回り込んだ。

 

「ゴメンなぁ。悲しいよな。悔しいよな。

父ちゃんも同じ気持ちだよ。」

 

そう息子達に伝えた。俺まで泣きそうになる。

だが、ありのままを話した事で、息子達は気丈にも現状を理解してくれて、引越しは悲しいけど、仕方ない事だと前向きに捉えてくれた。

その日のうちに一緒に引越先を見に行って自分達の部屋になる予定の部屋を見て、息子達も楽しみだと言ってくれた。

 

それだけで、心が救われる。

 

子供達にも学校にも地元にも話をして、引越先も引越業者も引越日も決まった。

あとはキッチリ、カタを付けるだけだ。

 

また気が向いた時に古民家裁判に関する続報を書こうと思う。

それと仕事の事や成功への道シリーズも更新していきたいと思います。

 

 

空き家バンクを利用して田舎に移住したら事故物件だった件

さて、豊田市から想定内の回答書も頂いた事だし、そろそろ本案件についてエントリーしておく事にする。

この話は、豊田市の空き家バンク制度を利用して築200年の古民家を改装し、田舎に移住した7人家族+猫2匹の現在進行系リアルストーリーである。

 

病気で亡くなったと聞いていた前住人が実は自殺だった事が移住後に発覚したのだ。地元の方々との何気ない交流から病死ではない事に妻が勘付いて、管理人に問いただした所、自白した。本当の事を言うと誰にも住んで貰えないと思って言えなかったんだと。

 

ふざけるなよ?

 こっちは毎週末、足を運んで自分達で解体して、約1000万円かけて改修したんだぞ?

 どんな思いで移住を決めたと思ってるんだ。

 悔しくて悲しくて、今まで大切にしてきた思いや期待が全て吹き飛んだ気がした。

 

古民家改修中のエントリー↓

古民家改修 解体編 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 古民家改修 解体編その2 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

古民家改修 解体編その3 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

古民家改修 解体編その4 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

古民家改修 工事編 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜 

読み返すとマジで泣けてくる。

 

更に管理人と話し合いを続けていると衝撃の事実が発覚した。なんと前々住人も自殺で亡くなっていたのだ。

 

アウト。完全にアウト。

 

詳細は割愛させて頂くが、そんな物件をわざわざ嘘を付いて説明して勧める、その神経が理解できない。しかも自殺したのは他でもない管理人の娘婿だというのに。

 

翌日、大家にも事実確認をしに行ったが、何故か被害者面だ。自分は全て管理人に任せていたから責任はない等と言っている。

余りに無恥。賃貸契約上、貸主である大家に説明責任があるのだから。管理人に一任していると言っても契約前に顔合わせや賃貸条件等の話し合いをしたわけだからその時に説明するべきだ。

 

そして豊田市の対応も全く理解できない。

豊田市へ一番最初に事実関係を確認する為に話し合いをした所、前住人が自殺していた事を知っていた事を認めたのだ。しかし、空き家バンク登録から紹介までの経緯を調査報告依頼をして、後日報告を受けた時点では亡くなった事は知っていたが、自殺だった事は知らなかったと供述を変えた。異動になっていた担当者にも同席して頂いたが、自殺の事実を知ったのは地域説明会の後に管理人が相談に来た時点だと話した。そして管理人に説明する様に促したから責任はない等と言うのだ。

賃貸契約の条件等の説明時に大家、管理人、豊田市職員、そして仲介業者として地元不動産会社、前住人(管理人の娘)同席のもと、顔合わせと話し合いを行ったが、自殺に関する説明は一切なかった。全員が知っていたにも関わらずだ。本件は重要事項説明義務違反にあたるが、賃貸契約上、責任があるのは貸主と仲介業者のみになってしまう。しかし、俺たち家族は豊田市の空き家バンク制度を利用して古民家を探し、移住を決めたのだ。

豊田市側にも登録時等において重要事項の確認、説明責任があるとし、弁護士を立てて提訴する事になった。

先日弁護士を通して豊田市に内容通知書を通達し、その回答書が届いた。豊田市からの回答は想定通り認められないという内容だったので、今月末に提訴する事になる。

今後はこの裁判についても書いていきたいと思う。人生初の裁判は思いも寄らない形で経験する事になったが、前を向いて進めていきたい。

 

前に自殺だった事が発覚した時に書いた記事↓

人生は決断の連続だ - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

人生は決断の連続で、時に間違った選択をする事や想像もできない様な事態が起きる事もある。そんな時は開き直れば良いんじゃないだろうか。このエントリーは未来の自分を励ます為に書いた。今読んでも染みるが、また気が向いた時に読み返そうと思う。

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〜悠々自適に生きる〜

御来光と豚のいびき〜3日目〜

8才の息子と富士山に登ってきた。我が家は7人家族なので、息子との初めての二人旅はお互いとても貴重な経験で、素晴らしい思い出になった。

 

初日のエントリーはコチラ↓

息子と富士山に登ってきた〜1日目〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 

前回のエントリーはコチラ↓

 息子と富士山に登ってきた〜2日目〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 

 

富士山を登り切った余韻に浸りながら、夕陽も星空も見ずに息子の寝顔だけを見ながら寝てしまった俺は、突然の目覚まし音で目が覚めた。

この頂上富士館は全員4時起床、5時チェックアウトが規則になっている。(鬼長官が宿主なんだと思う)

 

誰かが四時前に目覚ましをかけていたんだろう。自分は携帯の充電が残り僅かしかなかったので、御来光撮影の為に電源を切っていた。

目覚ましもかけていなかったので、このまま俺も起きるか布団の中で自問自答していた。

周りはガサガサ荷物を整理している音がするなと思ったら、すぐ隣から物凄い音が発生している事に気がついた。

 

「ぐごぉがぉぉおおおおお…ぐごぁぁがぉぉおおおおおお」

 

なんだコレは⁉️

まさかコレはいびきなのか⁉️

聞いた事もないような爆音が部屋中に響いている。俺の横から。

既に完全に目が覚めて意識もはっきりしている。これでは到底眠れない。

起きるしかないな。そう思ってザックの中の腕時計を見た瞬間、自分の目を疑った。

 

(おぃ。まだ2時過ぎじゃないか。)

 

さっきの目覚ましは何の為のセットだったんだ。3つぐらい隣の人が赤いヘッドライトをつけながら荷物を整理している。

 

(お前は何故こんな時間に荷物を整理しているんだ?お前か⁉️目覚ましをかけた奴は。)

 

隣から止むことのない爆音のいびきを聞きながらフリーズした。トイレに行こう。そしてついでに外に出られないか見てこようと思い立ち、すぐにヘッドライトを片手にトイレに向かった。隣には巨漢が横たわっている。

 

そういえば若い頃に出入りしていた車屋の社長が100kgオーバーの巨漢で同じ様に想像を絶するいびきをかいていたな。寝る前にあなたを見た瞬間によぎった悪い予感はこの事だったのかと、トイレに向かいながら思っていた。

 

用を済ませて玄関に向かったが、施錠されていて出られない。というか外からシャッターが降ろされていて、外の様子すらわからない状態だ。夜間外出禁止が規則なのは知っていたが、どちらかといえば今は早朝だ。見逃した星空を見て朝を待ちたいと考えていたが、鬼長官に阻まれてしまった。完全に閉じ込められている。

 

(くそっ。あそこに戻るしかないのか。)

 

もしかしたらいびきは一時的なもので今は静かになっているかもしれない。

そんな甘い期待は布団に戻ってきて吹き飛んだ。仕方なく布団に入るが、眠れる訳もない。

布団を頭まで被ってもあまり効果はない。それぐらいデカイのだ。

しかもこの布団のサイズが小さい。セミシングルとでも言おうか。普通のシングルサイズよりも細いのだ。

 

まるでセミダブルで隣の巨漢と一緒に寝ている様な距離感だ。しかもこっち向いて寝てやがる。

 

 まるで地獄。

大袈裟に聞こえるかもしれないが、その時の俺は実際にそう思っていた。

眠れない時間は途方もなく長く感じる。

時折、豚のいびきにも変化が生じる。

 

「ぐごぉがぉぉおおおおお…ぐがっ………………」

 

呼吸が止まるのだ。

余計な心配をしてしまう程、止まっている事もある。そして、遂に

 

「ぐごぉがぉぉおおおお…ぐごぁっ………すー……すー……」

 

呼吸が通った‼️

おぉぉ‼️マジか‼️おめでとうっ!

と心の中で一人歓喜していたが、数分後には安定の爆音のいびきが復活していた。

いびきの研究をしていると、厨房の辺りから作業音がしてきた。時は3時。朝食の準備をしているに違いない。事情を説明をして玄関を開けてもらおうと思い、ヘッドライト片手に食堂に向かった。

だが、厨房もシャッターが降ろされていて、従業員と接触できない。鬼長官め、徹底して隔離してやがる。

諦めて布団に戻り、朝を待つ事にした。

 

 

奇跡の御来光

気がつくと4時になり部屋の電気が点灯された。あれから少しは寝れたみたいだ。

息子を起こし、荷物をまとめて朝食を済ませる。出発の準備をしていると従業員から外は小雨が降っていると伝えられた。

 

(マジか。もしかして御来光は見られないのか。)

 

そんな不安がよぎりながら、レインコートを着て、ザックにレインカバーを取り付ける。

準備が整い、外の様子が見たくて表に出ようとすると、外には開店を待っている登山者で溢れており、一度外に出ると中には戻れないと言われた。外にはびしょ濡れの登山者がいた。小雨どころではなさそうだ。

 

「御来光は難しいですか?」

 

と従業員に尋ねると

 

「まぁ無理でしょうね。」

 

と、素っ気なく返された。

御来光も見れないのに雨の中外に出てもどうしようもないなと思い、中で待機する事に。

息子には「残念だけど、雨が降ってるから御来光は見られないみたい」と伝えると「雨なら仕方ないよね」と答えた。

 

(確かにそうなんだが、折角頑張って頂上まで登った息子に御来光を見せてやりたかった)

 

俺の方が残念な気持ちで一杯だ。

日の出は5時頃。そして5時に開店となり、外の登山者が雪崩れ込んできた。宿泊客は席を譲らなければならない。御来光が見られないなら、無理やり5時にチェックアウトさせなくても良いじゃないかと思ったが、人混みが凄かったので、息子と一旦外に出た。結構な雨だ。霧がかかっていて、風も強い。下山するには早過ぎるし、何より危なそうだ。

 

外は寒いので、再び中に戻り売店を見てみる事に。特に何もない。正直ろくな品揃えではない。山頂記念にと、日の丸の旗を1つ購入した。日付をスタンプしてくれるそうだ。

その時、無愛想な従業員が

 

「あっ、もしかしたら御来光見れるかもしれませんよ?」

 

と話しかけてきた。外に目を向けると霧が晴れて空が急に明るくなり始めている。お礼を言って息子と急いで外に出た。

 

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それまでの天気が嘘の様に、御来光を拝む事ができた。

 

息子の肩を抱きながら、感動して泣いた。

余りの美しさに。そして、諦めていたから余計に嬉しさが込み上げてきた。ここまで頑張って辿り着いた息子にこの景色を見せる事ができて、息子とこの景色を一緒に見る事ができて、感謝の気持ちで一杯になった。

 

(ありがとうございます。)

 

自然と心の中で呟いていた。

 

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逆光なのは分かっていたが、記念撮影をした。

 

外は寒く、息子は一旦中に戻るというので、山小屋まで送って、再び一人で御来光を拝みに行った。刻々と変わっていく景色に感動しながら、本当に来て良かったと実感した。

これからも頑張ろうと思えた。

 

周囲ではガイドの人等が、こんな事は滅多にないよと伝えていた。天気が変わりやすいのが山だけど、御来光のタイミングで雨が上がって霧が晴れるなんて滅多にある事じゃないよ、と。

中には自分の言った通りだとか、祈願したおかげだとか、うそぶいている人もいたけど、そんな事はどうでも良い。とにかく見れて良かった。ありがとうございますという感謝しかない。

 

そして、御来光のタイミングで僅か5分間だけ晴れ間が出た後は再び霧がかかって小雨が降り出してきた。まさに

 

奇跡の御来光

 

 そんな感じだった。

天気が本格的に崩れる前に山頂の吉田口の山小屋を目指す事にした。不安がる息子を説得し、霧雨が横から降りつける中、歩き始めた。

目的は下山用に木の杖を買う事だ。宿泊した山小屋には残念ながら置いてなかった。

昨日浅間大社の方が吉田口の山小屋は品揃えが豊富だからあるはずだと教えてくれたのだ。

 

道中吹き飛ばされそうな風の中、俺の腕にしがみつきながら息子は頑張って歩き続けた。途中休憩したいと言ったが、休める場所もなく、寒くて雨の中じゃ体力が削られるだけなので、頑張って貰った。30分程で到着した。

 

吉田口の山小屋は人気のルートなだけあり、登山者で溢れていた。雨のせいで、食堂も外まで行列。一旦列に並んで、売店に買い物してくると後ろの外国人に伝えて列を離れた。

 

「お父さん、英語喋れて凄いね!」と息子が話しかけてきて、「まぁな。」とか言いながら得意気な顔をしている自分がいた。

 

売店で御土産と杖を買った。杖には富士登頂、山頂記念というスタンプがしてある、山頂オリジナルだ。この杖に下山しながら焼印を押して貰うのも目的の1つだ。

隣の久須志神社でも焼印を押してもらい、寒いので息子は中で待機させ、食堂の列に戻った。

アメリカから来ていた黒人グループで、一人の女性が手を寒そうにしていたので、カイロを1つお礼に渡すととても喜んでいた。

 

食堂で暖かいうどんと豚汁を食べ、ココアを飲みがら天気の回復を待つ。少し日が出てきたのを見計らって、再び富士宮口を目指した。雨は止んだが、風は強い。元の山小屋に到着し、休憩した後、いよいよ下山する事に。

 

天気は徐々に回復し、息子も好調に下山できた。山小屋で休憩しながら焼印を押して貰い、約5時間で6合目まで辿り着いた。

下山途中、元気に挨拶をする息子に登山中の人達が声を掛けてくれた。

 

「元気だね〜上まで行ってきたの⁉️凄いね‼️」

 

とか

 

「まだ小さいのに凄いな〜負けてられないな。」

 

等と言われていた。そのやり取りを見ながら、8才の息子がこれから山頂を目指す大人達を勇気付けている、息子の元気な姿に励まされているのだと思った。当然息子はそんなつもりは微塵もない。ただ挨拶しているだけだ。

俺自身、子供達から学ぶ事や教えられる事は普段の日常の時から少なくないが、息子の小さな身体から溢れているエネルギーが行き交う大人を励まし勇気付けているのを目の当たりにして、単純に息子の事を凄いなと、誇らしく思えた。

 

初日に宿泊した6合目の宝永山荘で昼食を取り、登頂できましたと報告してから5合目に向かった。帰りに近くの温泉「天母の湯」に寄り2日ぶりの風呂に入って汗を流した。

安くて薬草湯も素晴らしくてオススメです。

 

帰りの車中も息子と楽しく話しながら帰る事ができ、最高の二人旅になった。

確実に旅に出る前と後ではお互いの信頼関係も違うと思うし、何より息子に取って自信になる経験が出来たと思う。

 

8才の時に富士山を登った事がある。

 

そう言える事が本人の自信に繋がると思うし、諦めなかったこと、目標を達成できたことは何より代え難い経験になるはずだ。

そして、俺自身、息子の成長を肌で感じる事ができて本当に良かった。何事も諦めないという姿をこれからも見せられる様な父親でありたいと思う。

 

〜悠々自適に生きる〜

息子と富士山に登ってきた〜2日目〜

今年9歳になる息子と富士山に登ってきた。

初めての二人旅は掛け替えのない思い出になったのは言うまでもない。

 

初日のエントリーはコチラ↓

息子と富士山に登ってきた〜1日目〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 

2日目の朝は6時半に起床、7時前に朝食を済ませた。8時出発予定だったが、時間を切り上げて7時半に出発し、一日かけて山頂を目指す。

今回俺たちが登るのは富士宮ルートで、通常大人の足で5時間半〜6時間かかるが、子供のペースだとどれくらいかかるのか検討がつかない。

富士山の登山ルートは全部で4つあり、

1番人気が吉田口ルート(約6割の登山者がこのルートで登る。山小屋の数も多く、登山道も比較的整備されているらしい)、

2番人気なのが富士宮口ルート(距離が1番短いが、険しい箇所もある。剣ヶ峰に近く、富士山頂上浅間大社奥宮があり、宿泊可能な山小屋もある。2割の登山者がこのルートだが、常連はほぼこのルート)

3、4番は割愛。

 

名古屋方面からも1番近いし、登山前の参拝も計画していた為、必然と富士宮口ルートを選んだ訳だが、とても良かった。登山ルートと下山ルートが同じ事が他のサイト等で問題視されていたが、混雑を避けて平日に登ったのも幸いし、全くストレスなく登る事ができた。むしろ登りながら声を掛けて貰ったり、励まし合った人と帰りに顔を合わす事が出来てとても励みになった。息子がまだ小さいのに頑張って登っているのを周りの登山者が感心して応援してくれるのだ。

 

「何年生?」とか「何歳なの?」

 

と聞かれ息子は、

 

「3年!」「8才!」

 

と自ら答えていた。すると多くの人が

 

「凄いねぇ‼️3年生(8才)で富士山に登るなんて‼️頑張ってね👍」

 

とエールを送ってくれるのだ。そんな人達が下山の時に再び顔を合わせて

 

「おぉ‼️少年っここまで来たのか‼️あともう少しだ‼️頑張れよ〜‼️」

 

と何人かが声を掛けてくれた。

 

「ありがとうございます‼️頑張ります‼️」

 

息子も返事を返す。

そんなやり取りがとても微笑ましく、誇らしくもあった。

 

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休憩する度に最高の景色が疲れを癒してくれる。

 

道中、息子と同い年の男の子と母親のペアがいた。何度か抜かれ抜きつつして、同じ場所で休憩している時に話をした。その子も初めての富士山で、日帰りで下山するという。行けるかは分からないが、時間が許す限り山頂を目指すという。その親子と9合目を過ぎた所で顔を合わせた。無事に頂上まで登って下りてきたらしい。とても嬉しくなり、お互い励まし合った。

 こんなエピソードも富士宮口ルートならではだと今更ながら思った。

 

 

大事なのは諦めないこと

何度も休憩しながら山頂を目指す。八合目を過ぎると徐々に道が険しくなり、引き返す人も多くなる。息子の体力もなくなってきて、休憩の頻度と時間が増えてくる。息子には時間はあるから自分のペースで登れば良いよと伝えた。

登るコースや休むタイミングを自分で判断して決めて欲しいと思っていた。

息子はどんなに疲れていても諦めることはなかったし、弱音を吐くこともなかった。

 

「行こう。」

 

そう言って立ち上がる息子が頼もしく、誇らしかった。

 

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富士登頂は決して楽ではない。

休憩しながら色んな話をした。

 

息子「8才で富士山登るのって凄いんだよね?大人でも大変なんでしょ?」

 

俺「そうだよ。大人でも頂上まで登れない人は沢山いるんだよ。子供は半分くらいしか上まで登れないんだよ。」

 

息子「そうなんだ…」

 

なんだか嬉しそうだ。

 

九合目を過ぎてからは数メートル進んでは休憩し、それを繰り返して少しづつ登っていった。

 

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カメラを向けても反応できないくらい疲れ切っている。この苦しい時の写真も、振り返った時に重要になるのだ。

 

俺「この先、生きていく上で大変な事は沢山あると思う。思い通りにいかなかったり、頑張っても上手くいかなかったり。自分でもここまで頑張ったんだから、って思うこともあるかもしれないし、もしかしたら周りの人からも十分頑張ったんだから、って言われることもあるかもしれない。そんな時に諦めるかどうか、まだ頑張れるかどうか、決めるのは自分だからね。富士山も頂上まで登るのは大人でも大変なんだから、もし、お前(息子の名前)がもう登れない、動けないってなっても仕方ないことだから…」

 

息子「イヤだ。諦めたくない。諦めるのキライだから。」

 

俺「…そうか。お父さんと一緒だな。お前も負けず嫌いなんだな。」

 

息子「負けず嫌いって何?」

 

俺「(笑)負けるのが嫌い、諦めるのが嫌いってことだよ。」

 

そんなやり取りをした。単純に嬉しかった。

純粋に、真っ直ぐ芯のある男に育ってくれている気がした。

 

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息子の背中が頼もしかった。

 

そうしてフラフラになりながらも山頂に辿り着いた。息子は登り切った喜びよりも疲労感がMAXだったらしく、早く休みたいと、興奮して喜んでいた俺を急かしていた。山小屋にチェックインして荷物を置いて、富士山頂上浅間大社奥宮を参拝し、記念撮影をした。

登頂したのは16時半、9時間かけて登った。

疲れるはずだ。

山頂の山小屋「頂上富士館」では、17時に夕食で19時には 消灯だが、息子は18時前には眠りに就いた。俺も息子の寝顔を見ながらそのまま眠ってしまった。夕焼けと星空を見るつもりだったんだが、一緒に布団に入ったら出られなくなってしまったのだw

翌朝は待望の御来光だ。楽しみで仕方ない。

 

〜悠々自適に生きる〜

 

 

 

息子と富士山に登ってきた〜1日目〜

今年9歳になる長男と富士山に登ってきた。というより登っていると言った方が正解だな。

今は6合目の山小屋「宝永山荘」でこの記事を書いている。山小屋の就寝は早いので、周りは20時半にして暗い。

今日1日を振り返ろうと思う。

 

初めての二人旅

朝9時前に出発した。余裕のある日程を組んだのであまり無理はせず、遠出にも関わらず朝早くに出発するのは控えた。十分に睡眠を取って今回の旅に臨みたかったからだ。

道中に静岡SAに寄るも11時頃には新富士ICに到着。そのまま登山前に寄る予定にしていた富士山本宮浅間神社に向かう。

 

https://www.instagram.com/p/BYSVFTija1K/

#息子と #二人旅 #富士山 #登山 #前の参拝 #富士山本宮浅間神社 #念願の霊峰富士 #邪気祓い

 

富士の神様に日頃の感謝と安全祈願をし、腹ごしらえはやはり焼きそば。俺は食いしん坊なので焼きそば以外の美味しそうな食べ物を探したのだが、検索しても焼きそばしか出てこない。

名物なのは良いのだけど、もうちょっと選択肢があっても良いと思う。

息子に焼きそばを買い、自分に餃子を購入。

 

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マジでビールが飲みたくて堪らなかった。

 

次に向かうは白糸の滝。

名滝100選にも選ばれて、世界遺産登録の一部にもなっている観光名所である。

浅間神社から20分程度で到着。

白糸の滝の手前に音止の滝なるものが在った。

 

#息子と #二人旅 #富士山 #登山 #の前に寄り道 #音止の滝 #虹が出た

 

滝の真上からも至近距離からも見れるので迫力がある。しかも虹が出ててとても綺麗だった。

そこから歩いて数分で白糸の滝に着いた。

この距離感で二つの趣が異なる滝を見れるのはお得な感じがする。

 

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白糸の滝 

マイナスイオン溢れまくりで、素晴らしい景観だった。観光客がいなければ 最高。(自分も観光客のくせに)

 

#息子と #二人旅 #富士山 #登山 #の前に観光 #白糸の滝 #マイナスイオン半端ない #名滝100選

 

一通り予定していた観光を済ませ、スカイラインを通って5合目を目指す。交通規制がかかっていたので入口付近の駐車場に車を止めて着替えてからシャトルバスで5合目を目指す。

予定通り15時頃に到着。そこから今日の宿泊先の6合目を目指す。ほんの30分程で新六合目にある宝永山荘に着いた。

今回、息子と富士登山を計画した時に何度も調べて、1番考慮したのが高山病だ。

折角来たのに高山病になって下山するケースが1番残念だからだ。

 

子連れは余裕のある日程がベスト

今回の旅を計画する上で大事なポイントは3つ。

 

・子連れペース

・高山病の回避

・御来光はマスト

 

上記3つを考慮して余裕のある日程を組んだ。

 

1日目は移動と参拝、観光。からの六合目で宿泊。初めての登山を予習体験させつつ、身体を慣らせるのが狙い。

 

2日目は朝食を取ってから8時頃出発予定。

1日かけて山頂を目指し、山頂山小屋の頂上富士館で宿泊。山頂では郵便局や散策をして、お土産を買って時間を過ごす。

 

3日目 早朝、御来光を拝む。朝食を取って下山。観光をして帰路につく。

 

 

一泊の場合、御来光を拝む為には初日に8合目以上は登らないと子供のペースでは難しい。早朝に出発して上まで登る事も考えたが、高山病のリスクが高くなってしまう。しかも8合目あたりに宿泊したとしても山頂で御来光を見る為には早朝2時頃の出発になる。そのまま下山して帰路につくのは大人でも大変なので、今回は観光も回りながら余裕のある日程を組んだ。

富士山に登る事も大事な目的だが、1番大事な事は初めて息子と二人で旅をする事だからだ。

楽しくなければ意味がない。

富士登山は大人でも大変で慣れてない人はもう二度と登りたくないと言う人も多い。そういう人は大抵弾丸登山なのだ。強者は1日2登3登するらしいが(山小屋で会った常連さんは最高6登したらしい。短パンTシャツで異様な出で立ちだった。意味不明だ)、一般人は弾丸往復は止めた方が良いらしい。観光庁も警告するぐらいだから。事実、今日も救助ヘリが山頂付近に向かっていたし、5合目に救急車も来ていた。

 

余裕のある日程のお陰で、6合目の宝永山の火口まで散策できた。溶岩の赤い石がそこら中に転がっていて、富士山の別の顔が見れて素晴らしかった。

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他とは違う景色が広がっている。

 

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デカイ岩がゴロゴロしている。噴火で飛んでくるのか、落石で転がってくるのか、そこら中に集まってきている。

長男初登場。

 

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俺。馬鹿は高い所が好きなのだ。

必死に格好付けている様が笑えたので初掲載。

 

9歳の危機

という言葉を聞いた事があるだろうか。田舎に引っ越す前に息子が通っていたシュタイナー学園では9歳という時期を非常に重要視しているのだ。創始者であるルドルフ・シュタイナーは9歳を「人生で最も大事な節目」とまで言っている。「9歳の危機」とはなんぞや。

以下coco café+さんより引用

 

お母さんのお腹から生まれて子どもの身体がお母さんと離れるが、模倣を通して結びついていた外界の事物から、模倣力の力を失った9歳の子どもは、自分と周りの世界との一体感から抜け出し、自分を世界の中に存在する「個」として感じるようになる。

それは、それまで疑いもせずに安心しきっ

ていたまわりの世界(父・母・友達・先生)から切り離された孤独感や不安定感を抱き、不安定な状態に陥る。

この孤独で不安な時期は「9歳の危機」と呼ばれている。

自分という存在が世界から切り離されていると感じるということは、自分と世界との間に距離を持つようになるということでもある。距離を持つことによって、子どもたちははじめて世界を客観的に見る目を持ち始める。それまでの世界との一体感の中で夢見るような状態にあった子どもたちが、大地に足を降ろすための大きな転換を始めたということ。

また、この時期には、不安な夢を見ることがある。
肉体的にも負担が大きく、頭痛や腹痛を訴えることもある。
「死」を怖がったり、わけもなくメソメソ泣いたりする。

シュタイナーは、9歳の節目について

「この時期の問題は、かえって思春期の問題よりも繊細に扱わなければならない」

と言っている。

子どもがこうした難しい節目にあるとき、大人たちがそれをどのように見守ってやるかが大変重要ということ。

仲正雄さんのわかりやすい言葉でいうと・・・

この9歳の頃に、子どもは自分が今まで信じていたものがふっと信じられなくなってしまう。今まであんなに大好きだったお父さんやお母さんたちが、どこかちょっと他人ぽくなっちゃう。自分の味方でしかなかったお母さんが、あの人は他人だとわかっちゃった。他人だとわかって苦しいところに
「あんた、宿題したの?」
「食事よ!」
とか言っちゃうと、「他人が私に対して言うことじゃない」と、子どもは傷つき、腹を立てたり、それを整理できなかたりする。
同時に「死」という問題が顔を出す。
「死んじゃうの?」というのは、今まで自分が守られているというところで安心していたものが、ふっと感じられなくなるときに出てくる「不安」を表現する言葉だと思ってください。

ところが、9歳という時期に「自分は将来何になる」ということが具体的になったりする。

9歳の頃、幼児期にあった守ってくれる力を自分で取り払いながら、今度は前を見て、自分の人生で何をしたらいいのかということを直感的に感じ取る。

自分の幼児期とお別れする自分が寂しいし、また、自分の中に新しく生まれてくる、自分のこれからの人生に対して向かう勇気のようなもの、それをもらってくる時期である。

9歳の危機 | coco cafe +

 

だそうな。正直俺はあまり良く理解してなかったのだけど、引っ越す前に当時の担任の先生から是非息子さんと二人で何かに挑戦する機会を作ってあげてくださいと言われていたのだ。何処かに旅行に行くだけでも構わないと。でも、うちは家族が多いので、二人きりで過ごせる時間が大事ですと。

それを聞いて、妻からも是非何処かに連れて行ってあげてよと言われ、今回の旅を計画したのだ。確かに長男は物心ついた時から弟と妹がいて常にお兄ちゃんとして頑張ってくれていたのに、殆ど二人きりでゆっくり話したり過ごす時間が取れていなかったし、単純に俺自身も面白そうだし息子の成長を肌で感じたいと思って富士山を一緒に登る事を決めたんだ。

出発前日に二人で登山用品を買い出しに行き、荷造りをした。ワクワクしている自分がいた。勿論息子は目をキラキラさせている。

それだけで十分だ。明日は登山本番。

思う存分楽しもうと思う。

 

〜悠々自適に生きる〜

 

 

成功への道⑤〜理想の人生を生きる為に〜

独立編

アメリカ留学から帰国した後、3年でLAに戻る予定だったが、1年も経たない間に自転車女と電撃デキ婚を果たし、その後も最速でハットトリックを決めて僅か4年半で会社を辞めた俺は新たな船出に意気揚々としていた。不安と期待が入り混じる感覚がどことなく渡米前の感覚に似ている気がしたのをよく覚えている。

 

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ここで言う「成功」というのは単に世間一般でいう「大金持ち」になる事ではない。「自分の理想の人生を生きる」ことを一言で「成功」と位置付けた。そして勿論、自分自身「成功」している訳でも「大金持ち」な訳でもない。今まで歩んで来た道、これから進む目指すべき「成功」への道を自分の為に記録する事にしただけだ。そんな(今はまだ誰も知らない)自信家ベンチャー起業社長の物語シリーズである。
物語シリーズ①はこちら
成功への道①〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

前回の物語シリーズはこちら
成功への道④〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 

 前回のシリーズで殆ど準備もしないまま起業する事になったと書いたが少し訂正しておきたい。実際には全く準備も何もしていなかった。

本来設計業界で独立を目指すのであれば、アトリエ系であろうと設計会社系であろうと先ずは資格を取得し、資金を貯めて、在籍中に自分の作品と呼べる案件を担当し、ポートフォリオを作成して独立するというのが一般的なというか頭の良い人が用意周到に進める準備万全な独立までの流れだ。

しかし、俺には何もなかった。一級建築士の資格は業界では「足の裏の米粒」とも揶揄されており、つまりは取っても取らなくても大差がないと言われている。激務の合間に勉強をして苦労して取得してもそれで仕事が取れる訳でもないし、実践経験に勝るものはないけど、現場監督や建築事務所の代表をするなら取った方が良いよね、ぐらいの印象だ。俺はインテリアと照明デザインを専門にしていたので、それこそコーディネーターとか二級建築士とか何の役にもたたない資格には一切興味がなかった。(ただの惰性と言い訳に過ぎないが)

そして、勿論安月給で家族4人で生活していたのだから資金等と呼ぶのもおこがましい、貯金すらなかった。あてにしたのは僅かな退職金だが、それも60万程度だ。四年半しか働いていないのだから貰えるだけ有難いが、PCとCADのソフトを購入して使い果たした。まさに木棒と布の服で冒険を始めた様なものだった。

 

退社までの半年間と退社後の半年間

南相馬市でボランティア中に衝撃の第三子ご懐妊の報告を受けたのが4月。担当していた案件の実施設計図提出もあり(コレが1番大変なのだ)、会社を退社したのが10月だから、独立するか転職するか(違う業界に行くか)を悩んでいた時期もあるが妊娠発覚後の約半年間はそれなりに準備をし始めた。先ずは本を読む事からw

個人事業主として設計事務所を開設するノウハウ本みたいな本を数冊読みながらフムフムと分かったつもりになるのだ。

その後は周りの人に独立する事を相談しながらそれとなく営業をしていた。そして、その営業の甲斐あって独立後に自社ビル建設のデザインを依頼してくれるという会長が現れたのだ。

流石は俺。この歳でホテル案件をこなしてきてる奴はそういない筈だ。思った通りだ。やはりイケるな!コレは!と自信満々だった。

在籍中にも関わらず、忙しい業務の合間にラフプランとCGパースと設計料の見積書を作成してプレゼンした。ポートフォリオの作成も忘れていなかった。一発OK。

退職する前に独立後の仕事を獲得できるなんて

 

やはり俺は天才だな

 

自画自賛していた。

勿論俺は資格もないし建築の法規や構造なんかは専門外なので、その辺りは独立していた先輩設計士と協業する事にしていてその旨も説明していた。建設は地元の馴染みの業者だ。そこの社長と担当者を紹介されて自己紹介とラフプランを説明した。先方は若い俺を下に見る感じの嫌な対応だったが、別に気にしない。そんなのはこの先もずっと付き纏うのだから。この業界で20代は半人前の素人扱い、30代で若手と言われるが、殆ど相手にもされない。当時28歳だった俺は当然ちんちくりん扱いされても仕方ないぐらいなのだ。

 

そんな訳で何も準備もしていない状態で独立を決めた俺だったが退職までの半年間でできる限りの準備をし、退職と同時に開業届けを提出して晴れて独立を果たした。既に最初の案件は決まっている。順調なスタートを切る事が出来た。俺もやるべき事はやってきたし、苦労も人一倍してきたつもりだ。解る人には解って貰える。そう実感した。

 

そして、退職後、新しい名刺を作って会長の元へ挨拶に行くと何やらいつもと様子が違う。

 どうやら事務所移転の為に購入した物件に当分本社機能を移して自社ビル建設は延期するという。自社ビルの上階に社長である娘家族が住む予定だった筈が「そんな所に住みたくない」と言ってきたらしい。マジか。当然合意の上で話を進めているものと思っていたが。

いつまで延期するのか聞いても未定だと言われて話が終わる。終いにはそもそも俺は資格を持っていないそうじゃないかと(何度も説明した筈だが)言われ、結局この案件は中止になった。地元の建設会社から何か言われたのかもしれないが、

 

世の中そんなに甘くない

 

結局はそういう事だ。プレゼン費用の30万だけ払って貰って振り出しに戻る事になった。

 

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その後は必死に営業したつもりだが、当然20代の若造に大事な設計を任せてくれる人などいるはずもなく仕事は全くなかった。

前の会社に在籍中だった頃の担当物件をポートフォリオにまとめてプレゼンした所で独立してからの作品はないのか?と聞かれてお終いだ。

一級建築士の資格は持ってるのかとも聞かれ、自分はインテリアと照明デザインが専門ですのでと伝えても先方には理解されない。

 

無収入の月が数ヶ月続いた。

 元々貯金もなかった訳だから当然生活費が足りなくなる。クレジットカードで誤魔化してきたが、支払いも間に合わない。

日本政策金融公庫から何とか調達した300万も生活費の支払いであっという間になくなった。

消費者金融も限度額まであと僅かだ。数ヶ月後には3人目が産まれてくるというのに、マジでヤバイ。焦燥感が半端ない。

 営業に行こうにも行く先もない。物を売る商売ではなく自分を売る商売なのだから、周りに頼った所で案件がなければ話にならない。どうすれば良いのか、何をすれば良いのかもわからない。前の会社の業者さんからプレゼン資料の作成の下請で提案をしたりしたが、採用されなければ仕事にはならない。資料作成の下請け業務だけでは当然生活ができないのだ。

そんな状態が数ヶ月続き、いよいよ3人目が産まれてくる。このままでは一家5人で路頭に迷う事になる。

そんな不安に押し潰されそうになった俺は知り合いの設計事務所にバイトで雇って貰えないかとお願いした。仕事が軌道に乗るまで、時給で構いませんのでお願いしますと。

 こうして昼間や夜中に在宅でバイトの作業をしながら合間の時間で自分の仕事(プレゼン資料作成の下請け)をこなす日々が始まり、少しした頃に

 

3人目が産まれた。

 

腕の中で眠る産まれたての赤ん坊を眺めながら、このままではダメだ、何とかしなければならないと言葉にはし難い憤りを感じていた。

 

〜悠々自適に生きる〜