悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

脱サラした父ちゃんが山奥の古民家に移住し、5人の子育てに奮闘しながら悠々自適に暮らしている日々の生活をゆる〜く発信します。

成功への道⑤〜理想の人生を生きる為に〜

独立編

アメリカ留学から帰国した後、3年でLAに戻る予定だったが、1年も経たない間に自転車女と電撃デキ婚を果たし、その後も最速でハットトリックを決めて僅か4年半で会社を辞めた俺は新たな船出に意気揚々としていた。不安と期待が入り混じる感覚がどことなく渡米前の感覚に似ている気がしたのをよく覚えている。

 

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ここで言う「成功」というのは単に世間一般でいう「大金持ち」になる事ではない。「自分の理想の人生を生きる」ことを一言で「成功」と位置付けた。そして勿論、自分自身「成功」している訳でも「大金持ち」な訳でもない。今まで歩んで来た道、これから進む目指すべき「成功」への道を自分の為に記録する事にしただけだ。そんな(今はまだ誰も知らない)自信家ベンチャー起業社長の物語シリーズである。
物語シリーズ①はこちら
成功への道①〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

前回の物語シリーズはこちら
成功への道④〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 

 前回のシリーズで殆ど準備もしないまま起業する事になったと書いたが少し訂正しておきたい。実際には全く準備も何もしていなかった。

本来設計業界で独立を目指すのであれば、アトリエ系であろうと設計会社系であろうと先ずは資格を取得し、資金を貯めて、在籍中に自分の作品と呼べる案件を担当し、ポートフォリオを作成して独立するというのが一般的なというか頭の良い人が用意周到に進める準備万全な独立までの流れだ。

しかし、俺には何もなかった。一級建築士の資格は業界では「足の裏の米粒」とも揶揄されており、つまりは取っても取らなくても大差がないと言われている。激務の合間に勉強をして苦労して取得してもそれで仕事が取れる訳でもないし、実践経験に勝るものはないけど、現場監督や建築事務所の代表をするなら取った方が良いよね、ぐらいの印象だ。俺はインテリアと照明デザインを専門にしていたので、それこそコーディネーターとか二級建築士とか何の役にもたたない資格には一切興味がなかった。(ただの惰性と言い訳に過ぎないが)

そして、勿論安月給で家族4人で生活していたのだから資金等と呼ぶのもおこがましい、貯金すらなかった。あてにしたのは僅かな退職金だが、それも60万程度だ。四年半しか働いていないのだから貰えるだけ有難いが、PCとCADのソフトを購入して使い果たした。まさに木棒と布の服で冒険を始めた様なものだった。

 

退社までの半年間と退社後の半年間

南相馬市でボランティア中に衝撃の第三子ご懐妊の報告を受けたのが4月。担当していた案件の実施設計図提出もあり(コレが1番大変なのだ)、会社を退社したのが10月だから、独立するか転職するか(違う業界に行くか)を悩んでいた時期もあるが妊娠発覚後の約半年間はそれなりに準備をし始めた。先ずは本を読む事からw

個人事業主として設計事務所を開設するノウハウ本みたいな本を数冊読みながらフムフムと分かったつもりになるのだ。

その後は周りの人に独立する事を相談しながらそれとなく営業をしていた。そして、その営業の甲斐あって独立後に自社ビル建設のデザインを依頼してくれるという会長が現れたのだ。

流石は俺。この歳でホテル案件をこなしてきてる奴はそういない筈だ。思った通りだ。やはりイケるな!コレは!と自信満々だった。

在籍中にも関わらず、忙しい業務の合間にラフプランとCGパースと設計料の見積書を作成してプレゼンした。ポートフォリオの作成も忘れていなかった。一発OK。

退職する前に独立後の仕事を獲得できるなんて

 

やはり俺は天才だな

 

自画自賛していた。

勿論俺は資格もないし建築の法規や構造なんかは専門外なので、その辺りは独立していた先輩設計士と協業する事にしていてその旨も説明していた。建設は地元の馴染みの業者だ。そこの社長と担当者を紹介されて自己紹介とラフプランを説明した。先方は若い俺を下に見る感じの嫌な対応だったが、別に気にしない。そんなのはこの先もずっと付き纏うのだから。この業界で20代は半人前の素人扱い、30代で若手と言われるが、殆ど相手にもされない。当時28歳だった俺は当然ちんちくりん扱いされても仕方ないぐらいなのだ。

 

そんな訳で何も準備もしていない状態で独立を決めた俺だったが退職までの半年間でできる限りの準備をし、退職と同時に開業届けを提出して晴れて独立を果たした。既に最初の案件は決まっている。順調なスタートを切る事が出来た。俺もやるべき事はやってきたし、苦労も人一倍してきたつもりだ。解る人には解って貰える。そう実感した。

 

そして、退職後、新しい名刺を作って会長の元へ挨拶に行くと何やらいつもと様子が違う。

 どうやら事務所移転の為に購入した物件に当分本社機能を移して自社ビル建設は延期するという。自社ビルの上階に社長である娘家族が住む予定だった筈が「そんな所に住みたくない」と言ってきたらしい。マジか。当然合意の上で話を進めているものと思っていたが。

いつまで延期するのか聞いても未定だと言われて話が終わる。終いにはそもそも俺は資格を持っていないそうじゃないかと(何度も説明した筈だが)言われ、結局この案件は中止になった。地元の建設会社から何か言われたのかもしれないが、

 

世の中そんなに甘くない

 

結局はそういう事だ。プレゼン費用の30万だけ払って貰って振り出しに戻る事になった。

 

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その後は必死に営業したつもりだが、当然20代の若造に大事な設計を任せてくれる人などいるはずもなく仕事は全くなかった。

前の会社に在籍中だった頃の担当物件をポートフォリオにまとめてプレゼンした所で独立してからの作品はないのか?と聞かれてお終いだ。

一級建築士の資格は持ってるのかとも聞かれ、自分はインテリアと照明デザインが専門ですのでと伝えても先方には理解されない。

 

無収入の月が数ヶ月続いた。

 元々貯金もなかった訳だから当然生活費が足りなくなる。クレジットカードで誤魔化してきたが、支払いも間に合わない。

日本政策金融公庫から何とか調達した300万も生活費の支払いであっという間になくなった。

消費者金融も限度額まであと僅かだ。数ヶ月後には3人目が産まれてくるというのに、マジでヤバイ。焦燥感が半端ない。

 営業に行こうにも行く先もない。物を売る商売ではなく自分を売る商売なのだから、周りに頼った所で案件がなければ話にならない。どうすれば良いのか、何をすれば良いのかもわからない。前の会社の業者さんからプレゼン資料の作成の下請で提案をしたりしたが、採用されなければ仕事にはならない。資料作成の下請け業務だけでは当然生活ができないのだ。

そんな状態が数ヶ月続き、いよいよ3人目が産まれてくる。このままでは一家5人で路頭に迷う事になる。

そんな不安に押し潰されそうになった俺は知り合いの設計事務所にバイトで雇って貰えないかとお願いした。仕事が軌道に乗るまで、時給で構いませんのでお願いしますと。

 こうして昼間や夜中に在宅でバイトの作業をしながら合間の時間で自分の仕事(プレゼン資料作成の下請け)をこなす日々が始まり、少しした頃に

 

3人目が産まれた。

 

腕の中で眠る産まれたての赤ん坊を眺めながら、このままではダメだ、何とかしなければならないと言葉にはし難い憤りを感じていた。

 

〜悠々自適に生きる〜

人生は決断の連続だ

事業は人なり

 事業の全ては「人」で成り立っている。これは色んな先輩経営者の方々からよく言われる言葉だ。今後どんなにAIが普及して効率化が進もうとも「人」を相手に事業をし、「人」が機械を動かし、「人」が物事を判断する。そして経営者にとって常に悩みの種になるのも「人」なのだ。同じ伝え方をしても伝わり方は人それぞれに違う。働く動機も「お金」「労働環境」「時間」「やりがい」「家庭」と色々あるだろう。そして一人一人能力も違うのだから優秀な組織作りがいかに困難か初めからわかっていた、つもりだった。

しかし、結局少数精鋭で運営してきた筈の弊社も従業員だけでなく一緒に会社を立ち上げた創業パートナーも会社を出て行ってしまった。今は文字通りワンマン(1人)で業務を継続させている。売上の9割が自分の営業先で、業務の7割を自分でしていたので、必要な分を外注すれば余計な人件費や経費が入らなくなる分、資金繰りや経営の改善も早く、心労も格段に少なくなった。全く営業もできない、パソコンもできない、コミュニケーションも取れない、そんな職人上がりの従業員を施工部隊として雇用したのが今回の反省点だが、ちゃんと指導すれば一人前のビジネスマンに成長すると思っていたのが間違いだった。本人にやる気とモチベーションがなければ意味がないのだから。

 

だが、1番の要因は自分なのだ。

 

 そもそも自分で営業して業務をこなして財務処理もしてたら個人事業と何も変わらない。経営とは人を活かす事なのに、人がいなければ(雇えなければ)経営者とはいえない。上司のやり方次第で部下のやる気とモチベーションを向上できるし、それが上の人間の仕事でもある。

 しかし、俺にはそれができなかった。最低限やるべき事は伝えやり方も教えたが、教えられた事しかできない、何をして良いかわからないスタッフに一から指導する時間は俺にはなかった。一緒に立ち上げたパートナーに部下への指示やフォローを託していたが、彼は彼で職人上がりなので自分が新しい環境に適応する事で精一杯だった。やはり怖くて厳しい上司が組織には必要なのだと思う。

だが、最大の要因は将来のビジョンを共有できなかった事かもしれない。俺が目指す会社のビジョンが理解できなかったんだと思う。今でも多くの人には理解されないし、理解できないと分かってる。でも新しい事を目指すという事はそういう事だと思ってる。

 

『THINK DIFFERENT』

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大好きな言葉だ。

集う仲間は俺が目指した先にいるはずだ。俺より優秀で、俺にはないサムシングを持っていて、自分のやるべき事、役割を自覚していて、同じ夢に向かって全力を出せる仲間に必ず出会うと信じている。それまでは1人で進めていくだけだ。他でもない家族が俺を支えてくれている。だから俺は頑張れる。


経営者は決断の連続である

人生や成功は決断による決断の積み重ねである。強い意志と常に変化し進化するクリエイティブな取り組みが欠かせない。何かを実現させるにはまず自分自身が前衛的で創造性に富んだ決断を下せるリーダーにならなければならない。

ダンケネディ著書ビジネス戦略からの引用。

 

多くの人が自分の人生に満足できないでいるかもしれない。仕事や職場環境、家庭、夫婦関係等で不満を抱えながら生きていたり、なんとなく就職して、嫌な上司とやりたくもない仕事をしている人も多い気がする。その人生は自分が選択した積み重ねだという自覚もなく。
いつでも、明日にでも違う選択をする決断を下す事ができるのに、しない。チャンスがないのではなく、自分でやらないと決めているだけだ。今日何をするか、誰と会うか、どこに行くか、自分の人生なのだから自分で決める権利を誰しもが持ち合わせているというのに、大多数の人は無意識のうちに思い込みや常識、風習や目に見えない空気に縛られて生きている。そして、そうなるべく他でもない自分自身が選択しているのだ。

 

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常識に囚われるな。思い込みを捨てろ。

流れに身を任せるな。自分で判断しろ。


自分の決断が成功につながる決断なのか、その決断に基づいて実行し、自分で決断した生き方を続けていく覚悟があるかどうか。真剣に自分と向き合う必要がある。


自分はどう在りたいのか。

 

勿論ここで言う成功とは自分の理想の人生を生きるという事だ。一般的な成功を収めている経営者には、その人生において遅かれ早かれ、重大な決断を迫られるような経験や境遇、事故や病気、挫折や裏切り等を必ずと言って良い程味わっている事が多い。それまで当たり前だと思っていた事が有難い事だと自覚した時に、それまでしなければいけないと思っていた事が、別にする必要もない、唯の錯覚だと気付いた時に、人は変われるのだと思う。時間を大切にし、周りに感謝し、本当に自分がやりたい事を探し求める様になるのだと思う。

稀に初めから理解できているかの様な天才肌もいるが、殆どの人はきっかけがなければ当たり前の日常を疑いもしない。勿論俺もその1人だったんだが、渡米、独立、挫折、裏切り、病気等を経験し少しづつ「気付く」事ができた気がする。当たり前の事など何1つないのかもしれない。

 

ひたすら実行あるのみ

特別な職業以外において、ある選択肢を実行するのに制限、規則、業界水準、常識、経験等は関係ない。成功に必要なのは決断を下し、それを実行すること。この実社会においては実行あるのみ。躊躇している暇などない。お金が貯まったらとか、準備が整ったらとか、チャンスがあったらなどと言っていつまでも実行できない人間の多い事。失敗したくなくて、失敗しない様に行動すればするほど動けなくなる。失敗はできる限り若い内に沢山した方が良いに決まってる。諦めない限りソレは失敗ではなく経験となり糧となるのだから。

 

「運」は「運ぶ」とも読む。つまり「運」は人が「運んできてくれる」ものだと思っている。

 

待ってる人間にチャンスは巡ってこない。順番が回ってくるだけだ。(なんの順番なのかは人それぞれだが) 何かに挑戦している人や努力している人、暗闇に飛び込んで行く人は、その人を応援してくれる人や見守ってくれている人、心配してくれる人が手を差し出してくれたり「運」を運んでくれたりする事があると思っている。勿論いつもそんな都合の良い事が起きる訳ではない。でもそんな時は失敗を糧にまた1つ経験を積めたと思えば良いだけだと思う。

 

 失敗するつもりで始めよう

だが、生半可な気持ちで、試しに起業してみようとか、独立してみよう等と考えて事業を始めるなら最初から辞めた方が良い。自分で事業をするという事はありとあらやる苦労があり、恥ずかしい思いや悔しい思いは当たり前になる。涙を流す事も一度や二度ではない。破産のリスクは常に隣合わせで多くの場合、事業の為に借金を抱え、様々なストレスが待ち受けている。暗闇のその先に成功できるかどうかすら、自分自身の決断次第なのだから、軽い気持ちであれば早い段階でとっくに止めてしまう。創業3年以内に倒産する会社や飲食店が多いのもこの為だろう。
そしてこの苦い経験は成功を収めている、或いは長く事業を続けている経営者の間では当たり前に誰もが経験している事だ。
成功を収める為には、他の人がやりたがらない、やりたくもない事を自ら積極的にしなければならない事も多い。むしろ誰もやった事がない手段や事業をトライしなければ大きな成功は手に入れられない。

 

give and give and give

周りに困っている人や誰かに頼まれた事、友人の会社や事業にとってプラスになりそうな事は、どんなに自分の事業が上手くいっていなくても、どんなに忙しくても、積極的に、全力で助けてあげなければならないし、取り組まなければならない。

それが成功の秘訣なんじゃないかと最近思い始めた。自分が求めている事や困っている事に誰かの助けを求めるよりも、誰かが困っている事や求めているものを自分ができる範囲で積極的にお手伝いした方が自分も動き易いし、最終的に返ってくる事が多い。

 

先ずは自ら与えなさい。

 

まるで聖書の様なフレーズだなw
あと、決してtakeを要求してはいけない。
折角のgiveが無駄になるどころか逆効果にすらなる事もあるから。


just waiting
果報は寝て待て。


先人の言葉は本当に意味が深い。
年を重ねる毎に改めて気付かされる事が多い。
自分にできる事が済んだら、深追いする必要はない。それが秘訣だ。

相手が信頼できる人であれば、必ず遅かれ早かれ帰ってくる。不思議と自分が困っている時に助けてくれる事も少なくない。

 

俺はお前に言ってるんだ

なんだが人生哲学的な、かなり上から目線なエントリーになった気がするが仕方ない。昔から根拠のない自信家で、ビッグマウスのスーパーポジティブの人間だから。「自信」という言葉は「自分を信じる」と書く。俺は自分の能力や才能に自信がある訳ではない。俺より優秀な奴は沢山いる事ぐらい分かってる。俺が信じているのは過去の努力や経験と失敗や挫折を繰り返しても決して諦めなかった自分だ。そして自分を信じた過去の自分を裏切りたくないだけだ。

 

実は先日、ある事件が起きた。書ける時になったら書くが、新たな試練が訪れたと言っても過言ではない。それもこのクソ忙しい時にだ。良い事も悪い事も驚く程重なる時がある。更新が遅れ気味なのもその為だ。

仕事の方は今まで進めてきたプロジェクトが実を結ぶか否かの瀬戸際なのに、思いがけない角度で事件が舞い込んできた。見えない角度からのパンチは効くんだわ、コレが。

だが、前を向いて進んでいく。必ず結果を残す。俺には自信があるんだ。

 

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 〜悠々自適に生きる〜

 

田舎に引越して2ヶ月が経った

築200年の古民家を改修して豊田市足助は香嵐渓近くの山奥に引越して2ヶ月が経ったので、軽く振り返ってみる。

 

引越して1ヶ月のエントリーはこち

田舎暮らしを始めて1ヶ月が経ったので振り返ってみる - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 

 少しづつ田舎暮らしにも慣れて、ご近所の方々の顔と名前も覚えてきたかな。子供達は毎日楽しそうに学校に行って、家の中でも外でも走り回ってるし、そんな姿を見てるだけで微笑ましい気持ちになる。前の家なら「静かにしろ!」って怒鳴ってしまっていた様な事も余裕を持って見守れる様になった。環境が変わるだけでこうも普段の日常の心境が変わるとは思ってなかったです。

 

毎日目を覚ました時に聞こえてくるウグイスの鳴き声(どうやらカッコウも生息しているらしい)、ふと窓の外に視線を移した時に飛び込んでくる木々と木漏れ日、毎日家を出た時に感じる爽快感、夜遅く仕事から帰ってきた時に見上げる星空、週末の農作業の最中に通り過ぎる風と土の匂い、裏山から眺める夕陽、、、

 

何1つ色褪せる事なく新鮮なままだ。

 

いづれこの環境にも慣れ、当たり前に感じる時が来るかもしれないが、その時はこのエントリーを読み返して初心に戻りたいと思う。

 

https://www.instagram.com/p/BU-xqsYD8Kp/

裏山から眺めるお気に入りの景色。何百年も前から変わらないであろうこの景色はきっとみんなが大人になっても変わらない筈だよと子供達に言い聞かせた。#足助 #香嵐渓 #裏山 #家から車で5分 #軽トラの荷台から見る景色 #sunset

 

よく田舎暮らしは不便だとか言われるけど、引越してきて不便さを感じた事が殆どない。

名古屋の人には車で1時間かけて会社に通っていると言うと「遠っ!」って言われるけど、東京は満員電車で1時間とか普通だし、郊外在住の人は2時間かけて通っている訳だから1時間のマイカー通勤なんて俺にとっては快適過ぎる。好きな音楽を聴いて、考え事したり、仕事の電話をしたり、むしろ良い気分転換になってる。しかも東京と違い渋滞が殆どない。通勤時間が車で30分だったのが1時間になっただけで全くストレスにはならないんだ。

 

1番心配していた出張は最寄り駅まで車で30分かかるが無料駐車場が併設されているので全く問題なし。

https://www.instagram.com/p/BSwtCnJjry1/

普通、線路は2列あって対岸にホームがあるけど、まさかの1列。#最寄り駅 #平戸橋駅 #田舎暮らし #自宅から車で30分 #でも全く問題ない #駅に無料の駐車スペースがある #安定の田舎クオリティ

 

こうなってくると中々ストレスになってる事が思い浮かばないが、強いて挙げるなら忙しくて中々家の残工事が進まない事かな。

友達に手伝って貰って進めている漆喰塗りに関しては後日エントリーするけど、まだまだ終わらない。照明もまだ取り替えてないし(本業のくせに)、収納も未完成だし、洗面所の鏡も発注しなきゃならないのに、週末は学校の行事や子供のサッカーの試合や買い出しに加えて農作業で中々時間が作れない。かと言って平日に時間などある筈もなく。

住みながらやるのは中々難しいと痛感している。

 

あとはやっぱ虫ですね。

 

家の至る所に隙間が空いているので、様々な虫と共同生活を送っています。蚊も蟻もデカイ!この前は巨大なムカデが現れて妻が叫んでいたけど、こればっかりは慣れるしかない(勿論妻が自力で退治していた。頼もしい限りだw)。外ではマムシも出るらしく気をつける必要があるけど、まだ遭遇はしていない。

 

畑では収穫も始まっている

1ヶ月前から蛭子名人のお陰で始められた我が家の畑と田んぼ。成長が早いきゅうりやトマトは収穫できる様になった。

 

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自給自足の記念すべき第一回収穫祭はなんでもない週末に身内だけでしっぽりと執り行われた。取り立てのきゅうりに味噌を付けて食べるだけで酒が進む。(ゆくゆくは味噌も作りたいと妻は豪語している。手前味噌が楽しみだw)

 

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上の畑も着々と開墾し、以前仕事でお世話になった種子島在住の社長に無理を言って送って貰った安納芋の苗を植えた。妻は生粋の芋女なので収穫を心待ちにしているが、芋類は猪の大好物なので猪対策の柵を作らねばならない。

こんな紐だけでは簡単に突破されてしまう。

 

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畑には色んなお客さんが来るが、ひょっこり顔出すカエルが可愛い過ぎた。

 

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 カエルの卵。こんなにデカイのは初めて見た気がする。

 

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家には近所の猫も遊びに来る様になった。

引越す前に工事しに来ていた時からたまに触れ合っていたのでかなり懐いてきて可愛い。

 

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庭の一部には何故かバナナの木がある。

気が付いたら周辺に増殖していた。

 

庭の木の剪定を始めた

 家の収納作りや漆喰塗りはまとまった時間がないと手を付けられないが、庭の剪定ならちょっとした時間でできるので、気になる所から手を付けた。完全に無法地帯と化していた庭は竹がそこら中から生えてきていたり、枯れた木もそのままになっていたのでずっと気になっていたんだ。

初めての試みだったが一旦やり始めると夢中になる。夕方からやり始めて暗くなるまであっという間だ。土いじりも良いが、草いじりも良い。最高に気持ち良い作業だ。やり甲斐のある広さ(正直どこまでが庭でどこからが山なのかわからないw)だし、ある程度剪定が終わったら好きな木を植えていきたいと思う。

 

 地元のスナックにデビューした

 先日お世話になった地元の大工さんと打ち上げと懇親会を兼ねて飲みに行った。当然二軒目もハシゴする事になるが、行き先は足助唯一のスナック「酔仙」。

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 ここのスナックはかなりスペックが高い。

何と言ってもママが俺の友達の同級生のお母さんなのだ。しかもその友達の同級生の旦那さんが大工さんの友達らしい。という事で急遽呼び出す事に。その事を俺の友達に報告するとすぐに飛んできた。前から紹介すると言っていた足助の友人達を連れて。

一気に人が増えて盛り上がり酒が進んでつい飲み過ぎてしまった。後半記憶がないまま帰宅し(合流した友達に送って貰った。タクシーは夜中は読んでも来てくれないらしく本当に助かった)、次の日地元の祭りに顔を出して前日の御礼(むしろお詫びに近い)と交流を深める事ができた。

 

https://www.instagram.com/p/BU4D5DTDhaN/

素敵な街並みに癒される〜#足助 #香嵐渓 #たんころりん #ここが地元 #とか最高過ぎる

 

 そんな感じで田舎暮らしを満喫している。仕事は相変わらず忙しいが、良い感じにオンとオフを切り替える事ができるのでメリハリがついて調子も良い。これから暑くなるにつれて、イベントも多くなり、楽しいシーズンなので、地元ならではの穴場スポットを発掘するつもりだ。

ワクワクする〜(≧∀≦)

 

〜悠悠自適に生きる〜

成功への道④〜理想の人生を生きる為に〜

ここで言う「成功」というのは単に世間一般でいう「大金持ち」になる事ではない。「自分の理想の人生を生きる」ことを一言で「成功」と位置付けた。そして勿論、自分自身「成功」している訳でも「大金持ち」な訳でもない。今まで歩んで来た道、これから進む目指すべき「成功」への道を自分の為に記録する事にしただけだ。そんな(今はまだ誰も知らない)ベンチャー起業社長の物語シリーズである。


物語シリーズ①はこち
成功への道①〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

前回の物語シリーズこち

 http://yuyunikki.hatenablog.com/entry/2017/06/05/235231

 

 

最初のドラマティックな出会いとはかけ離れた、超リアルな入籍を果たした俺はその入籍から二ヶ月半後にスピード挙式を挙げた。仕事の忙しさと非現実的な式の準備期間、引越しの準備等に奔走し、疲弊しきっていたがやるしかないのだから仕方ない。

入社したての新入社員がデキ婚しようが、そんなことはブラックな会社には関係ない。(ブラックじゃなかろうと当然関係ないのだが)

安月給に長時間労働なので転職も考えたが、夢を抱いて入った会社だ。好きな仕事ができるだけでも幸せだと思え的な上司の空気感は嫌いだったが、独立を考えている者やスキルを身に付けたい者にとってはうってつけの会社だった。将来独立したいと考えていた俺はそのまま会社に残る道を選び、安月給でもやりくりできる様に妻の実家(自転車を送り届けたあの家)に同居させて頂く事になった。

 

所謂マスオさんだ。

 

数ヶ月マスオさん生活を続けた後、妻のご両親が実家から近いマンションを購入してくれてそこに住まわせて貰う事になった。勘違いしないで貰いたいが、お義父さんは公務員でお義母さんはパートをされている一般的な御両親だ。決してお金持ちだという訳ではなかったが、可愛い娘と孫の為に退職金や長年貯めた貯金で住む場所を用意してくれたのだ。本当に御両親には頭が上がらない。感謝しかない。

それでも新入社員の安月給では生活も大変だったが、あろう事か速攻で2人目を妻が妊娠したのだ。1人目を出産してまだ一度も生理がこないまま、2人目を妊娠したのだから凄い。

 

そして俺は会社に辞表を出した。

今ですらギリギリの生活なのにもう1人増えるのは無理ゲーだと判断したからだ。

しかし上司から昇進させるからもう少し頑張れと止められ、渋々承諾した。辞めてどうするかも決まってなかったからこの時は辞めなくて正解だったと思う。そんな調子で2人目も産まれ毎日忙しい日々を過ごしていた矢先にあの東日本大震災が起きたのだ。

 

まだ小さい子を抱える身としては災害時における東京の脆弱さが浮き彫りになり、しかもあの原発事故で一段と不安が積もっていた。毎日ネットで情報収集し、海外帰りの友人と外国メディアの情報を交換していた。そんな中、職場で原発建屋爆発のニュースを見た時に家族を連れて名古屋へ避難する事をすぐに決心した。俺の両親は既に離婚していて実家がないので兄貴の家に居候させて貰ったが、上司から毎日いつ戻って来るのか電話がかかってくる。ずっと兄貴の家にお世話になる訳にもいかず、俺からすれば今まで通り仕事している方が異常だと思ったが、1週間様子を見て東京に戻った。社長に呼び出され単独行動は慎むように注意を受けたが、別に気にする事もなかった。むしろ大事な家族を連れて避難する事の何が悪いのか教えてくれ等と思っていた。

 

そして東京に戻ってきて間もなく、建築系の友人知人で立ち上げたNPO法人に協力して南相馬市へボランティアをしに行く事になった。

夜中に車を交代で走らせて早朝現地に到着した、そんなタイミングで妻から電話が入る。

 

俺「ちょうど今現地に着いたとこだよ〜」

妻「そうなんだ〜お疲れ様。わたしも1つ報告があるんだ〜。…3人目ができたみたい。

 

‼️‼️⁉️⁉️

 

俺「はっ⁉️マジで⁉️嘘でしょ‼️⁉️」

妻「マジマジ。後で写メ送るね。」

 

電話を切った後、検査薬の写メが送られてきた。愕然としたよ。激震が走るとはこの事だ。何故だ。何故このタイミングであいつは検査をしようと思ったのかも意味不明だが、2人目が産まれてまだ1回しか生理がきていなかったじゃないか。どうかしてるよ。

 

中々現実を受け入れられないが、取り敢えず会社は辞めないとなと思った。最早ボランティアどころじゃなかったが、やるべき事はやり、東京へ戻る。然るべきタイミングで上司に辞表を出したが、今度は止められなかった。苦笑いしながらもうちょっと計画的に子作りした方が良かったんじゃないと言われたが手遅れなのはお互い解ってる。

 

 

こうして俺は会社を辞めた。

 

 

三人も子供がいて良く独立できるなと友人からは言われたが逆だ。サラリーマンの給料じゃ養っていけない。転職も考えたが、独立して個人事業者としてやっていく事を決心した。

 

こうして最速でハットトリックを決めた俺は殆ど準備もしないまま起業する事になったのだ。

最初のシリーズで書いたとおり、 ここからようやくビジネスの話で「点」と「点」が繋がり「線」となっていくのだが、最初の「点」は間違いなくあの出会いから始まったんだと思う。

でなければ俺は今頃LAで悠々自適に暮らしていたはずなんだから。

 

ラブ・ストーリーは突然に - 小田和正 - YouTube

 

〜悠々自適に生きる〜

成功への道③〜理想の人生を生きる為に〜

ここで言う「成功」というのは単に世間一般でいう「大金持ち」になる事ではない。「自分の理想の人生を生きる」ことを一言で「成功」と位置付けた。そして勿論、自分自身「成功」している訳でも「大金持ち」な訳でもない。今まで歩んで来た道、これから進む目指すべき「成功」への道を自分の為に記録する事にしただけだ。そんな(今はまだ誰も知らない)ベンチャー起業社長の物語シリーズである。

 物語シリーズ①はこち

成功への道①〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 

前回の物語シリーズこち

 成功への道②〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族古民家暮らし〜

 

 

自転車騒動から一夜明け、その女性から改めて御礼のメールがきた。天然だけどその辺はしっかりしているなぁと思いつつ、御礼にお食事ご馳走しますと前日の帰り際に言われたが、

「別にご馳走してくれなくても良いから美味しいご飯屋さん教えてよ〜地元民なら色々知ってるでしょ?」

という話をしたのを思い出した。

まぁお互い社交辞令みたいなもんだしなと思いつつ、また慌ただしい日々に忙殺されていく。

 

 会社のプロジェクトが一段楽して久しぶりに早く帰路に着いたある日、ふと自転車女を思い出した。適当に飯食って帰ろうかと思っていたが、お誘いしてみようかなという気になった。あの日から数週間、連絡はとっていなかったので少し躊躇したが、まぁダメ元だ。

「久しぶりに仕事が早く終わったので、今から蒲田でご飯食べて帰るんだけど、良かったら一緒に食べないですか?」と会社を出ながらメールした。すると快諾の返事がすぐに届いた。レスポンスが早い!

蒲田で待ち合わせをする事に。

しばらくすると自転車女が現れた。

 

自転車女「お久しぶりです〜まさか連絡くれると思ってなかったです!何食べに行きますか?」

 

俺「久しぶり。オススメは?」

 

自転車女「ドジョウの踊り食いとかありますよ!」

 

俺「⁉️ドジョウの踊り食い⁉️…いや、別にドジョウの踊り食いはいいや。ってか美味いの?それ。」

 

自転車女「まぁまぁですね〜」

 

本当に変わってるな。まさかいきなりドジョウの踊り食いをオススメされるとは思わなかったわ。しかもまぁまぁとか言ってるし。

そんなやり取りをしつつ結局居酒屋に入る事になった。

 

食事しながら色々とお互いの事を話した。

自転車女は絵を描くのが好きで美大に入ったけど、油絵では食べていけないので中退して、好きなアニメの専門に入ったけど、過酷過ぎて中退し、今はメイクの勉強をしているのだそうだ。趣味はコスプレなんだとか。

 

コスプレ⁉️

 

マジか。アニオタがやってるアレか⁉️

と衝撃を受けた。衣装も全て自作しているんだと写真を見せてくれたが、ドン引きするぐらいハイレベルのクオリティだった。

昔同人誌も書いていたらしい。

 

同人誌って何?

 

俺はそんなレベルだったが、お構いなく同人誌の話を続ける自転車女。

 

新しい。今までに出会った事のない全く新しいジャンル、完全にニュータイプだ。

 

そんな衝撃にも近い印象を受けて、好奇心が湧いてきた俺は何度か食事に誘う様になった。

自転車女も学生なので基本的に家にいる事が多く、急なお誘いでも合わせてくれる。家も近いというのもあり徐々に飯友のような関係になっていった。

 

 

 そんな2人が付き合う様になるには時間がかからなかった。

 

 

 

 

 えっ⁉️

端折り過ぎ⁉️

いや、でも仕方ないじゃないか。俺は早くビジネスの話がしたいんだ。自転車女の話はもうこれくらいにしておこう。よく付き合ったきっかけは何だったのかとか聞かれるが、

 

ただ新しかった。俺の中でニュータイプだったんだよ。

 

 

そう答える事にしている。あと強いて言えば、

 

 

 

巨乳だったから(爆)

 

 

 

結局そこかいっ‼️

とツッコまれそうだが、このブログは何故か妻と妻の友人も読んでくれているそうなのでこれぐらいで勘弁してもらいたい。

それにしても

 

 

こんなキャラじゃ真面目な話を書いても誰もまともに聞いてくれないんじゃないだろうか。

 

 

そんな気がしてきた。そんな事より

 

 

将来娘が口を聞いてくれなくなったらどうしよう。いや、マジで。

 

 

 

やべぇ。不安に押しつぶされそうだ。

まぁここまできたら仕方ない。妻には絶対に勝手にこのブログの事を娘に教えないよう口止めさせておこう。そしてさっさと自転車女編を終わらせよう。

 

 

そうして俺は自転車女と付き合い始める事になるが、家が近いこともあり、ほぼ毎日俺の仕事が終わる時間に合わせて家に押しかけて来る様になった。(夜中だろうと)

途中の色んな事件は大人の事情で割愛させて頂くが、俺の親父に初めて紹介する当日の朝に妊娠している事が発覚したんだ。忘れもしない。合鍵を渡していた自転車女が朝一、俺が寝ているベッドに入ってきて一言

 

『ねぇ〜お父さんになったら嬉しい❔』

 

 

おぃおぃ。嘘だろ。朝から冗談キツイわ。

俺は無言で寝返りをして背を向けた。

 意識が徐々にはっきりしてきて、事の重大さに気が付き、また向きを変えて自転車女の顔を確かめる。

 

 

俺「マジで⁉️嘘でしょ⁉️」

自転車女「まさか。こんな嘘つく訳ないじゃん。」

 

…マジか。ガチなやつや。

 

こうして俺は半分夢の中で今日から父親になる事を告げられた。3月3日、運命の雛祭り🎎

彼女はメイクの専門学校の卒業を控え、アメリカ留学の願書受付最終日だった。そうなのだ。

自転車女は卒業したらアメリカに留学する予定だったのだ。しかもLAはマリナデルレイ。俺が昔働いていた所だ。

日本で3年修行してアメリカに戻る予定だった俺はアメリカで再会できるかもね〜なんて話をしていたのだが、2人の運命がそうさせなかった。

 

その日の夜、俺の親父に彼女を紹介し、子供ができたので結婚すると伝えた。心底驚いていたが、当然だろう。俺が一番驚いているのだから。そして一週間後、どうせならと彼女の誕生日に、まだ肌寒い風が吹き荒れる中2人で(何故か自転車女のご両親に途中まで付き添われながら)婚姻届を太田区役所へ提出した。(俺が走って逃げるとでも思ったのだろうか?)

こうして自転車女は俺の妻になった。

24歳、俺の青い春は終わりを迎えた。

 

〜悠々自適に生きる〜

 

 

成功への道②〜理想の人生を生きる為に〜

1年のアメリカインターンシップから帰国した俺は東京の設計会社に入社した。というか、帰国後入社する前提でその会社からインターン先を紹介して貰ったのだ。だから就活というものはした事がない。コネでもなんでも使える物はフル活用するのが俺のやり方だ。就活に苦労した人なんかがこの話を聞くとイラッとすると思うが、事実なんだから仕方ない。

 

帰国後3日で物件を探して契約しなければならなかった俺は大田区蒲田に住む事になった。正直名古屋が地元なので土地勘など全くなかったのだが、蒲田は住みやすい街だったし、飲み屋も多くすぐに気に入ることになる。

入社早々忙しくなり、家具もカーテンも買う暇もなくあっという間に1ヶ月が経った。(設計会社や事務所はスーパーブラック業界なので、終電帰りやたまに徹夜する事もザラだ) 大都会東京、コンクリートジャグルでベッドもカーテンもない部屋で床で寝る生活をしていた。くたびれた身体は床では中々疲れが取れないが、そんな暮らしをそれなりに楽しんでいたんだ。ただ、東京の人の多さ、満員電車はキツかった。人が多過ぎるせいで他人に無関心な東京の冷たさ(席を譲らないとかね。)も嫌だったし、奴隷がぎゅうぎゅう詰めにされて運ばれている気にすらなる時があった。

そんなある日、朝の通勤時に蒲田駅の改札前で人が血を流して倒れているのを目撃したんだ。

確か1人の女性と駅員さんが介抱しようとしていたと思う。俺は急いで駆け寄り

 

「大丈夫ですか❓何処かに運ぶのであれば手伝います。救急車は既に呼ばれましたか?」と声を掛けた。

幸い駅員さんの迅速な対応で既に救急車は呼んでおり、あまり無理に動かしても危ないのでそのままにしておくという。

「大丈夫ですよ。ありがとうございます。後は駅員で対応致します」

と言われた。少し安心して

「そうですか。わかりました。宜しくお願いします」

と顔を上げた瞬間、背筋が凍る様な感覚が俺を襲った。物凄い数の人が無表情で通り過ぎて行くのである。ある人は見て見ぬふり、ある人は一瞥するだけ、朝の通勤ラッシュでおびただしい数の人間が素通りしていくのだ。

 

別に自分も何か出来た訳でも、手伝った訳でもないし、人集りが出来ても余計に大変なだけなんだが、その異様な光景にゾクッとし、すぐにその場を離れた。

 

俺はただの偽善者かもしれない。

だが、あんな無関心で無表情な人間にはなりたくない!東京には染まらない!

 

そう心に決めたんだ。

自分に言い聞かせた。俺は俺のままでいよう、と。

 

そして数日後、思わぬ場面に出くわした。友達と買い物をして飲んで家に帰る途中、先の方で自転車を引きずっている人がいるのが見えた。

夜中の12時過ぎだ。俺は普段裸眼で、そこまで視力は良くも悪くもないが夜は極端に視力が落ちる。近くになるにつれて比較的若い女性だとわかった。カゴには巨大なぬいぐるみが刺さっていて後輪を持ち上げて、少し運んではすぐに休憩している。そりゃそうだ。後輪を持ち上げるのは女性には大変だろう。

 

俺はなんでこんな時間に自転車🚲引きずってるんだ?と思ったのと同時にこんな時間に声を掛けてナンパみたいに思われても嫌だな〜と思っていた。お年寄りの方なら声を掛けやすいのに。

そんな事を思いながら通り過ぎようとした瞬間、この前の出来事とあの光景が脳裏に蘇ったんだ。

 

ヤバイ。俺はこのままここを通り過ぎる訳にはいかない。

 

そして別に嫌がられても断られても構わないじゃないか。自分の家はすぐそこだ。帰って寝るだけだし、気にする事でもないなと開き直った俺はその自転車の女性に声を掛けた。

 

「どうしたんですか?パンクでもしましたか?

運ぶの手伝いますよ。家は近いんですか?」

 

できるだけ怖がられない様に、警戒されない様に注意しながら話す。

するとその人は

 

「あっ、大丈夫です!ありがとうございます。家近いんで、自分で運べます!」

 

と言ってきたので、

 

「家近いならそれこそ手伝いますよ。俺が後輪持つんでハンドル持っててください」

 

そう言いながら後輪を持ち上げた。

まだ遠慮して断ってきたが、面倒くさいので多少強引に手伝う流れに持っていく。

 向こうも渋々承諾し、

 

「本当はめっちゃ助かります!」

 

と言ってきた。そりゃそうだ。重たいよ、コレ。後輪だけって言っても。

 

 だが、運び始めてすぐパンクしていない事に気付く。あれ?パンクした訳じゃないのか?と思い尋ねると鍵を無くしてしまったらしい。

嫌な予感が脳裏をかすめたが、敢えて聞かない事にした。

 

「あっ、因みに俺の家ココです。」

 

一応通り過ぎる時に伝えると、

 

「そうなんですか⁉️なんだかすいませんっ!ここまででも大丈夫ですぅ。」

 

となってしまった。あぁ、しまった。そういうつもりじゃなかったんだけど。と思いながら自転車を押していく。

実際引越してから駅周辺の飲み屋か、自宅までが行動範囲なので、ここから先は未知のエリアだ。聞けば実家暮らしで地元もこの辺りだという。

 

俺「御実家はどの辺りなんですか?」

自転車女「矢口渡わかりますか?」

俺「いや、わかんないです」

自転車女「○○商店街わかりますか?」

俺「いや、わかんないです」

自転車女「そうですか〜…その○○商店街の先なんですよ〜」

 

そうか。この先に商店街があるのか。

と思ったが、角を曲がっても商店街らしき景色が見当たらなかった。夜中だからか?

アケード的なヤツも見当たらないが。 

 

良い感じに右手がプルプルしてきた。

 

俺「ちょっと持ち手変えますね。あと上着をカゴに入れて良いですか?」

自転車女「勿論大丈夫です!銭湯帰りですか⁉️」

俺「⁉️いえ、違いますよ?なんで?」

自転車女「いや、格好が…そうかなぁって思っただけです!凄い汗ですけど、大丈夫ですか?」

俺「あぁ、大丈夫ですよ。」

(汗ぐらいかくよ。重てぇ〜。マジで全然商店街見えてこねぇ。)と心の中では唱えていた。

 

左手に持ち替えても中々商店街は見えてこない。(くそっ。また痺れてきやがった。)

ずっと気になっていた事を自転車女に問い掛けてみる。

 

俺「ってか、この距離を1人で運ぼうとしてたんだよね?かなり無茶でしょ。」

自転車女「そうなんですよ〜‼️荷物も多かったんで、自転車のカゴにまとめて自転車ごと運べたら楽かな〜って思ったんですけど、でもめっちゃ重くて心が折れそうになってたんですっ‼️」

俺「…そりゃ自転車という1番重たいアイテムが増えるからね…スペア…(さっき脳裏をかすめた嫌な予感だ)…スペアは持ってないの?」

自転車女「家にありますよ‼️でも自転車と一緒に…」

 

最早俺の耳には聞こえてこなかった。

そして、俺は天を仰いだ。

(嫌な予感が当たっちまった。ヤベェ。この女かなりヤベェ。天然が突き抜けてる。そんで全然商店街が見えてこねぇ。)

 

 

30分以上は経過しただろうか。

ようやく商店街らしきアーケードが見えてきた。既に汗だくで、手の感覚もほとんどない。

 

俺「あれ⁉️だよね?商店街って。」

自転車女「そうです‼️あの商店街を抜けるともうすぐです!」

 

もう何も言うまい。

商店街がどれくらいあるのか。

もうすぐってどれくらいなのか。

そんな事を気にしても仕方ないのだ。

ただひたすらに、黙々と作業をしなければならない時が誰しもある。今がその時だ。

 

遠くの方で声が聞こえる度に適当に相槌を打ちながら進んでいき、気がつくと実家に辿り着いていた。ようやく、この時を迎える時がきた。

雨は必ずあがり、夜は必ず明けるのだ。

ほっとしていたのも束の間。

窓の中から人影が現れた。

母、だろう。間違いなく。

 

母「あんた‼️何時だと思ってんのよ‼️ん⁉️あなた誰⁉️」

自転車女「お母さん‼️ヤメてよっ!私が自転車の鍵を無くして困ってた所をこの人が助けて運んでくれたんだよ‼️」

 

この後2人は何かやり取りしていたが、俺は既に昇天しかかっていたのであまり覚えていない。一刻も早くこの場を立ち去らねば。

 

俺「夜分遅くに申し訳ありませんでした。僕はこれで失礼します」

 

と早々に立ち去ろうとしたその時、

 

自転車女「待ってください‼️送っていきます‼️妹の自転車があるので。お母さんは中に入っててよ‼️この人を送ってくるから。」

 

なんか叫んでいる。俺には理解不能だった。

いや、今俺が送り届けた所じゃないか。

ナニヲイッテイル?

 

俺「いや、それじゃ俺が送り届けた意味がなくなるじゃないか。夜道も危ないし、帰り道も大体わかるから大丈夫だよ。家に戻りなさい。」

 

と言っている間にも妹の自転車を引っ張りだしてきて、

 

自転車女「大丈夫ですっ‼️帰りは自転車なんですぐ帰れますから。ほらっ!早く乗ってください!後ろに‼️」

 

唖然とした。嘘だろ?俺が後ろ?

想像しただけで気分が悪くなりそうだ。

 

俺「分かった。百歩譲って俺が前だ。帰りは自転車だから1人で帰れるな?俺も早く帰りたいし。助かるよ」

 

そう言って何故か二人乗りで元来た道を帰る事になった。途中お礼がしたいとコンビニに寄って"ガツンとみかん"(オススメのアイスらしい)とたばこをご馳走になった。

コンビニで一応お互いの連絡先を赤外線で交換し、今度改めてお礼させてくださいと言ってきたが、丁重にお断りした。

 

アイスを食べながらまた二人乗りで帰る。

自転車でも結構な距離だ。この距離を1人で運ぼうとしていた判断処理能力に脱帽しつつ、頑張った自分を心の中で励ました。

俺の家の下に着いて、送ってくれたお礼と気を付けて帰る様に念を押して自転車女を見送った。これじゃどっちが送り届けたのがわかんねぇなと思ったのは言うまでもない。

 

こうして長い一日が終わった。

シャワーを浴びて、ベッドもカーテンもない部屋の床に座りながらたばこを吸う。

「ド天然女だったな」と思い返していた。

 

まさかその自転車女が自分の妻になるとは、この時知る由もなかった。

 

〜悠々自適に生きる〜

成功への道①〜理想の人生を生きる為に〜

冒頭で断っておくが、ここで言う「成功」というのは単に世間一般でいう「大金持ち」になる事ではない。「自分の理想の人生を生きる」ことを一言で「成功」と位置付けた。

そして勿論、自分自身「成功」している訳でも「大金持ち」な訳でもない。今まで歩んで来た道、これから進む目指すべき「成功」への道を自分の為に記録する事にしただけだ。死ぬまで「成功」もなければ「失敗」もないと思っている。あるのは「過程」としての記録のみ。自分が目指した「成功」つまり理想の人生を生きられたか否かは死ぬ間際にしか分からないのだから。
今までの、そしてこれからの「失敗」や「挫折」を糧に「感謝」と「努力」を忘れず、将来の自分とあわよくば子供達の将来の参考になれば幸いだ。そんな(今はまだ誰も知らない)自信家ベンチャー起業社長の物語シリーズである。
なので、他の記事とは違いビジネスモード(内容も口調も重たい)になっている。完全に上から目線。気分が悪くなったら読むのを止める事をオススメする。


人それぞれに自分の理想の人生がある

 

どんな暮らしがしたいのか
どんな仕事がしたいのか
どんな生き方がしたいのか

 

理想がない人は今すぐに真剣に自分の将来、自分の人生と向き合う必要がある。明確なビジョンがあればある程、具現化できるからだ。
それこそ「大金持ち」になりたい人も沢山いるだろう。「お金」が嫌いな人、必要ない人はいないのだから。だが、更に突き詰める必要がある。

「何故」「誰の為に」「何の為に」必要なのか。この3W理論「WHY」「WHO」「WHAT」いわゆる「WHY」から始まるゴールデンサークルの考え方は昔TEDで観てから衝撃を受けて参考にしている考え方で、あらゆるビジネスや物事において参考になるので知らない人は覚えておくと良いと思う。

 

サイモン シネック: 優れたリーダーはどうやって行動を促すか | TED Talk | TED.com

 

TEDを知らない人は間違いなく損をしているので観た方が良い。テレビなんか観てる場合じゃない。世界中に凄い人や面白い人がいて、自分の知識を広げる事が楽しくなると思う。俺は本を余り読まなかったが、損をしてきたなと思っている。もっと色んな本を読んでいれば良かったと多少後悔もあるが、昔からリアルなストーリーが好きだったから仕方ない。勿論ファンタジーの物語の素晴らしさや素敵な物語を読み終えた後の清々しさも幾度かは味わった事もあるが、ノンフィクションをベースにした本を読んだ時の衝撃は今でも良く覚えている。

幸いネット上には情報が溢れており、知的欲求さえあれば能動的に情報を収集できる様になった。テレビで流される面白くもない番組や広告をただ受動的に受け取るのではなく、自分の興味がある世界中のリアルを情報収集できる時代なのだ。話が逸れたので戻す。

 

この3W理論に+1H、「HOW」つまり「どれくらい、どうやって」を掘り下げていくと、より具体的に自分の理想の人生と向き合う事ができる。例えば「お金持ち」になりたい人も人それぞれの理由がある。

 

「昔貧乏だったから」「モテたいから」
「自分の為に」
「好きな服や車や家が欲しい」

という人もいれば、

「十分な収入がないから」「将来不安だから」
「子供の為に」
「生活費、教育費の貯蓄が欲しい」「習い事をさせたい」

という人もいる。


これに+1Hの「HOW」「どれくらい」収入があれば良いのか、自分の中の「大金持ち」は「どれくらいお金がある人の事なのかを掘り下げて、「HOW」「どうすれば」そうなれるのかをより具体的に考えていくとヒントや方法が見えてくるかもしれないし、常に意識しておく事でアンテナが広がりチャンスを逃さなくなる。

これはビジネスだけでなく日常のあらゆる事において非常に重要な事だ。

「思考は現実化する」のだから。
名著と名高いナポレオン・ヒル著者の「Think and Grow Rich(思考は現実化する)」はまだ読めていないが、タイトル通りだと思う。

 

自分も若い頃は
「モテたい」「格好つけたい」
「勿論自分の為に」
「良い車に乗って、良い女を連れて、良い家に住みたい」

と普通に思っていた。
男なら沢山仕事して、当然稼いで「金持ち」になりたいし、そのつもりで努力もしてきたつもりだった。転機が訪れたのはアメリカ留学の時だ。


それまで学校と遊びに明け暮れていて、まともに本を読んだりした事もなかった自分は、アメリカで色々な刺激を受けて、自分で色々と調べる様になって意識が変わっていったのを今でも良く覚えてる。当然きっかけを与えてくれた出会いが幾つかあったのだけど、目から鱗とはこの事で、世界には自分の知らない事柄で満ち溢れている事に気付かされた。

上で紹介したTEDを観た時も同じ様な感覚を覚えた。好奇心旺盛な人なら沢山刺激を受けると思う。


そして改めて日本の素晴らしさを再確認し、知的欲求が物的欲求を遥かに凌駕する様になった。日本人として生まれてきた事に感謝し、誇りに思う様になった。
当時はデザインのインターンとして照明デザイナーの礎となる修業をしにLAにいたのだが、

 

「日本の為になる事がしたい」
「日本の素晴らしさを世界に発信したい」

 

と漠然と思う様になった。照明デザインは好きな仕事でスキルも身についてきたけど、このままデザインの仕事をしていこうか真剣に悩んだ時期もある。だが、この時の自分には具体的に「何が」したいのか、「どうすれば」良いのか分からず、判断できる知識も経験もなかった。色々な人に相談に乗ってもらったが、当時の自分は幸いにも照明デザインという夢、やりたい事を見つけてアメリカに来ていて、周りにはそんな人達が殆どだった。アメリカで仲良くなったのは自分の人生を掛けて勝負をしに来ている人ばかりだ。

 

・アメリカの大学を出て、そのままアメリカで仕事に就いている人

・映像クリエイターを目指し30代前半からアメリカの専門学校に入り、その後クリエイターとして活躍している人

・脱サラして美容師を目指してイギリス→アメリカと働きながら修業している人

・映画監督を目指し自主製作の映画を撮っている人

・ネクタイと靴下が嫌いで会社を辞めてバイトしながらサッカーをしている人

 

それこそ、色んな人(日本人)が勝負しに来ていた。最初の頃、俺は日本人との交流を極力避けていた。折角アメリカにまで来て、日本人とつるんでいても仕方ないと思ってたんだ。

でもサッカーだけは、日本人チームの一員として試合がしたいと思って参加したのがキッカケで現地で働いているタフな人達と友達になれた。この時サッカーを続けてきて本当に良かったと実感した事は言うまでもない。

 

そんな先輩達から、若くして夢を見つけてインターンの仕事をしにアメリカに来ている自分は本当に恵まれている環境なんだと教えられた。

その事にきちんと感謝するべきだし、自分の中で納得できる答えが出ないのであれば、元々の照明デザイナーの夢を目指した方が良い。他にやりたい事が明確になった時にもう一度真剣に考えて決めれば良いんだよ。とアドバイスを貰った。本当に有難い事に、昔から自分の周りには素晴らしい先輩や仲間に恵まれていたんだ。

 

そうして帰国した俺はデザインの仕事をしながら本当に自分がやりたい事、自分の人生を掛けて挑みたい事を模索し続けていた。

 

日本人として日本の為になる事がしたい。日本の凄さを素晴らしさを世界中に広める一役を担うような仕事がしたい。

 

決して 格好つけたい訳じゃない。

真剣にそう考えていた。

しかし、帰国後周りの家族や友人に話しても理解して貰えなかった。アメリカに感化されて帰ってきたなぐらいにしか思われなかったからだ。悔しくて涙した事もあったが、それまでの自分自身がそんな風に思われる様な人間だったからに過ぎないと後から気付いた。

 

そんな自分に転機の兆しが訪れたのは1人の女性との出会いがきっかけだった。この出会いを機にいわゆる「点」と「点」が繋がり「線」となっていくのである。

 

〜悠々自適に生きる〜