悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

脱サラした父ちゃんが山奥の古民家に移住し、5人の子育てに奮闘しながら悠々自適に暮らしている日々の生活をゆる〜く発信します。

御来光と豚のいびき〜3日目〜

8才の息子と富士山に登ってきた。我が家は7人家族なので、息子との初めての二人旅はお互いとても貴重な経験で、素晴らしい思い出になった。

 

初日のエントリーはコチラ↓

息子と富士山に登ってきた〜1日目〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 

前回のエントリーはコチラ↓

 息子と富士山に登ってきた〜2日目〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 

 

富士山を登り切った余韻に浸りながら、夕陽も星空も見ずに息子の寝顔だけを見ながら寝てしまった俺は、突然の目覚まし音で目が覚めた。

この頂上富士館は全員4時起床、5時チェックアウトが規則になっている。(鬼長官が宿主なんだと思う)

 

誰かが四時前に目覚ましをかけていたんだろう。自分は携帯の充電が残り僅かしかなかったので、御来光撮影の為に電源を切っていた。

目覚ましもかけていなかったので、このまま俺も起きるか布団の中で自問自答していた。

周りはガサガサ荷物を整理している音がするなと思ったら、すぐ隣から物凄い音が発生している事に気がついた。

 

「ぐごぉがぉぉおおおおお…ぐごぁぁがぉぉおおおおおお」

 

なんだコレは⁉️

まさかコレはいびきなのか⁉️

聞いた事もないような爆音が部屋中に響いている。俺の横から。

既に完全に目が覚めて意識もはっきりしている。これでは到底眠れない。

起きるしかないな。そう思ってザックの中の腕時計を見た瞬間、自分の目を疑った。

 

(おぃ。まだ2時過ぎじゃないか。)

 

さっきの目覚ましは何の為のセットだったんだ。3つぐらい隣の人が赤いヘッドライトをつけながら荷物を整理している。

 

(お前は何故こんな時間に荷物を整理しているんだ?お前か⁉️目覚ましをかけた奴は。)

 

隣から止むことのない爆音のいびきを聞きながらフリーズした。トイレに行こう。そしてついでに外に出られないか見てこようと思い立ち、すぐにヘッドライトを片手にトイレに向かった。隣には巨漢が横たわっている。

 

そういえば若い頃に出入りしていた車屋の社長が100kgオーバーの巨漢で同じ様に想像を絶するいびきをかいていたな。寝る前にあなたを見た瞬間によぎった悪い予感はこの事だったのかと、トイレに向かいながら思っていた。

 

用を済ませて玄関に向かったが、施錠されていて出られない。というか外からシャッターが降ろされていて、外の様子すらわからない状態だ。夜間外出禁止が規則なのは知っていたが、どちらかといえば今は早朝だ。見逃した星空を見て朝を待ちたいと考えていたが、鬼長官に阻まれてしまった。完全に閉じ込められている。

 

(くそっ。あそこに戻るしかないのか。)

 

もしかしたらいびきは一時的なもので今は静かになっているかもしれない。

そんな甘い期待は布団に戻ってきて吹き飛んだ。仕方なく布団に入るが、眠れる訳もない。

布団を頭まで被ってもあまり効果はない。それぐらいデカイのだ。

しかもこの布団のサイズが小さい。セミシングルとでも言おうか。普通のシングルサイズよりも細いのだ。

 

まるでセミダブルで隣の巨漢と一緒に寝ている様な距離感だ。しかもこっち向いて寝てやがる。

 

 まるで地獄。

大袈裟に聞こえるかもしれないが、その時の俺は実際にそう思っていた。

眠れない時間は途方もなく長く感じる。

時折、豚のいびきにも変化が生じる。

 

「ぐごぉがぉぉおおおおお…ぐがっ………………」

 

呼吸が止まるのだ。

余計な心配をしてしまう程、止まっている事もある。そして、遂に

 

「ぐごぉがぉぉおおおお…ぐごぁっ………すー……すー……」

 

呼吸が通った‼️

おぉぉ‼️マジか‼️おめでとうっ!

と心の中で一人歓喜していたが、数分後には安定の爆音のいびきが復活していた。

いびきの研究をしていると、厨房の辺りから作業音がしてきた。時は3時。朝食の準備をしているに違いない。事情を説明をして玄関を開けてもらおうと思い、ヘッドライト片手に食堂に向かった。

だが、厨房もシャッターが降ろされていて、従業員と接触できない。鬼長官め、徹底して隔離してやがる。

諦めて布団に戻り、朝を待つ事にした。

 

 

奇跡の御来光

気がつくと4時になり部屋の電気が点灯された。あれから少しは寝れたみたいだ。

息子を起こし、荷物をまとめて朝食を済ませる。出発の準備をしていると従業員から外は小雨が降っていると伝えられた。

 

(マジか。もしかして御来光は見られないのか。)

 

そんな不安がよぎりながら、レインコートを着て、ザックにレインカバーを取り付ける。

準備が整い、外の様子が見たくて表に出ようとすると、外には開店を待っている登山者で溢れており、一度外に出ると中には戻れないと言われた。外にはびしょ濡れの登山者がいた。小雨どころではなさそうだ。

 

「御来光は難しいですか?」

 

と従業員に尋ねると

 

「まぁ無理でしょうね。」

 

と、素っ気なく返された。

御来光も見れないのに雨の中外に出てもどうしようもないなと思い、中で待機する事に。

息子には「残念だけど、雨が降ってるから御来光は見られないみたい」と伝えると「雨なら仕方ないよね」と答えた。

 

(確かにそうなんだが、折角頑張って頂上まで登った息子に御来光を見せてやりたかった)

 

俺の方が残念な気持ちで一杯だ。

日の出は5時頃。そして5時に開店となり、外の登山者が雪崩れ込んできた。宿泊客は席を譲らなければならない。御来光が見られないなら、無理やり5時にチェックアウトさせなくても良いじゃないかと思ったが、人混みが凄かったので、息子と一旦外に出た。結構な雨だ。霧がかかっていて、風も強い。下山するには早過ぎるし、何より危なそうだ。

 

外は寒いので、再び中に戻り売店を見てみる事に。特に何もない。正直ろくな品揃えではない。山頂記念にと、日の丸の旗を1つ購入した。日付をスタンプしてくれるそうだ。

その時、無愛想な従業員が

 

「あっ、もしかしたら御来光見れるかもしれませんよ?」

 

と話しかけてきた。外に目を向けると霧が晴れて空が急に明るくなり始めている。お礼を言って息子と急いで外に出た。

 

f:id:yuyunikki:20170901105901j:image

それまでの天気が嘘の様に、御来光を拝む事ができた。

 

息子の肩を抱きながら、感動して泣いた。

余りの美しさに。そして、諦めていたから余計に嬉しさが込み上げてきた。ここまで頑張って辿り着いた息子にこの景色を見せる事ができて、息子とこの景色を一緒に見る事ができて、感謝の気持ちで一杯になった。

 

(ありがとうございます。)

 

自然と心の中で呟いていた。

 

f:id:yuyunikki:20170901110552j:image

逆光なのは分かっていたが、記念撮影をした。

 

外は寒く、息子は一旦中に戻るというので、山小屋まで送って、再び一人で御来光を拝みに行った。刻々と変わっていく景色に感動しながら、本当に来て良かったと実感した。

これからも頑張ろうと思えた。

 

周囲ではガイドの人等が、こんな事は滅多にないよと伝えていた。天気が変わりやすいのが山だけど、御来光のタイミングで雨が上がって霧が晴れるなんて滅多にある事じゃないよ、と。

中には自分の言った通りだとか、祈願したおかげだとか、うそぶいている人もいたけど、そんな事はどうでも良い。とにかく見れて良かった。ありがとうございますという感謝しかない。

 

そして、御来光のタイミングで僅か5分間だけ晴れ間が出た後は再び霧がかかって小雨が降り出してきた。まさに

 

奇跡の御来光

 

 そんな感じだった。

天気が本格的に崩れる前に山頂の吉田口の山小屋を目指す事にした。不安がる息子を説得し、霧雨が横から降りつける中、歩き始めた。

目的は下山用に木の杖を買う事だ。宿泊した山小屋には残念ながら置いてなかった。

昨日浅間大社の方が吉田口の山小屋は品揃えが豊富だからあるはずだと教えてくれたのだ。

 

道中吹き飛ばされそうな風の中、俺の腕にしがみつきながら息子は頑張って歩き続けた。途中休憩したいと言ったが、休める場所もなく、寒くて雨の中じゃ体力が削られるだけなので、頑張って貰った。30分程で到着した。

 

吉田口の山小屋は人気のルートなだけあり、登山者で溢れていた。雨のせいで、食堂も外まで行列。一旦列に並んで、売店に買い物してくると後ろの外国人に伝えて列を離れた。

 

「お父さん、英語喋れて凄いね!」と息子が話しかけてきて、「まぁな。」とか言いながら得意気な顔をしている自分がいた。

 

売店で御土産と杖を買った。杖には富士登頂、山頂記念というスタンプがしてある、山頂オリジナルだ。この杖に下山しながら焼印を押して貰うのも目的の1つだ。

隣の久須志神社でも焼印を押してもらい、寒いので息子は中で待機させ、食堂の列に戻った。

アメリカから来ていた黒人グループで、一人の女性が手を寒そうにしていたので、カイロを1つお礼に渡すととても喜んでいた。

 

食堂で暖かいうどんと豚汁を食べ、ココアを飲みがら天気の回復を待つ。少し日が出てきたのを見計らって、再び富士宮口を目指した。雨は止んだが、風は強い。元の山小屋に到着し、休憩した後、いよいよ下山する事に。

 

天気は徐々に回復し、息子も好調に下山できた。山小屋で休憩しながら焼印を押して貰い、約5時間で6合目まで辿り着いた。

下山途中、元気に挨拶をする息子に登山中の人達が声を掛けてくれた。

 

「元気だね〜上まで行ってきたの⁉️凄いね‼️」

 

とか

 

「まだ小さいのに凄いな〜負けてられないな。」

 

等と言われていた。そのやり取りを見ながら、8才の息子がこれから山頂を目指す大人達を勇気付けている、息子の元気な姿に励まされているのだと思った。当然息子はそんなつもりは微塵もない。ただ挨拶しているだけだ。

俺自身、子供達から学ぶ事や教えられる事は普段の日常の時から少なくないが、息子の小さな身体から溢れているエネルギーが行き交う大人を励まし勇気付けているのを目の当たりにして、単純に息子の事を凄いなと、誇らしく思えた。

 

初日に宿泊した6合目の宝永山荘で昼食を取り、登頂できましたと報告してから5合目に向かった。帰りに近くの温泉「天母の湯」に寄り2日ぶりの風呂に入って汗を流した。

安くて薬草湯も素晴らしくてオススメです。

 

帰りの車中も息子と楽しく話しながら帰る事ができ、最高の二人旅になった。

確実に旅に出る前と後ではお互いの信頼関係も違うと思うし、何より息子に取って自信になる経験が出来たと思う。

 

8才の時に富士山を登った事がある。

 

そう言える事が本人の自信に繋がると思うし、諦めなかったこと、目標を達成できたことは何より代え難い経験になるはずだ。

そして、俺自身、息子の成長を肌で感じる事ができて本当に良かった。何事も諦めないという姿をこれからも見せられる様な父親でありたいと思う。

 

〜悠々自適に生きる〜

息子と富士山に登ってきた〜2日目〜

今年9歳になる息子と富士山に登ってきた。

初めての二人旅は掛け替えのない思い出になったのは言うまでもない。

 

初日のエントリーはコチラ↓

息子と富士山に登ってきた〜1日目〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 

2日目の朝は6時半に起床、7時前に朝食を済ませた。8時出発予定だったが、時間を切り上げて7時半に出発し、一日かけて山頂を目指す。

今回俺たちが登るのは富士宮ルートで、通常大人の足で5時間半〜6時間かかるが、子供のペースだとどれくらいかかるのか検討がつかない。

富士山の登山ルートは全部で4つあり、

1番人気が吉田口ルート(約6割の登山者がこのルートで登る。山小屋の数も多く、登山道も比較的整備されているらしい)、

2番人気なのが富士宮口ルート(距離が1番短いが、険しい箇所もある。剣ヶ峰に近く、富士山頂上浅間大社奥宮があり、宿泊可能な山小屋もある。2割の登山者がこのルートだが、常連はほぼこのルート)

3、4番は割愛。

 

名古屋方面からも1番近いし、登山前の参拝も計画していた為、必然と富士宮口ルートを選んだ訳だが、とても良かった。登山ルートと下山ルートが同じ事が他のサイト等で問題視されていたが、混雑を避けて平日に登ったのも幸いし、全くストレスなく登る事ができた。むしろ登りながら声を掛けて貰ったり、励まし合った人と帰りに顔を合わす事が出来てとても励みになった。息子がまだ小さいのに頑張って登っているのを周りの登山者が感心して応援してくれるのだ。

 

「何年生?」とか「何歳なの?」

 

と聞かれ息子は、

 

「3年!」「8才!」

 

と自ら答えていた。すると多くの人が

 

「凄いねぇ‼️3年生(8才)で富士山に登るなんて‼️頑張ってね👍」

 

とエールを送ってくれるのだ。そんな人達が下山の時に再び顔を合わせて

 

「おぉ‼️少年っここまで来たのか‼️あともう少しだ‼️頑張れよ〜‼️」

 

と何人かが声を掛けてくれた。

 

「ありがとうございます‼️頑張ります‼️」

 

息子も返事を返す。

そんなやり取りがとても微笑ましく、誇らしくもあった。

 

f:id:yuyunikki:20170830153452j:image

休憩する度に最高の景色が疲れを癒してくれる。

 

道中、息子と同い年の男の子と母親のペアがいた。何度か抜かれ抜きつつして、同じ場所で休憩している時に話をした。その子も初めての富士山で、日帰りで下山するという。行けるかは分からないが、時間が許す限り山頂を目指すという。その親子と9合目を過ぎた所で顔を合わせた。無事に頂上まで登って下りてきたらしい。とても嬉しくなり、お互い励まし合った。

 こんなエピソードも富士宮口ルートならではだと今更ながら思った。

 

 

大事なのは諦めないこと

何度も休憩しながら山頂を目指す。八合目を過ぎると徐々に道が険しくなり、引き返す人も多くなる。息子の体力もなくなってきて、休憩の頻度と時間が増えてくる。息子には時間はあるから自分のペースで登れば良いよと伝えた。

登るコースや休むタイミングを自分で判断して決めて欲しいと思っていた。

息子はどんなに疲れていても諦めることはなかったし、弱音を吐くこともなかった。

 

「行こう。」

 

そう言って立ち上がる息子が頼もしく、誇らしかった。

 

f:id:yuyunikki:20170830160100j:image

富士登頂は決して楽ではない。

休憩しながら色んな話をした。

 

息子「8才で富士山登るのって凄いんだよね?大人でも大変なんでしょ?」

 

俺「そうだよ。大人でも頂上まで登れない人は沢山いるんだよ。子供は半分くらいしか上まで登れないんだよ。」

 

息子「そうなんだ…」

 

なんだか嬉しそうだ。

 

九合目を過ぎてからは数メートル進んでは休憩し、それを繰り返して少しづつ登っていった。

 

f:id:yuyunikki:20170830160328j:image

カメラを向けても反応できないくらい疲れ切っている。この苦しい時の写真も、振り返った時に重要になるのだ。

 

俺「この先、生きていく上で大変な事は沢山あると思う。思い通りにいかなかったり、頑張っても上手くいかなかったり。自分でもここまで頑張ったんだから、って思うこともあるかもしれないし、もしかしたら周りの人からも十分頑張ったんだから、って言われることもあるかもしれない。そんな時に諦めるかどうか、まだ頑張れるかどうか、決めるのは自分だからね。富士山も頂上まで登るのは大人でも大変なんだから、もし、お前(息子の名前)がもう登れない、動けないってなっても仕方ないことだから…」

 

息子「イヤだ。諦めたくない。諦めるのキライだから。」

 

俺「…そうか。お父さんと一緒だな。お前も負けず嫌いなんだな。」

 

息子「負けず嫌いって何?」

 

俺「(笑)負けるのが嫌い、諦めるのが嫌いってことだよ。」

 

そんなやり取りをした。単純に嬉しかった。

純粋に、真っ直ぐ芯のある男に育ってくれている気がした。

 

f:id:yuyunikki:20170830164035j:image

息子の背中が頼もしかった。

 

そうしてフラフラになりながらも山頂に辿り着いた。息子は登り切った喜びよりも疲労感がMAXだったらしく、早く休みたいと、興奮して喜んでいた俺を急かしていた。山小屋にチェックインして荷物を置いて、富士山頂上浅間大社奥宮を参拝し、記念撮影をした。

登頂したのは16時半、9時間かけて登った。

疲れるはずだ。

山頂の山小屋「頂上富士館」では、17時に夕食で19時には 消灯だが、息子は18時前には眠りに就いた。俺も息子の寝顔を見ながらそのまま眠ってしまった。夕焼けと星空を見るつもりだったんだが、一緒に布団に入ったら出られなくなってしまったのだw

翌朝は待望の御来光だ。楽しみで仕方ない。

 

〜悠々自適に生きる〜

 

 

 

息子と富士山に登ってきた〜1日目〜

今年9歳になる長男と富士山に登ってきた。というより登っていると言った方が正解だな。

今は6合目の山小屋「宝永山荘」でこの記事を書いている。山小屋の就寝は早いので、周りは20時半にして暗い。

今日1日を振り返ろうと思う。

 

初めての二人旅

朝9時前に出発した。余裕のある日程を組んだのであまり無理はせず、遠出にも関わらず朝早くに出発するのは控えた。十分に睡眠を取って今回の旅に臨みたかったからだ。

道中に静岡SAに寄るも11時頃には新富士ICに到着。そのまま登山前に寄る予定にしていた富士山本宮浅間神社に向かう。

 

https://www.instagram.com/p/BYSVFTija1K/

#息子と #二人旅 #富士山 #登山 #前の参拝 #富士山本宮浅間神社 #念願の霊峰富士 #邪気祓い

 

富士の神様に日頃の感謝と安全祈願をし、腹ごしらえはやはり焼きそば。俺は食いしん坊なので焼きそば以外の美味しそうな食べ物を探したのだが、検索しても焼きそばしか出てこない。

名物なのは良いのだけど、もうちょっと選択肢があっても良いと思う。

息子に焼きそばを買い、自分に餃子を購入。

 

f:id:yuyunikki:20170827205125j:image

マジでビールが飲みたくて堪らなかった。

 

次に向かうは白糸の滝。

名滝100選にも選ばれて、世界遺産登録の一部にもなっている観光名所である。

浅間神社から20分程度で到着。

白糸の滝の手前に音止の滝なるものが在った。

 

#息子と #二人旅 #富士山 #登山 #の前に寄り道 #音止の滝 #虹が出た

 

滝の真上からも至近距離からも見れるので迫力がある。しかも虹が出ててとても綺麗だった。

そこから歩いて数分で白糸の滝に着いた。

この距離感で二つの趣が異なる滝を見れるのはお得な感じがする。

 

f:id:yuyunikki:20170827205954j:image

白糸の滝 

マイナスイオン溢れまくりで、素晴らしい景観だった。観光客がいなければ 最高。(自分も観光客のくせに)

 

#息子と #二人旅 #富士山 #登山 #の前に観光 #白糸の滝 #マイナスイオン半端ない #名滝100選

 

一通り予定していた観光を済ませ、スカイラインを通って5合目を目指す。交通規制がかかっていたので入口付近の駐車場に車を止めて着替えてからシャトルバスで5合目を目指す。

予定通り15時頃に到着。そこから今日の宿泊先の6合目を目指す。ほんの30分程で新六合目にある宝永山荘に着いた。

今回、息子と富士登山を計画した時に何度も調べて、1番考慮したのが高山病だ。

折角来たのに高山病になって下山するケースが1番残念だからだ。

 

子連れは余裕のある日程がベスト

今回の旅を計画する上で大事なポイントは3つ。

 

・子連れペース

・高山病の回避

・御来光はマスト

 

上記3つを考慮して余裕のある日程を組んだ。

 

1日目は移動と参拝、観光。からの六合目で宿泊。初めての登山を予習体験させつつ、身体を慣らせるのが狙い。

 

2日目は朝食を取ってから8時頃出発予定。

1日かけて山頂を目指し、山頂山小屋の頂上富士館で宿泊。山頂では郵便局や散策をして、お土産を買って時間を過ごす。

 

3日目 早朝、御来光を拝む。朝食を取って下山。観光をして帰路につく。

 

 

一泊の場合、御来光を拝む為には初日に8合目以上は登らないと子供のペースでは難しい。早朝に出発して上まで登る事も考えたが、高山病のリスクが高くなってしまう。しかも8合目あたりに宿泊したとしても山頂で御来光を見る為には早朝2時頃の出発になる。そのまま下山して帰路につくのは大人でも大変なので、今回は観光も回りながら余裕のある日程を組んだ。

富士山に登る事も大事な目的だが、1番大事な事は初めて息子と二人で旅をする事だからだ。

楽しくなければ意味がない。

富士登山は大人でも大変で慣れてない人はもう二度と登りたくないと言う人も多い。そういう人は大抵弾丸登山なのだ。強者は1日2登3登するらしいが(山小屋で会った常連さんは最高6登したらしい。短パンTシャツで異様な出で立ちだった。意味不明だ)、一般人は弾丸往復は止めた方が良いらしい。観光庁も警告するぐらいだから。事実、今日も救助ヘリが山頂付近に向かっていたし、5合目に救急車も来ていた。

 

余裕のある日程のお陰で、6合目の宝永山の火口まで散策できた。溶岩の赤い石がそこら中に転がっていて、富士山の別の顔が見れて素晴らしかった。

f:id:yuyunikki:20170827214127j:image

他とは違う景色が広がっている。

 

f:id:yuyunikki:20170827214154j:image

デカイ岩がゴロゴロしている。噴火で飛んでくるのか、落石で転がってくるのか、そこら中に集まってきている。

長男初登場。

 

f:id:yuyunikki:20170827214350j:image

俺。馬鹿は高い所が好きなのだ。

必死に格好付けている様が笑えたので初掲載。

 

9歳の危機

という言葉を聞いた事があるだろうか。田舎に引っ越す前に息子が通っていたシュタイナー学園では9歳という時期を非常に重要視しているのだ。創始者であるルドルフ・シュタイナーは9歳を「人生で最も大事な節目」とまで言っている。「9歳の危機」とはなんぞや。

以下coco café+さんより引用

 

お母さんのお腹から生まれて子どもの身体がお母さんと離れるが、模倣を通して結びついていた外界の事物から、模倣力の力を失った9歳の子どもは、自分と周りの世界との一体感から抜け出し、自分を世界の中に存在する「個」として感じるようになる。

それは、それまで疑いもせずに安心しきっ

ていたまわりの世界(父・母・友達・先生)から切り離された孤独感や不安定感を抱き、不安定な状態に陥る。

この孤独で不安な時期は「9歳の危機」と呼ばれている。

自分という存在が世界から切り離されていると感じるということは、自分と世界との間に距離を持つようになるということでもある。距離を持つことによって、子どもたちははじめて世界を客観的に見る目を持ち始める。それまでの世界との一体感の中で夢見るような状態にあった子どもたちが、大地に足を降ろすための大きな転換を始めたということ。

また、この時期には、不安な夢を見ることがある。
肉体的にも負担が大きく、頭痛や腹痛を訴えることもある。
「死」を怖がったり、わけもなくメソメソ泣いたりする。

シュタイナーは、9歳の節目について

「この時期の問題は、かえって思春期の問題よりも繊細に扱わなければならない」

と言っている。

子どもがこうした難しい節目にあるとき、大人たちがそれをどのように見守ってやるかが大変重要ということ。

仲正雄さんのわかりやすい言葉でいうと・・・

この9歳の頃に、子どもは自分が今まで信じていたものがふっと信じられなくなってしまう。今まであんなに大好きだったお父さんやお母さんたちが、どこかちょっと他人ぽくなっちゃう。自分の味方でしかなかったお母さんが、あの人は他人だとわかっちゃった。他人だとわかって苦しいところに
「あんた、宿題したの?」
「食事よ!」
とか言っちゃうと、「他人が私に対して言うことじゃない」と、子どもは傷つき、腹を立てたり、それを整理できなかたりする。
同時に「死」という問題が顔を出す。
「死んじゃうの?」というのは、今まで自分が守られているというところで安心していたものが、ふっと感じられなくなるときに出てくる「不安」を表現する言葉だと思ってください。

ところが、9歳という時期に「自分は将来何になる」ということが具体的になったりする。

9歳の頃、幼児期にあった守ってくれる力を自分で取り払いながら、今度は前を見て、自分の人生で何をしたらいいのかということを直感的に感じ取る。

自分の幼児期とお別れする自分が寂しいし、また、自分の中に新しく生まれてくる、自分のこれからの人生に対して向かう勇気のようなもの、それをもらってくる時期である。

9歳の危機 | coco cafe +

 

だそうな。正直俺はあまり良く理解してなかったのだけど、引っ越す前に当時の担任の先生から是非息子さんと二人で何かに挑戦する機会を作ってあげてくださいと言われていたのだ。何処かに旅行に行くだけでも構わないと。でも、うちは家族が多いので、二人きりで過ごせる時間が大事ですと。

それを聞いて、妻からも是非何処かに連れて行ってあげてよと言われ、今回の旅を計画したのだ。確かに長男は物心ついた時から弟と妹がいて常にお兄ちゃんとして頑張ってくれていたのに、殆ど二人きりでゆっくり話したり過ごす時間が取れていなかったし、単純に俺自身も面白そうだし息子の成長を肌で感じたいと思って富士山を一緒に登る事を決めたんだ。

出発前日に二人で登山用品を買い出しに行き、荷造りをした。ワクワクしている自分がいた。勿論息子は目をキラキラさせている。

それだけで十分だ。明日は登山本番。

思う存分楽しもうと思う。

 

〜悠々自適に生きる〜

 

 

成功への道⑤〜理想の人生を生きる為に〜

独立編

アメリカ留学から帰国した後、3年でLAに戻る予定だったが、1年も経たない間に自転車女と電撃デキ婚を果たし、その後も最速でハットトリックを決めて僅か4年半で会社を辞めた俺は新たな船出に意気揚々としていた。不安と期待が入り混じる感覚がどことなく渡米前の感覚に似ている気がしたのをよく覚えている。

 

f:id:yuyunikki:20170725004617j:image

ここで言う「成功」というのは単に世間一般でいう「大金持ち」になる事ではない。「自分の理想の人生を生きる」ことを一言で「成功」と位置付けた。そして勿論、自分自身「成功」している訳でも「大金持ち」な訳でもない。今まで歩んで来た道、これから進む目指すべき「成功」への道を自分の為に記録する事にしただけだ。そんな(今はまだ誰も知らない)自信家ベンチャー起業社長の物語シリーズである。
物語シリーズ①はこちら
成功への道①〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

前回の物語シリーズはこちら
成功への道④〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 

 前回のシリーズで殆ど準備もしないまま起業する事になったと書いたが少し訂正しておきたい。実際には全く準備も何もしていなかった。

本来設計業界で独立を目指すのであれば、アトリエ系であろうと設計会社系であろうと先ずは資格を取得し、資金を貯めて、在籍中に自分の作品と呼べる案件を担当し、ポートフォリオを作成して独立するというのが一般的なというか頭の良い人が用意周到に進める準備万全な独立までの流れだ。

しかし、俺には何もなかった。一級建築士の資格は業界では「足の裏の米粒」とも揶揄されており、つまりは取っても取らなくても大差がないと言われている。激務の合間に勉強をして苦労して取得してもそれで仕事が取れる訳でもないし、実践経験に勝るものはないけど、現場監督や建築事務所の代表をするなら取った方が良いよね、ぐらいの印象だ。俺はインテリアと照明デザインを専門にしていたので、それこそコーディネーターとか二級建築士とか何の役にもたたない資格には一切興味がなかった。(ただの惰性と言い訳に過ぎないが)

そして、勿論安月給で家族4人で生活していたのだから資金等と呼ぶのもおこがましい、貯金すらなかった。あてにしたのは僅かな退職金だが、それも60万程度だ。四年半しか働いていないのだから貰えるだけ有難いが、PCとCADのソフトを購入して使い果たした。まさに木棒と布の服で冒険を始めた様なものだった。

 

退社までの半年間と退社後の半年間

南相馬市でボランティア中に衝撃の第三子ご懐妊の報告を受けたのが4月。担当していた案件の実施設計図提出もあり(コレが1番大変なのだ)、会社を退社したのが10月だから、独立するか転職するか(違う業界に行くか)を悩んでいた時期もあるが妊娠発覚後の約半年間はそれなりに準備をし始めた。先ずは本を読む事からw

個人事業主として設計事務所を開設するノウハウ本みたいな本を数冊読みながらフムフムと分かったつもりになるのだ。

その後は周りの人に独立する事を相談しながらそれとなく営業をしていた。そして、その営業の甲斐あって独立後に自社ビル建設のデザインを依頼してくれるという会長が現れたのだ。

流石は俺。この歳でホテル案件をこなしてきてる奴はそういない筈だ。思った通りだ。やはりイケるな!コレは!と自信満々だった。

在籍中にも関わらず、忙しい業務の合間にラフプランとCGパースと設計料の見積書を作成してプレゼンした。ポートフォリオの作成も忘れていなかった。一発OK。

退職する前に独立後の仕事を獲得できるなんて

 

やはり俺は天才だな

 

自画自賛していた。

勿論俺は資格もないし建築の法規や構造なんかは専門外なので、その辺りは独立していた先輩設計士と協業する事にしていてその旨も説明していた。建設は地元の馴染みの業者だ。そこの社長と担当者を紹介されて自己紹介とラフプランを説明した。先方は若い俺を下に見る感じの嫌な対応だったが、別に気にしない。そんなのはこの先もずっと付き纏うのだから。この業界で20代は半人前の素人扱い、30代で若手と言われるが、殆ど相手にもされない。当時28歳だった俺は当然ちんちくりん扱いされても仕方ないぐらいなのだ。

 

そんな訳で何も準備もしていない状態で独立を決めた俺だったが退職までの半年間でできる限りの準備をし、退職と同時に開業届けを提出して晴れて独立を果たした。既に最初の案件は決まっている。順調なスタートを切る事が出来た。俺もやるべき事はやってきたし、苦労も人一倍してきたつもりだ。解る人には解って貰える。そう実感した。

 

そして、退職後、新しい名刺を作って会長の元へ挨拶に行くと何やらいつもと様子が違う。

 どうやら事務所移転の為に購入した物件に当分本社機能を移して自社ビル建設は延期するという。自社ビルの上階に社長である娘家族が住む予定だった筈が「そんな所に住みたくない」と言ってきたらしい。マジか。当然合意の上で話を進めているものと思っていたが。

いつまで延期するのか聞いても未定だと言われて話が終わる。終いにはそもそも俺は資格を持っていないそうじゃないかと(何度も説明した筈だが)言われ、結局この案件は中止になった。地元の建設会社から何か言われたのかもしれないが、

 

世の中そんなに甘くない

 

結局はそういう事だ。プレゼン費用の30万だけ払って貰って振り出しに戻る事になった。

 

f:id:yuyunikki:20170725083909j:image

 

その後は必死に営業したつもりだが、当然20代の若造に大事な設計を任せてくれる人などいるはずもなく仕事は全くなかった。

前の会社に在籍中だった頃の担当物件をポートフォリオにまとめてプレゼンした所で独立してからの作品はないのか?と聞かれてお終いだ。

一級建築士の資格は持ってるのかとも聞かれ、自分はインテリアと照明デザインが専門ですのでと伝えても先方には理解されない。

 

無収入の月が数ヶ月続いた。

 元々貯金もなかった訳だから当然生活費が足りなくなる。クレジットカードで誤魔化してきたが、支払いも間に合わない。

日本政策金融公庫から何とか調達した300万も生活費の支払いであっという間になくなった。

消費者金融も限度額まであと僅かだ。数ヶ月後には3人目が産まれてくるというのに、マジでヤバイ。焦燥感が半端ない。

 営業に行こうにも行く先もない。物を売る商売ではなく自分を売る商売なのだから、周りに頼った所で案件がなければ話にならない。どうすれば良いのか、何をすれば良いのかもわからない。前の会社の業者さんからプレゼン資料の作成の下請で提案をしたりしたが、採用されなければ仕事にはならない。資料作成の下請け業務だけでは当然生活ができないのだ。

そんな状態が数ヶ月続き、いよいよ3人目が産まれてくる。このままでは一家5人で路頭に迷う事になる。

そんな不安に押し潰されそうになった俺は知り合いの設計事務所にバイトで雇って貰えないかとお願いした。仕事が軌道に乗るまで、時給で構いませんのでお願いしますと。

 こうして昼間や夜中に在宅でバイトの作業をしながら合間の時間で自分の仕事(プレゼン資料作成の下請け)をこなす日々が始まり、少しした頃に

 

3人目が産まれた。

 

腕の中で眠る産まれたての赤ん坊を眺めながら、このままではダメだ、何とかしなければならないと言葉にはし難い憤りを感じていた。

 

〜悠々自適に生きる〜

人生は決断の連続だ

事業は人なり

 事業の全ては「人」で成り立っている。これは色んな先輩経営者の方々からよく言われる言葉だ。今後どんなにAIが普及して効率化が進もうとも「人」を相手に事業をし、「人」が機械を動かし、「人」が物事を判断する。そして経営者にとって常に悩みの種になるのも「人」なのだ。同じ伝え方をしても伝わり方は人それぞれに違う。働く動機も「お金」「労働環境」「時間」「やりがい」「家庭」と色々あるだろう。そして一人一人能力も違うのだから優秀な組織作りがいかに困難か初めからわかっていた、つもりだった。

しかし、結局少数精鋭で運営してきた筈の弊社も従業員だけでなく一緒に会社を立ち上げた創業パートナーも会社を出て行ってしまった。今は文字通りワンマン(1人)で業務を継続させている。売上の9割が自分の営業先で、業務の7割を自分でしていたので、必要な分を外注すれば余計な人件費や経費が入らなくなる分、資金繰りや経営の改善も早く、心労も格段に少なくなった。全く営業もできない、パソコンもできない、コミュニケーションも取れない、そんな職人上がりの従業員を施工部隊として雇用したのが今回の反省点だが、ちゃんと指導すれば一人前のビジネスマンに成長すると思っていたのが間違いだった。本人にやる気とモチベーションがなければ意味がないのだから。

 

だが、1番の要因は自分なのだ。

 

 そもそも自分で営業して業務をこなして財務処理もしてたら個人事業と何も変わらない。経営とは人を活かす事なのに、人がいなければ(雇えなければ)経営者とはいえない。上司のやり方次第で部下のやる気とモチベーションを向上できるし、それが上の人間の仕事でもある。

 しかし、俺にはそれができなかった。最低限やるべき事は伝えやり方も教えたが、教えられた事しかできない、何をして良いかわからないスタッフに一から指導する時間は俺にはなかった。一緒に立ち上げたパートナーに部下への指示やフォローを託していたが、彼は彼で職人上がりなので自分が新しい環境に適応する事で精一杯だった。やはり怖くて厳しい上司が組織には必要なのだと思う。

だが、最大の要因は将来のビジョンを共有できなかった事かもしれない。俺が目指す会社のビジョンが理解できなかったんだと思う。今でも多くの人には理解されないし、理解できないと分かってる。でも新しい事を目指すという事はそういう事だと思ってる。

 

『THINK DIFFERENT』

 f:id:yuyunikki:20170713224857j:image

大好きな言葉だ。

集う仲間は俺が目指した先にいるはずだ。俺より優秀で、俺にはないサムシングを持っていて、自分のやるべき事、役割を自覚していて、同じ夢に向かって全力を出せる仲間に必ず出会うと信じている。それまでは1人で進めていくだけだ。他でもない家族が俺を支えてくれている。だから俺は頑張れる。


経営者は決断の連続である

人生や成功は決断による決断の積み重ねである。強い意志と常に変化し進化するクリエイティブな取り組みが欠かせない。何かを実現させるにはまず自分自身が前衛的で創造性に富んだ決断を下せるリーダーにならなければならない。

ダンケネディ著書ビジネス戦略からの引用。

 

多くの人が自分の人生に満足できないでいるかもしれない。仕事や職場環境、家庭、夫婦関係等で不満を抱えながら生きていたり、なんとなく就職して、嫌な上司とやりたくもない仕事をしている人も多い気がする。その人生は自分が選択した積み重ねだという自覚もなく。
いつでも、明日にでも違う選択をする決断を下す事ができるのに、しない。チャンスがないのではなく、自分でやらないと決めているだけだ。今日何をするか、誰と会うか、どこに行くか、自分の人生なのだから自分で決める権利を誰しもが持ち合わせているというのに、大多数の人は無意識のうちに思い込みや常識、風習や目に見えない空気に縛られて生きている。そして、そうなるべく他でもない自分自身が選択しているのだ。

 

 f:id:yuyunikki:20170713225040j:image

常識に囚われるな。思い込みを捨てろ。

流れに身を任せるな。自分で判断しろ。


自分の決断が成功につながる決断なのか、その決断に基づいて実行し、自分で決断した生き方を続けていく覚悟があるかどうか。真剣に自分と向き合う必要がある。


自分はどう在りたいのか。

 

勿論ここで言う成功とは自分の理想の人生を生きるという事だ。一般的な成功を収めている経営者には、その人生において遅かれ早かれ、重大な決断を迫られるような経験や境遇、事故や病気、挫折や裏切り等を必ずと言って良い程味わっている事が多い。それまで当たり前だと思っていた事が有難い事だと自覚した時に、それまでしなければいけないと思っていた事が、別にする必要もない、唯の錯覚だと気付いた時に、人は変われるのだと思う。時間を大切にし、周りに感謝し、本当に自分がやりたい事を探し求める様になるのだと思う。

稀に初めから理解できているかの様な天才肌もいるが、殆どの人はきっかけがなければ当たり前の日常を疑いもしない。勿論俺もその1人だったんだが、渡米、独立、挫折、裏切り、病気等を経験し少しづつ「気付く」事ができた気がする。当たり前の事など何1つないのかもしれない。

 

ひたすら実行あるのみ

特別な職業以外において、ある選択肢を実行するのに制限、規則、業界水準、常識、経験等は関係ない。成功に必要なのは決断を下し、それを実行すること。この実社会においては実行あるのみ。躊躇している暇などない。お金が貯まったらとか、準備が整ったらとか、チャンスがあったらなどと言っていつまでも実行できない人間の多い事。失敗したくなくて、失敗しない様に行動すればするほど動けなくなる。失敗はできる限り若い内に沢山した方が良いに決まってる。諦めない限りソレは失敗ではなく経験となり糧となるのだから。

 

「運」は「運ぶ」とも読む。つまり「運」は人が「運んできてくれる」ものだと思っている。

 

待ってる人間にチャンスは巡ってこない。順番が回ってくるだけだ。(なんの順番なのかは人それぞれだが) 何かに挑戦している人や努力している人、暗闇に飛び込んで行く人は、その人を応援してくれる人や見守ってくれている人、心配してくれる人が手を差し出してくれたり「運」を運んでくれたりする事があると思っている。勿論いつもそんな都合の良い事が起きる訳ではない。でもそんな時は失敗を糧にまた1つ経験を積めたと思えば良いだけだと思う。

 

 失敗するつもりで始めよう

だが、生半可な気持ちで、試しに起業してみようとか、独立してみよう等と考えて事業を始めるなら最初から辞めた方が良い。自分で事業をするという事はありとあらやる苦労があり、恥ずかしい思いや悔しい思いは当たり前になる。涙を流す事も一度や二度ではない。破産のリスクは常に隣合わせで多くの場合、事業の為に借金を抱え、様々なストレスが待ち受けている。暗闇のその先に成功できるかどうかすら、自分自身の決断次第なのだから、軽い気持ちであれば早い段階でとっくに止めてしまう。創業3年以内に倒産する会社や飲食店が多いのもこの為だろう。
そしてこの苦い経験は成功を収めている、或いは長く事業を続けている経営者の間では当たり前に誰もが経験している事だ。
成功を収める為には、他の人がやりたがらない、やりたくもない事を自ら積極的にしなければならない事も多い。むしろ誰もやった事がない手段や事業をトライしなければ大きな成功は手に入れられない。

 

give and give and give

周りに困っている人や誰かに頼まれた事、友人の会社や事業にとってプラスになりそうな事は、どんなに自分の事業が上手くいっていなくても、どんなに忙しくても、積極的に、全力で助けてあげなければならないし、取り組まなければならない。

それが成功の秘訣なんじゃないかと最近思い始めた。自分が求めている事や困っている事に誰かの助けを求めるよりも、誰かが困っている事や求めているものを自分ができる範囲で積極的にお手伝いした方が自分も動き易いし、最終的に返ってくる事が多い。

 

先ずは自ら与えなさい。

 

まるで聖書の様なフレーズだなw
あと、決してtakeを要求してはいけない。
折角のgiveが無駄になるどころか逆効果にすらなる事もあるから。


just waiting
果報は寝て待て。


先人の言葉は本当に意味が深い。
年を重ねる毎に改めて気付かされる事が多い。
自分にできる事が済んだら、深追いする必要はない。それが秘訣だ。

相手が信頼できる人であれば、必ず遅かれ早かれ帰ってくる。不思議と自分が困っている時に助けてくれる事も少なくない。

 

俺はお前に言ってるんだ

なんだが人生哲学的な、かなり上から目線なエントリーになった気がするが仕方ない。昔から根拠のない自信家で、ビッグマウスのスーパーポジティブの人間だから。「自信」という言葉は「自分を信じる」と書く。俺は自分の能力や才能に自信がある訳ではない。俺より優秀な奴は沢山いる事ぐらい分かってる。俺が信じているのは過去の努力や経験と失敗や挫折を繰り返しても決して諦めなかった自分だ。そして自分を信じた過去の自分を裏切りたくないだけだ。

 

実は先日、ある事件が起きた。書ける時になったら書くが、新たな試練が訪れたと言っても過言ではない。それもこのクソ忙しい時にだ。良い事も悪い事も驚く程重なる時がある。更新が遅れ気味なのもその為だ。

仕事の方は今まで進めてきたプロジェクトが実を結ぶか否かの瀬戸際なのに、思いがけない角度で事件が舞い込んできた。見えない角度からのパンチは効くんだわ、コレが。

だが、前を向いて進んでいく。必ず結果を残す。俺には自信があるんだ。

 

f:id:yuyunikki:20170713230251j:image

 

 〜悠々自適に生きる〜

 

田舎に引越して2ヶ月が経った

築200年の古民家を改修して豊田市足助は香嵐渓近くの山奥に引越して2ヶ月が経ったので、軽く振り返ってみる。

 

引越して1ヶ月のエントリーはこち

田舎暮らしを始めて1ヶ月が経ったので振り返ってみる - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 

 少しづつ田舎暮らしにも慣れて、ご近所の方々の顔と名前も覚えてきたかな。子供達は毎日楽しそうに学校に行って、家の中でも外でも走り回ってるし、そんな姿を見てるだけで微笑ましい気持ちになる。前の家なら「静かにしろ!」って怒鳴ってしまっていた様な事も余裕を持って見守れる様になった。環境が変わるだけでこうも普段の日常の心境が変わるとは思ってなかったです。

 

毎日目を覚ました時に聞こえてくるウグイスの鳴き声(どうやらカッコウも生息しているらしい)、ふと窓の外に視線を移した時に飛び込んでくる木々と木漏れ日、毎日家を出た時に感じる爽快感、夜遅く仕事から帰ってきた時に見上げる星空、週末の農作業の最中に通り過ぎる風と土の匂い、裏山から眺める夕陽、、、

 

何1つ色褪せる事なく新鮮なままだ。

 

いづれこの環境にも慣れ、当たり前に感じる時が来るかもしれないが、その時はこのエントリーを読み返して初心に戻りたいと思う。

 

https://www.instagram.com/p/BU-xqsYD8Kp/

裏山から眺めるお気に入りの景色。何百年も前から変わらないであろうこの景色はきっとみんなが大人になっても変わらない筈だよと子供達に言い聞かせた。#足助 #香嵐渓 #裏山 #家から車で5分 #軽トラの荷台から見る景色 #sunset

 

よく田舎暮らしは不便だとか言われるけど、引越してきて不便さを感じた事が殆どない。

名古屋の人には車で1時間かけて会社に通っていると言うと「遠っ!」って言われるけど、東京は満員電車で1時間とか普通だし、郊外在住の人は2時間かけて通っている訳だから1時間のマイカー通勤なんて俺にとっては快適過ぎる。好きな音楽を聴いて、考え事したり、仕事の電話をしたり、むしろ良い気分転換になってる。しかも東京と違い渋滞が殆どない。通勤時間が車で30分だったのが1時間になっただけで全くストレスにはならないんだ。

 

1番心配していた出張は最寄り駅まで車で30分かかるが無料駐車場が併設されているので全く問題なし。

https://www.instagram.com/p/BSwtCnJjry1/

普通、線路は2列あって対岸にホームがあるけど、まさかの1列。#最寄り駅 #平戸橋駅 #田舎暮らし #自宅から車で30分 #でも全く問題ない #駅に無料の駐車スペースがある #安定の田舎クオリティ

 

こうなってくると中々ストレスになってる事が思い浮かばないが、強いて挙げるなら忙しくて中々家の残工事が進まない事かな。

友達に手伝って貰って進めている漆喰塗りに関しては後日エントリーするけど、まだまだ終わらない。照明もまだ取り替えてないし(本業のくせに)、収納も未完成だし、洗面所の鏡も発注しなきゃならないのに、週末は学校の行事や子供のサッカーの試合や買い出しに加えて農作業で中々時間が作れない。かと言って平日に時間などある筈もなく。

住みながらやるのは中々難しいと痛感している。

 

あとはやっぱ虫ですね。

 

家の至る所に隙間が空いているので、様々な虫と共同生活を送っています。蚊も蟻もデカイ!この前は巨大なムカデが現れて妻が叫んでいたけど、こればっかりは慣れるしかない(勿論妻が自力で退治していた。頼もしい限りだw)。外ではマムシも出るらしく気をつける必要があるけど、まだ遭遇はしていない。

 

畑では収穫も始まっている

1ヶ月前から蛭子名人のお陰で始められた我が家の畑と田んぼ。成長が早いきゅうりやトマトは収穫できる様になった。

 

f:id:yuyunikki:20170616195341j:image

 

 f:id:yuyunikki:20170616195350j:image

f:id:yuyunikki:20170616203956j:image

 

自給自足の記念すべき第一回収穫祭はなんでもない週末に身内だけでしっぽりと執り行われた。取り立てのきゅうりに味噌を付けて食べるだけで酒が進む。(ゆくゆくは味噌も作りたいと妻は豪語している。手前味噌が楽しみだw)

 

f:id:yuyunikki:20170616195801j:image

上の畑も着々と開墾し、以前仕事でお世話になった種子島在住の社長に無理を言って送って貰った安納芋の苗を植えた。妻は生粋の芋女なので収穫を心待ちにしているが、芋類は猪の大好物なので猪対策の柵を作らねばならない。

こんな紐だけでは簡単に突破されてしまう。

 

f:id:yuyunikki:20170616204010j:image

畑には色んなお客さんが来るが、ひょっこり顔出すカエルが可愛い過ぎた。

 

f:id:yuyunikki:20170616204416j:image

 カエルの卵。こんなにデカイのは初めて見た気がする。

 

f:id:yuyunikki:20170616205724j:image

家には近所の猫も遊びに来る様になった。

引越す前に工事しに来ていた時からたまに触れ合っていたのでかなり懐いてきて可愛い。

 

f:id:yuyunikki:20170617160553j:image

庭の一部には何故かバナナの木がある。

気が付いたら周辺に増殖していた。

 

庭の木の剪定を始めた

 家の収納作りや漆喰塗りはまとまった時間がないと手を付けられないが、庭の剪定ならちょっとした時間でできるので、気になる所から手を付けた。完全に無法地帯と化していた庭は竹がそこら中から生えてきていたり、枯れた木もそのままになっていたのでずっと気になっていたんだ。

初めての試みだったが一旦やり始めると夢中になる。夕方からやり始めて暗くなるまであっという間だ。土いじりも良いが、草いじりも良い。最高に気持ち良い作業だ。やり甲斐のある広さ(正直どこまでが庭でどこからが山なのかわからないw)だし、ある程度剪定が終わったら好きな木を植えていきたいと思う。

 

 地元のスナックにデビューした

 先日お世話になった地元の大工さんと打ち上げと懇親会を兼ねて飲みに行った。当然二軒目もハシゴする事になるが、行き先は足助唯一のスナック「酔仙」。

f:id:yuyunikki:20170617155543j:image

 ここのスナックはかなりスペックが高い。

何と言ってもママが俺の友達の同級生のお母さんなのだ。しかもその友達の同級生の旦那さんが大工さんの友達らしい。という事で急遽呼び出す事に。その事を俺の友達に報告するとすぐに飛んできた。前から紹介すると言っていた足助の友人達を連れて。

一気に人が増えて盛り上がり酒が進んでつい飲み過ぎてしまった。後半記憶がないまま帰宅し(合流した友達に送って貰った。タクシーは夜中は読んでも来てくれないらしく本当に助かった)、次の日地元の祭りに顔を出して前日の御礼(むしろお詫びに近い)と交流を深める事ができた。

 

https://www.instagram.com/p/BU4D5DTDhaN/

素敵な街並みに癒される〜#足助 #香嵐渓 #たんころりん #ここが地元 #とか最高過ぎる

 

 そんな感じで田舎暮らしを満喫している。仕事は相変わらず忙しいが、良い感じにオンとオフを切り替える事ができるのでメリハリがついて調子も良い。これから暑くなるにつれて、イベントも多くなり、楽しいシーズンなので、地元ならではの穴場スポットを発掘するつもりだ。

ワクワクする〜(≧∀≦)

 

〜悠悠自適に生きる〜

成功への道④〜理想の人生を生きる為に〜

ここで言う「成功」というのは単に世間一般でいう「大金持ち」になる事ではない。「自分の理想の人生を生きる」ことを一言で「成功」と位置付けた。そして勿論、自分自身「成功」している訳でも「大金持ち」な訳でもない。今まで歩んで来た道、これから進む目指すべき「成功」への道を自分の為に記録する事にしただけだ。そんな(今はまだ誰も知らない)ベンチャー起業社長の物語シリーズである。


物語シリーズ①はこち
成功への道①〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

前回の物語シリーズこち

 http://yuyunikki.hatenablog.com/entry/2017/06/05/235231

 

 

最初のドラマティックな出会いとはかけ離れた、超リアルな入籍を果たした俺はその入籍から二ヶ月半後にスピード挙式を挙げた。仕事の忙しさと非現実的な式の準備期間、引越しの準備等に奔走し、疲弊しきっていたがやるしかないのだから仕方ない。

入社したての新入社員がデキ婚しようが、そんなことはブラックな会社には関係ない。(ブラックじゃなかろうと当然関係ないのだが)

安月給に長時間労働なので転職も考えたが、夢を抱いて入った会社だ。好きな仕事ができるだけでも幸せだと思え的な上司の空気感は嫌いだったが、独立を考えている者やスキルを身に付けたい者にとってはうってつけの会社だった。将来独立したいと考えていた俺はそのまま会社に残る道を選び、安月給でもやりくりできる様に妻の実家(自転車を送り届けたあの家)に同居させて頂く事になった。

 

所謂マスオさんだ。

 

数ヶ月マスオさん生活を続けた後、妻のご両親が実家から近いマンションを購入してくれてそこに住まわせて貰う事になった。勘違いしないで貰いたいが、お義父さんは公務員でお義母さんはパートをされている一般的な御両親だ。決してお金持ちだという訳ではなかったが、可愛い娘と孫の為に退職金や長年貯めた貯金で住む場所を用意してくれたのだ。本当に御両親には頭が上がらない。感謝しかない。

それでも新入社員の安月給では生活も大変だったが、あろう事か速攻で2人目を妻が妊娠したのだ。1人目を出産してまだ一度も生理がこないまま、2人目を妊娠したのだから凄い。

 

そして俺は会社に辞表を出した。

今ですらギリギリの生活なのにもう1人増えるのは無理ゲーだと判断したからだ。

しかし上司から昇進させるからもう少し頑張れと止められ、渋々承諾した。辞めてどうするかも決まってなかったからこの時は辞めなくて正解だったと思う。そんな調子で2人目も産まれ毎日忙しい日々を過ごしていた矢先にあの東日本大震災が起きたのだ。

 

まだ小さい子を抱える身としては災害時における東京の脆弱さが浮き彫りになり、しかもあの原発事故で一段と不安が積もっていた。毎日ネットで情報収集し、海外帰りの友人と外国メディアの情報を交換していた。そんな中、職場で原発建屋爆発のニュースを見た時に家族を連れて名古屋へ避難する事をすぐに決心した。俺の両親は既に離婚していて実家がないので兄貴の家に居候させて貰ったが、上司から毎日いつ戻って来るのか電話がかかってくる。ずっと兄貴の家にお世話になる訳にもいかず、俺からすれば今まで通り仕事している方が異常だと思ったが、1週間様子を見て東京に戻った。社長に呼び出され単独行動は慎むように注意を受けたが、別に気にする事もなかった。むしろ大事な家族を連れて避難する事の何が悪いのか教えてくれ等と思っていた。

 

そして東京に戻ってきて間もなく、建築系の友人知人で立ち上げたNPO法人に協力して南相馬市へボランティアをしに行く事になった。

夜中に車を交代で走らせて早朝現地に到着した、そんなタイミングで妻から電話が入る。

 

俺「ちょうど今現地に着いたとこだよ〜」

妻「そうなんだ〜お疲れ様。わたしも1つ報告があるんだ〜。…3人目ができたみたい。

 

‼️‼️⁉️⁉️

 

俺「はっ⁉️マジで⁉️嘘でしょ‼️⁉️」

妻「マジマジ。後で写メ送るね。」

 

電話を切った後、検査薬の写メが送られてきた。愕然としたよ。激震が走るとはこの事だ。何故だ。何故このタイミングであいつは検査をしようと思ったのかも意味不明だが、2人目が産まれてまだ1回しか生理がきていなかったじゃないか。どうかしてるよ。

 

中々現実を受け入れられないが、取り敢えず会社は辞めないとなと思った。最早ボランティアどころじゃなかったが、やるべき事はやり、東京へ戻る。然るべきタイミングで上司に辞表を出したが、今度は止められなかった。苦笑いしながらもうちょっと計画的に子作りした方が良かったんじゃないと言われたが手遅れなのはお互い解ってる。

 

 

こうして俺は会社を辞めた。

 

 

三人も子供がいて良く独立できるなと友人からは言われたが逆だ。サラリーマンの給料じゃ養っていけない。転職も考えたが、独立して個人事業者としてやっていく事を決心した。

 

こうして最速でハットトリックを決めた俺は殆ど準備もしないまま起業する事になったのだ。

最初のシリーズで書いたとおり、 ここからようやくビジネスの話で「点」と「点」が繋がり「線」となっていくのだが、最初の「点」は間違いなくあの出会いから始まったんだと思う。

でなければ俺は今頃LAで悠々自適に暮らしていたはずなんだから。

 

ラブ・ストーリーは突然に - 小田和正 - YouTube

 

〜悠々自適に生きる〜