成功への道11〜理想の人生を生きる為に〜
リーキーガット症候群という当時は正体不明の病と闘い、妻の献身的な看病のお陰で約一年ぶりに(なんとか)動ける身体を取り戻した俺は、それまで持っていた価値観が大きく変化していた。
ここで言う「成功」というのは単に世間一般でいう「大金持ち」になる事ではない。「自分の理想の人生を生きる」ことを一言で「成功」と位置付けた。そして勿論、自分自身「成功」している訳でも「大金持ち」な訳でもない。今まで歩んで来た道、これから進む目指すべき「成功」への道を自分の為に記録する事にしただけだ。そんなベンチャー社長の物語シリーズである。
物語シリーズ①はこちら
成功への道①成功への道①〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族その日暮らし〜
前回の物語シリーズはこちら
成功への道⑩
齢30にして自分の身体が思う様に動かない経験をした事で、いつ自分が大病を患い動けなくなるかも分からないと痛感した。闘病中はベッドの上で動けない(体感重力が3倍ぐらいに感じる)自分を憂い、迷惑ばかり掛けている妻と子供達に申し訳なくて何度も涙を流したものだ。
このままくたばっちまうんじゃねぇか?
何度もそう思う事があった。
だが、よく考えれば自分より重い病と闘っている人は沢山いる。こんな事でくたばる訳がない。そう奮い立たせた。
元気になったら何をしようか、何がしたいかをずっと考えていた。
子供達と沢山遊びたい
家族で色々な所に出掛けたい
ずっと苦労をかけている妻を労いたい
バリバリ仕事がしたい
兎に角、やりたい事をしたい。
やりたい事しかしたくない。
こんな風に書くと厨二病だとかスピ系だと思われるかもしれないが、心底そう思ったのだ。
嫌な奴とは仕事したくないし、無駄な事なんてしてる暇はない。
自分の残りの人生かけて自分がやりたい事がしたい!自分の胸が躍るような事業がしたい!
そう強く思った時、自分の原点を思い出した。
アメリカに留学していた時、帰国した後も抱き続けた想い。
日本人として日本の為になる事がしたい。世界を舞台に。
別に格好付けてる訳じゃないです。
人に言うと格好付けてる様に映るから外ではあまり話した事もない。
でも本気なんですよ。
日本を出た事で日本を知り、自分が今までどんなに小さな世間と偏見と知識で、それが当たり前の様に生きてきたのかを痛感した。
渡米して最初の頃は友達もろくにいないし、インターンが定時に終わり夜間学校も行ってたけど、暇な時間が沢山できた。
日本にいた時は遊びが7割、勉強2割、サッカー1割みたいな生活をしていたので、立ち止まる事もなく慌ただしく生きていた(それはそれで最高に楽しかった)訳だが、ふとした事で日本の事をもっと知りたくなった。
日本人は1日12時間も働くって本当か⁉️
家族の時間も自分の時間も殆ど取れないじゃないか。クレイジーだな‼️
と言われて、確かにそうだけど、アメリカでも仕事できる人はそれぐらい働いてない?って聞いたら
その人達はその分稼いでるよ。
日本もそれぐらい稼げるの?
と言われて確かに〜と思ったのが、きっかけ。
昔の日本、日本人は凄かった。
日本企業がアメリカの企業をどんどん買ってたし、ハイブランドは日本人ばっかりだった。
今は中国人ばっかりだけど、日本はどうなってんの?
なんて聞かれても何も返答できなかった。
知らない。バブルも知らないし。
ずっと不況なんだよ。この20年。
それぐらいしか言えなかった。
そもそもなぜ高度経済成長してバブルになって、弾けたのか。プラザ合意とか近代史の勉強で覚えたぐらいで背景とか全然理解してなかったし興味もなかった。
でもアメリカで友達になった日本人の1人が、世界情勢とか日本の歴史とか凄い詳しくて、話をするのが楽しくて、本を読んで、ネットで調べて知った事をまたその人の家にお邪魔して夜中まで話込んでた。
眼から鱗がバリバリ剥がれていく感覚。
近代史において日本が果たした功績は計り知れない。欧米の帝国主義を終わらしたのが日本であり、アジアの主権が認められたのだって日本の存在が大きい。なんて事も全然知らなかった。
そんな話ができる人に出会えた事で日本の歴史や文化、技術力を調べるきっかけになり、日本人としての誇りとかアイデンティティみたいなものを持ち始めた事で、そういう日本の文化や技術を世界に発信できる様な仕事ができたら素晴らしいなと思う様になった。
だけど、当時自分は照明デザインの勉強をしにインターンとしてアメリカに来ていたし、デザインは自分の好きな事だし、夢でもある。
当時はその事でよく悩んで、その友達に相談していたのを今でもよく覚えている。
デザイナーの仕事は何処までいっても個人の力量が勝負の厳しい世界である。そんな世界に憧れて勝負したいと思ってアメリカまで来た。
でも、もっと大きな事がしたい。個ではなく全、社会に対して貢献できる事がしたい、役に立つ事がしたいと本気で思ってしまった。
政治家?いや、違う。ボランティアでもない。
事業活動は本来、サービスの対価であり社会貢献の対価なのであれば事業活動を通して日本の為に社会貢献できるんじゃないだろうか。
そんな風に漠然と新たな夢ができた訳だが、だからと言って何をしたいのか、何をすれば良いのか分からない。
その時、友達が言ってくれた言葉を今でも覚えている。
「今(当時)の俺の環境はとても恵まれてるよ。その事に感謝して、今できる事を一所懸命に努力していたら、きっといつかやりたい事が見つかるよ。その時、デザインのスキルやそれまでやってきた事は必ず役に立つと思うし、U(俺)の糧になってる筈だから、安心して今やるべき事をやれば良いと思う」
そう言って背中を押してくれた。
帰国前に最後に会った時、涙が止まらなかった。
それから約7年、子宝にも恵まれ我武者羅に走ってはいても常にやりたい事を探していた。
特に独立してからは新しい技術や案件にも積極的に参加して情報収集をしていた矢先に病気で倒れたんだ。
情報収集していた時にずっと気になっていた技術があった。動ける身体を取り戻し、自分がやりたい事をしたいと思った俺は、その技術を詳しく知る為にDMを送り、幸いにもアポを取る事ができた。
自分がやりたいと思える事は実はとっくに見つけていたんだ。それに気付いていなかっただけで。その時、確かに俺の中の点が繋がったんだと思う。
ここから先は、少し後に書いていく事にします。具体的な話になっていくにつれて、俺個人が特定されるだろうし、それはメリットデメリットあるけど、何より恥ずかしいw
ちゃんと世間から認知され、良くも悪くも評価された頃に備忘録としてまた更新していきたいと思う。
だが、これだけは言っておく。
あの日抱いた壮大な夢を、俺は今でも追い続けているんだぜ?絶対に諦めんじゃねぇぞ。
〜悠々自適に生きる〜
古民家裁判の判決が出た。
やっと…
遂に古民家裁判の判決が出ましたよ。
長かった❗️本当に‼️
約2年半もの歳月がかかってようやく判決です。
古民家裁判エントリーはこちら↓
空き家バンクを利用して田舎に移住したら事故物件だった件 - 悠々日記〜7人家族その日暮らし〜
この話は、豊田市の空き家バンク制度を利用して築200年の古民家を改装し、田舎に移住した7人家族+猫2匹の現在進行系リアルストーリーである。
病気で亡くなったと聞いていた前住人が実は自殺だった事が移住後に発覚したのだ。
古民家裁判提訴のエントリーはこちら↓
裁判は想定外の事ばかり
明らかに嘘をつかれ、騙された被害者として提訴したのだか、裁判は予想外の展開へと発展していった。
先ず、やはり豊田市及び職員の責任追及は難しくこちらの正当性を主張するも根拠となる証拠不足(録音テープでは不十分!)と契約書に守られており、当初から厳しい展開が続いた。
攻め方はあった筈だが、途中からこちらの弁護士も諦めモードだった様だ。事例がない為、新事例はどうしても担当の裁判官に左右される。
そして一番驚いたのが、大家と管理人側の主張である。自殺があった小屋の地番が違う事を理由に賃貸契約範囲外と主張してきたのだ。
さらに、答弁書では虚偽の主張を並べ立て、法廷でも同様に嘘八百の答弁を繰り返した。
このブログについても相手の弁護士が調べており、賃貸申込のコメントが入っていた事を引き合いに出して俺が事業の一環で古民家改修を行い民泊事業を行うつもりだったんじゃないですか?などと妄想をぶつけてきた。
このブログを最初から読んでいる筈なので、俺や家族がどんな想いで田舎暮らしを始めたのかを知った上で、裁判に使えるネタだけを切り取って疑惑として印象付けしたのだ。
マスコミみたいなクズ弁護士である。
裁判は闘いである。
分が悪ければ嘘もつくのだろう。
全て自分が責任を取ると言っていた管理人は大声で嘘の主張を繰り広げた。
大家は知らぬ存ぜぬの一点張り。
管理人の娘であり、俺の息子の元同級生の母親も傍聴席に座り、ブツブツ小言が聞こえてくる。
傍聴席、俺の隣で妻は泣いていた。悔しくて。
泣きたい気持ちは分かる。
俺だってめちゃくちゃ悔しいし、平気で法廷で嘘をつく人達を睨みつけていた。
何としても勝訴したい。
こちらの主張を認めて貰いたい。
だが、裁判は思わぬ方向に進んでいく。
裁判官から言われた衝撃の言葉
原告、被告の本人聴取を終えた後、控室で裁判官と面談がある。
いわゆる和解協議というものだ。
双方主張は出尽くした上で、裁判官側から和解の調停が入る。
そこで耳にしたのは衝撃的な事実だった。
「現時点では原告側の分が悪いです。」
何…だと❓
明らかに被告側は嘘の主張をしている。しかも法廷で!
被告側の証拠資料も根拠と呼べる代物ではなく、否定する主張をずっと行なってきたが、有りもしない事実がない事を証明する事は難しい。嘘の主張を覆す証拠など、そもそもそんな事象は存在しないのだから証拠など有る訳がない。
両者の主張は食い違っており、裁判官としては契約の範囲内で判断せざるを得ない。その場合、契約書には母屋の地番のみが登録されており、問題の小屋の地番は登録されていないので、重要事項説明義務はなく事故物件とはいえない。という判断をせざるを得ないと言われた。
そんな馬鹿な❗️
被告は法廷で嘘までついているんですよ⁉️
地番が分かれている事は契約時も聞かされていないし、敷地内の建物や道具類は自由に使って良いと言われていた。更に駐車場の小屋も地番違いの土地だったが、被告側はそれだけ特別に許可を与えただけ、契約時に賃貸範囲をテープで記し明確に説明したと嘘をついていた。
だが、そんな説明は受けていないという証拠はどこにもないのだ。
これもクズ弁護士の考えだろう。
嘘を前提に答弁書を作成するなど、弁護士としてクズの極みだ。
ならば、立ち合いしていた豊田市職員と不動産仲介業者を証人喚問して証言を取ってくださいと主張したが、これまで2年以上も時間を費やしてきてこれ以上長引かせるつもりはない。
豊田市職員と不動産仲介業者を証人喚問する機会が必要であればもっと早い段階で実現できた筈です。と裁判官から言われた。
その上で和解期日を設け、双方の和解金額の提示をする事になった。
俺は愕然とした。
正直便りないこちらの弁護士とやる気のない裁判官、そして嘘を並べる被告とそのクズ弁護士。
現実とはこんなにも厳しいのか。
だが、諦める訳にはいかない。
証人喚問ができないならば、証言として証拠提出するしかない。
被告は嘘を付いているのだから、第三者の証言でそれを証明できればまだ勝ち目はある。
豊田市職員は被告側なので、こちらに有利になる証言は出さないだろう。
不動産仲介業者しかない。
弁護士に証言を取ってくる様に頼んだ。
だが、数日後弁護士から連絡が入る。不動産仲介業者に電話しても繋がらない、連絡が取れないらしい。
此方から調べて連絡するも、何度電話しても繋がらない。更に調べて別の番号が発覚し、電話すると自宅に転送されてようやく話ができた。
だが、
「当時担当していたのは父親で自分は分からない。うちは関係ない。豊田市の指示どおりに形式上仲介しただけだ」
と言われた。
「ですが、豊田市は重要事項説明義務は仲介業者にあると主張しております。当該物件は複数の地番で構成されていましたが、登録は一つの地番のみです。ご存知でしたか?」
と聞くと、そんな事は全く知らないと驚いていた。何とかその事を陳述書として提出したいので、と頼み込み協力して貰える事に。弁護士から書面を送って貰う様、頼んだ。
これで先ずは一安心…
と思いきや、和解期日数日前に弁護士から連絡が入り陳述書がまだ届いていない。電話しても繋がらない状況だという事が判明した。
間が悪い事に俺は海外出張中で対応できない。
妻に頼んで不動産仲介業者に電話してもやはり繋がらない。
どうしようもないので、妻に自宅兼事務所に突撃して貰う事になった。
すると、とっくの前に郵送していたのかと思いきや、弁護士から書類が届いたのは二日前だという。妻が泣きながらお願いして当日中に返送して貰える事になったが、本来このやり取りは弁護士事務所の仕事だ。
裁判から帰りの電車内で今後の対策を講じるでもなくパスドラをしていたこちらの弁護士にも愛想が尽きた。
何とか陳述書を提出できたが、判決にどこまで影響があるかは不明だった。
和解の金額も双方大きな開きがあり、判決を待つ事になった。結果は…
逆転勝訴‼️
こちらの主張を全面的に認め、被告の主張を退ける形で損害賠償請求が認められたのだ!
豊田市の責任追及は認められなかったが、改修費用の半額程度が賠償請求された。
被告からの上告もなく、先日無事に賠償金も支払われた。
正義は勝つ❗️
いやぁ、やっぱり陳述書が効いただろうな。
本当に良かった。
人生、色々あるけど諦めないことが肝心。
皆さん、ご心配お掛けしました。
応援ありがとうございます。
〜悠々自適にいきる〜
屋久島に行ってきた
「9歳の試練」
我が家では9歳になると、親父(俺)と二人旅をして、試練を乗り越えなければならないという鉄の掟がある。きっかけは長男が昔、通っていたシュタイナー教育の教えから始まったのだが、単に親父が行きたいだけという説もある。
「9歳の危機」に関して詳しくは下記エントリーで解説している。
息子と富士山に登ってきた〜1日目〜 - 悠々日記〜7人家族その日暮らし〜
長男が9歳の時に富士山を登った時のエントリー。あれからもう2年。想像以上に月日が経つのは早い。
今回は次男が9歳になったので、
「富士山に登る」
or
「縄文杉を見に行く」
どちらが良いか本人に選ばせた。
最初は迷っていたが、屋久島には海もあると聞いて次男は屋久島に即決した。
やや動機が不純な感じもしないでもないが、俺が屋久島に行きたかった事もあり、今回の屋久島試練の旅が決まったのだ。
(因みに長男にも選択肢を与えたが、日本一の富士山に登ると自分で決断したのだ)
試練工程
初日
↓
ガイドさんが空港までお迎え
↓
そのままリバーカヤック直行
↓
ホテル到着。温泉に入り、次の日の試練に備える
2日目
朝4時ホテル出発
↓
5時〜トレッキング開始
約12時間かけて22kmのコースを往復
↓
ホテル到着。温泉に入り、試練の疲れを癒す
3日目
ホテルで朝食バイキング後、チェックアウト
↓
午後からシュノーケリング
↓
空港まで送迎してもらい、帰路に着く
こんな感じ。
試練?なのか?と思うかもしれない。
一見アクティビティの予定を詰め込んだだけにしか見えないが、これは間違いなく試練なのである。
遊びを通じて大事な事を学ぶ事ができるのだ。
(別に俺が遊びたいだけでは断じてない)
確かに二日間、風呂にも入れず山小屋で寝泊まりして、ひたすら富士山を登った長男と比べるとかなり充実した試練に思えるが、これもまた個性。良いんです!
兄貴と同じ、ではつまらんだろう?
こうして、次男と初めての二人旅で男の試練の舞台である屋久島を目指した。
リバーカヤック
朝一、妻に空港まで送ってもらいチェックインしてる時も、息子は少し緊張気味だ。
初めての飛行機ではないが、彼にとっても数年ぶり。緊張するのも仕方ないか。
だが、飛行機の離着陸の時にシートにしがみついて、やたらと怖がっている。
話を聞くと、ジェットコースターに乗ってからGがかかるのが余計に怖くなったらしいw
完全に俺のせい。かもwww
夏休みに長島スパーランド(東海圏なら誰でも知っているアトラクション特化型の遊園地)に連れて行った時に、折角来たんだから乗れるだけ乗ってこうぜ!って長男と次男を連れ回してジェットコースターに乗りまくったのを思い出した。2人とも乗り終わった後、泣く程怖がってたな。
怖がる息子を隣で笑う親父。
そんな調子で試練の旅が始まり、昼前には屋久島空港に到着した。
プロペラ機で到着した空港は想像以上にレトロな雰囲気で預けた荷物は正に手渡しでカウンターから貰う様な感じ。
少し空港でガイドさんを待ち、そのままリバーカヤックへ直行。
乗り方や練習も丁寧に教えてくれて、息子もすぐに慣れた様子。
屋久島は海抜ゼロメートルの河口付近からかなり上流まで高低差無く続いている珍しい地形らしく、難なく登っていけた。途中流れが厳しいエリアもあり、大人(割と年配の方かな)がリタイアしたポイントもクリアし、最上流まで行く事ができた。途中、魚釣りや網取り、川泳ぎもできて充実したイベントだったし、息子もすぐに乗りこなせた事が嬉しかったらしく、誇らしげだ。
縄文杉
2日目は早朝4時から今回のメインイベント、試練の縄文杉トレッキングに出掛けた。
往復22km,12時間かけて標高600mから約1300mを登って降りてくるのだから、文字通り試練だ。大人でもキツイし、ガイドさん曰く、つい昨日も10歳の子がギブアップしたし、先日も14歳の子が登れなかったと言っていた。
実際、このツアーには10歳以上じゃないと本来参加できないのだが、無理を言って参加させて貰った。(別に恫喝した訳ではない)
3時間もトロッコ道を歩き、そこから3時間かけて登山していく訳だが、休憩はかなり短い。
帰りは5時間かけて下山するので、休憩時間はトータルで1時間程度だ。
最近芸能人でいうとGACKTや女優さん(名前忘れた)がプライベートで屋久島に来たらしいが、どちらも縄文杉まで登らなかったらしい。もののけ姫で有名な白谷雲水峡に行ったそうだ。
そんな過酷なルートを9歳の息子がペースを落とさずに登って行けるか、多少の不安もあったが、本人は全く動じず、弱音を吐かずに登って行く。
頼もしいな。
素直にそう思った。
長男の時と同じ様にすれ違う人達が息子を見て驚き、歳を聞いてくる。
「3年!」「9歳!」
と応える度に「凄いねぇ」と返ってくる。
だが、それに対する反応は少し長男のソレとは違う。照れ隠しもあるが、一々喜ばないのだ。
父親の俺が褒めても
「ふーん」
とか
「別に」
なんてリアクションだ。
照れ隠しもあるが、
「これぐらい当たり前だよ」
ぐらいに思ってるんだろうと思う。
10歳の子が泣きじゃくってリタイアした話をガイドさんから聞いた時も
「だっせっ‼️」
と言っていたwww
次男が1番俺に似ているwww
妻からも言われるし、俺もそう思う事が良くある。気性が似ているんだろうな。
縄文杉に辿り着くまでに有名なウィルソン株など、いくつも絶景ポイントがあり、そこら中に信じられないサイズの切り株や倒木もあって登山中も全く退屈しない。屋久島の森は着生と言って岩盤の上に苔が生え、その上に木が根を張り成長している特殊な森らしい。
#9歳の試練#息子と二人旅#我が家ルール#親父が1番楽しんでる #屋久島#縄文杉#ウィルソン株#山と海と川#全部最高
遂に縄文杉に辿り着いた。
噂に名高く神聖で尊厳に満ちた雰囲気もあったが、観光地が進み近くまで行く事や触る事はできない。どこか寂しい雰囲気を感じる。
元々屋久島で1番大きい杉は大王杉と呼ばれる屋久杉であった。地元の伝承で山の奥に更に大きな杉があると知った当時の調査隊が縄文杉を発見したのだ。ほんの数十年前の話。
その時の感動は如何程だっただろうか。
そんな想いを馳せると感慨深くなる。
縄文杉の樹齢は不明だが、4000年〜7000年と言われているそうだ。
最早、神の領域。最強の御神木である。
15分程休憩して、下山スタート。
休む間も無くという感じだが、仕方なし。
下山途中、俺の足の裏はマメだらけになったが、息子は平気らしい。サクサク歩いて行く。
若さか。
無事に下山してクタクタになってホテルに戻り、温泉とビールが疲れた身体に染み渡る。
心地良い疲労感で部屋に戻ると2人ともすぐに爆睡した。こうして次男の9歳の試練は無事に完遂した。
シュノーケリング
3日目、午前中は疲れているだろうと予定を入れていなかったが、チェックアウトして暇を持て余していたのでホテル近くの海中温泉に行く事にした。
その名も平内海中温泉
干潮の時にしか入れず、脱衣所なし、水着着用不可の天然温泉らしい。しかも混浴。
コレは行くしかないと思い、タクシーの送迎をホテルに頼んだ。
15分程で到着し、1時間後ぐらいに迎えに来てと頼み、いざ海中温泉へ。
上がり湯小っさ‼️
思わず突っ込んでしまった。
コレは入るしかないだろう。
眼前に広がる壮大な海を見ながら、波の音が心地良い。
おっさん、全裸。
残念ながら他に誰もいなくて美女との混浴ハプニングは果たせなかったが、風呂に浸かりながら此処で後1時間風呂に入って待機してるのは無理だと気付いた。
息子は既に外に上がっている。
ヨシ。この後のシュノーケリングに備えて水着と水中メガネを持参していたので、隣の岩場で魚と戯れる事にした。
波が強く、岩場なのでかなり危ういが、少し内海になっている場所で潜ってみると透明な海中にお魚さん達が沢山泳いでる!
興奮して息子を呼んで一緒に潜る。これなら1時間はあっという間だな。
そう思っていた矢先、波にのまれた弾みで岩場の牡蠣の殻で指先を切ってしまい、
息子氏、流血。
テンション下がり、海から上がってティッシュで止血。
最後にもう一回温泉入って帰ろうと話していると外人のお姉さんが1人訪れた。
コレは⁉️まさかのハプニングか⁉️
と期待したが、当然外国のお方がこんな温泉に入る訳はない。
写真を撮って帰っていたので、気兼ねなく温泉に入る。相変わらず息子のテンションは低い。
ホテルに電話してタクシーに早めに迎えに来てもらう様に頼んだ。
ホテルでバンドエイドを貰い、シュノーケリングの迎えを待つ。暫くしてガイドさんが迎えに来てくれて、島の反対側のポイントに向かった。
息子は初めてのシュノーケリングで、泳ぎも余り上手くなかったが魚を見る為に夢中で泳いでいた。
前日の雨でコンディションはそんなに良くなかったが、息子にとって初体験というのはとても大事な経験だったに違いない。
その後、地元の温泉に連れて行って貰い、着替えて空港まで送って貰った。
これで屋久島試練の旅は終わりだ。
次男と2人きりで貴重な時間を過ごし、得るモノも多かった。
何より屋久島、楽しかった。
帰りの飛行機、息子に変化があった。
もう怖くないと言っているのだ。
離着陸の時もシートにしがみ付いたりしなかった。
日に日に成長しているんだな。
正に息子の成長を目の当たりにして嬉しい気持ちになる。試練の成果はこれだけではない筈だが、目に見えて成長していく息子を頼もしく感じた。
俺もまだまだ成長していかなければならない。
帰ったらまた忙しい日々が始まる。
リフレッシュできたし、また全力で走っていけるだろう。
〜悠々自適に生きる〜
成功への道⑩〜理想の人生を生きる為に〜
4人目の出産に立ち会った後、入院中の家事育児は当然俺の担当である。
母親に手伝って貰いながら、何とか家を回しているが、体調が本調子ではないので身体が思う様に動いてくれない。
情けない気持ちで一杯になる。
ここで言う「成功」というのは単に世間一般でいう「大金持ち」になる事ではない。「自分の理想の人生を生きる」ことを一言で「成功」と位置付けた。そして勿論、自分自身「成功」している訳でも「大金持ち」な訳でもない。今まで歩んで来た道、これから進む目指すべき「成功」への道を自分の為に記録する事にしただけだ。そんなベンチャー社長の物語シリーズである。
物語シリーズ①はこちら
成功への道①成功への道①〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族その日暮らし〜
前回の物語シリーズはこちら
成功への道⑨
子供達を連れて入院中の妻の所へお見舞いに行った。妻の希望もあり、助産院で出産したのだが、個室、手作り料理、神対応の診察など、一般の病院とは全く違う。
しかも、安い!
(実はこれが一番有難い。補助金の範囲内で全て賄える金額なのだ。)
出産に立ち会った時は上の子供達と一緒にへその緒を切らせて貰ったりもした。
(勿論、子供達も出産に立ち会った‼️)
そんな素晴らしい助産院さんなので、大人数でお邪魔しても嫌な顔一つしない。
久しぶりに会うお母さんと産まれたばかりの赤ちゃんに子供達は夢中だ。
なんと微笑ましい光景なんだろうか。
そんな事を思いながら、束の間の休息を取ろうと布団に横になった途端、
寝てしまった。
もう一度言おう。
長い妊婦生活を経て、想像を絶する痛みに耐え、無事に出産を終えた産後間もない妻の布団で、
俺は寝てしまったのだ。
なんという失態。ミステイク!
アウトだ。これは完全にアウト!
数分後、
「あぁ〜、父ちゃんが寝てる〜」
という声に反応し目が覚めた。
「いや、そんな事ないよ…」
声に力がない。
「ちょっと横になってただけだよ?」
なんて白々しい言い訳をしても無駄だ。
現場を押さえられている。
「ごめん。ちょっと疲れてて寝てしまった…」
そう言うと
「お父さんも疲れてるんだから、休ませてあげようよ。」
と、妻の神対応。
なんて優しい妻なんだと思いつつ、心苦しい程肩身は狭かったが、
「すまん…」
と言い残し仮眠を続ける俺。
だが、当時はどうしようもなかったのだ。
既に冬のイルミの施工は終えていたが、動かない身体に鞭を打って現場に出て指示を出し、クタクタ(ボロボロ)になって家に帰り、週末は療養。そんな生活では体調は回復する筈もなく、ギリギリの状態で家事と育児をこなしていた。
妻の有難み
を入院中に噛み締めたのは言うまでもない。
お見舞いに行って、安堵したのは俺の方だった。
だからと言って妻の布団で寝て良い訳ではないのだが。
退院後、大変なのは当然妻である。
4人の子供たち(内、1人は乳飲み子)に要介護の病人(俺)まで面倒を見なくてはならないのだ。
お願いだから早く良くなって!
と懇願されてもすぐには良くならない。
俺も早く治したいんだが…
こればっかりはどうにもならない。
だが、GAPSのおかげで少しずつ回復している実感が持てたのは救いだった。
そのまま慌ただしく年を越し、春が訪れた頃にようやく動ける身体を取り戻す事ができた。
全快という訳ではなかったが、日常生活や仕事ができるまで回復したのだ。
そして、この病気を経て俺の人生は大きく方向転換して動き始める事になる。
〜悠々自適に生きる〜
「役に立つ」か「意味がある」もの
少し前に秀逸な記事を読んだので忘れない様にメモしておく。この山口周さんの分析、解説は非常に分かり易い。ものをつくる、売る、伝える人にとって知っておかなければならないロジックだと思う。
GAFAのなかで、Appleだけが「意味」の世界で闘っている グローバル競争で生き残るのに必要な、たったひとつの考え方 - ログミーBiz
世の中で売れているモノっていうには必ず、「役に立つ」っていうベネフィットか、「意味がある」っていうベネフィット、どちらかがあります。「役にも立たないし意味もない」っていう商品は、世の中に存在できません。
自動車産業を当てはめてみるとけっこうわかりやすいです。日本車のほとんどって、「役に立つけど意味がない」んですね。移動手段として快適で、燃費が良くて安全に移動できますよっていう、役に立つ手段として買われてます。家族みんなで移動するときにはやっぱり公共交通機関より車のほうがいいよね、っていうことで買われてるんですけども。
「アルファードじゃないと俺の人生じゃない」とかですね、「アコードに乗れない人生なんて有り得ない」とか、そうやって買う人ってあんまりいないと思うんですね。日本車でも例えばNSXとか、昔のスカイラインとかね、本当にそういうの好きで乗ってる人いると思いますけども。99パーセントの人はふつうに移動手段として役に立つから買ってる、っていうぐらいのもんだと思います。
値段が10倍だからといって、機能も10倍になるわけではない
もちろん移動手段として買ってるっていう側面が強いんですけれども、役に立つだけだったら日本車買えばいいじゃないかって言うと、「いやいや、やっぱり俺はBMWが好きなんだ」とか「やっぱりポルシェが好きなんだよね」っていう人はいるわけです。これ、値段でいうとプラスアルファで400~500万から1000万ぐらい払うことになって、値段としては3倍、4倍するわけですね。じゃあ3倍、4倍役に立つんですかとそうではない。「うちのアルファードは7人乗れるんですけれども、それだけ出したら20人ぐらい乗れるんですか?」「いや乗れません、5人ですよ」と。「じゃあ燃費がリッターで15キロぐらい走るんですけれども、60キロぐらい走るんですか?」「いや、あまり燃費変わらないですね」と。
機能は変わらないんですよ。安全性も変わらない。でも値段は3倍~4倍します。じゃあ何にそのお金払ってるんですかっていうと、意味を買ってるんですね。その人にとってのなんらかの情緒的な意味を買ってるわけです。意味に500万とか600万とか乗っけて買ってるわけです。
さらに言うとですね、役に立たない自動車ってあるんです、おそるべきことに。役に立たない、意味しかないっていう自動車があります。「ドアが上に開くのになんか意味があるんですか?」って言うと、意味があるんですね、あると思う人にとっては。
これ、3,000万とか5,000万とかします。値段は10倍です。10倍~20倍ぐらいします。「じゃあ10倍人運べるんですか?」っていうと「いや運べません、むしろ二人しか乗れません」と。「荷物はどうなんですか」、「ほとんど荷物積めません」。「じゃあいろいろなところ走れて役に立つんですか?」「いや、車高が低いんで悪路走らないでください」と。「雨が降ったら危ないんで走らないでください」と、こんな感じで。
(会場笑)
「じゃあ何に使うんですか」って言うと「銀座の大通り、爆音出して突進するんですよ」と。みんな見ますよ、っていう(笑)。それで「よし買った」ってみんな買うわけですね。で、値段は3,000万から5,000万円。
「役に立つ」ことの価値はなくなりはじめている
おそらく過去10年の間で、特殊な自動車じゃなくて、いわゆる自動車メーカーが「新車」として生産した車で一番高額な車っていうのは、Jaguarが販売した1960年型のJAGUAR E typeのレプリカだと思います。ル・マンで優勝した車を20台だけ限定生産したんですね。その20台だけ限定生産したものの、新車の定価が2億円です。で、即日完売ですね、当然。これは何を言ってるかっていうと、「役に立たないけど意味がある」っていう自動車は2億円で売れるんです。で、「役に立つ自動車」っていうのはせいぜい100万円から300万円でしか売れないっていうこと。何を言ってるかっていうと、「役に立つ」っていうことに価値がもうない時代になってるんです。
ここが非常に難しいところで、私はビジネススクールとか企業の研修でよくこのお題を出すんですけれども。「グローバル企業になるぞ」っていろいろな会社が掛け声を上げてますよね、今。グローバル化、グローバル化、って。
グローバル化、みなさんの夢ですね、いいですね、と。「じゃあ日本企業でグローバル化に成功した会社ってどこだと思いますか? 挙げてください、イメージで」って言うと、いろいろ出てくるんです。キヤノンだ日産だ、トヨタだホンダだパナソニックだコマツだ、とかいろいろ出てくるんですけど。
20社ぐらい出た段階で、「はい、もういいです、打ち止めです。じゃあこの役に立つ・立たない、意味がある・ないっていう市場で、どこの市場で戦ってる会社かっていうのでプロットしてください」って言うと、ほとんどが「役に立つけど意味がない」っていう市場に入ります。
まぁいいじゃない、と。役に立って、それで戦ってちゃんと市場で勝ち残ってるんだからそれでいいじゃないですか、っていう話もあるんですけれども、ちょっと待ってくださいよと。そこで考えなくちゃいけないのが、「どちらのほうが強豪として生き残れるか、サスティナブルか」っていうことなんですね。
動かすのにコストのかからないサービスは、あっという間にグローバル化する
みなさんも直感的に違和感を感じるのは、「役に立つ」と「意味がある」っていう峻別を頭の中でやって、「役に立つものは1個でいいけど意味があるものは多様化するよな」って思ってるんです。その典型例がGAFAですよ。GAFAっていうのは、世界中を支配するって言われてますけど、なんでそう言われるかっていうと「役に立つから」なんですよ。Googleって検索エンジンですよね。で、検索エンジンに意味ってないんですよ。役に立つ検索結果を返してくれればいいんですね。
例えばGoogleじゃなくて、Googleの競合でPoopleっていうのがあって、たまにすげぇ変な検索結果返してくるけど味があんだよね、とか。そういうのは必要ないわけですね(笑)。
(会場笑)
いらねぇよそんな検索サービス、って。Googleだけでいいじゃん、と。今、日本ではヤフーがちょっとがんばってるので、Googleのシェアそんなに高くないですけど。G7のGoogleのシェアの平均って90パーセント超えてますからね。なんでこういうことが起こるかっていうと、「役に立つけど意味がない」っていう市場において、かつ「動かすのにコストのかからない」サービスは、あっという間にグローバル化します。
動かすのにコストがかからないっていうのは、つまりどういうことかっていうと、ガラスを考えてもらえばわかりやすいんですけど。ガラスってもちろん役に立つんで売れてるわけですね。B2Bの素材ですけども。
役に立つんですけど、ガラスってけっこう「かさ」があるんですよ、値段のわりに。だから運ぶとものすごいコストがかかる。だからあんまり遠くに運ぶよりかは、ローカルで作ったほうが効率がいいってことになるので、ある程度役に立つけど意味がない……ガラスにあんまり意味はないわけですね。本当もう、ガラスとして性能が良ければどこでもいいよ、ということなんですけれども。
GAFAの内、Appleだけが「意味」の世界で闘っている
PilkingtonとかCorningとか、そういう会社はアメリカでグローバルに何社かで棲み分けてます。ああいうかたちで何社か棲み分けるのはなぜかというと、移動にコストがかかるからなんですね。移動にコストがかかると、グローバル化のスピードはゆっくりになります。で、一番体積がちっちゃいのが何かっていったら、電子ですよ。一番ちっちゃいわけです。Googleっていうのは電子を売ってるわけですから。ITのサービスですからね。電子は一番体積あたりのコストがたぶん低いので、「役に立つ」っていう市場では1社だけになっちゃう。
ですからGoogleとAmazonとFacebookっていうのは、「役に立つけど意味がない」っていう市場で、しかも電子を売り物にしてるので、世界的にシェアがある。ミクシィが負けてしまったのは当たり前のことですよね。その「役に立つけど意味がない」って市場で戦ってるわけですから。
唯一の例外はAppleで、あれはやっぱり買う人にとっては、なんらかの意味を持って買ってるケースが多いと思います。ですからGAFAの中で唯一の仲間はずれはAppleで、役に立ってしかも意味があるっていうところで買われてるのに対して、残りのGoogleとFacebookとAmazonというのは、役に立つというところで生きてるということですね。
これつまり何を言ってるかというと、市場がグローバル化していくと、役に立つっていう市場で戦ってる企業はグローバル競争にさらされて、一番役に立つ1社だけが残ってほかが全部負ける、っていう世界がやってきます。
日本の企業の多くが「役に立つけど意味がない」市場で戦ってるっていうことは、遅かれ早かれそのグローバル競争の中に巻き込まれていって、多くの企業は勝者として生き残るか、そこから敗退するかっていう、「グローバル役に立つ競争のハルマゲドン」を迎えてですね。あとは最後の1社が生き残るだけ、っていうことになります。
日本の家電業界が凋落していった理由
すでにその兆候は見えていて、例えば日本のお家芸である家電産業っていうのは、20年前までは就職すると親が喜ぶ会社の代表だったわけですね。「三洋電機に内定もらったの? よかったわね、一生安泰だわあなたは!」とかって、みんなで打ち上げやりましょうってお母さんが喜んでくれたわけです。それがどんどん業績悪くなってますよね。三洋電機は事実上なくなりました。シャープももう事実上潰れました。20年前だったら就職の勝ち組だって言われた会社が、です。
なんでそういうことが起こってるのかっていうと、日本の家電産業のほとんどは「役に立つけど意味がない」というところで戦っているから。市場が閉じた状態であれば各国別に10社ぐらいは生き残れたかもわからないですけども、これがグローバル競争になっていくと、世界で一番役に立つ会社の10社しか生き残れない。
つまり、日本のペナントレースからグローバルのワールドシリーズに戦いが変わることで、日本では10社生き残れたかもわからないけども、グローバル競争になると各国別に2社しか生き残れませんってなると、じゃあ5位から10位の会社は市場から退場してください、3位から5位の会社は市場から退場してください……っていうのが徐々に起こる話になってきていて。
その過程の中で市場からこぼれ落ちていったのが三洋でありシャープだと考えれば、非常にわかりやすいと思います。
この「意味がある」っていう方向に市場をずらしていくのが、大きな組織にとってのテーマになります。
一部省略したが、殆ど全文を引用した。
例えが分かりやすくて、省く箇所が殆どなかった。
このGAFAの中でAppleだけが「役に立って」「意味がある」世界で戦っているという分析、面白い。ハードとソフトという点でもAppleだけがハードの世界で戦い続け、ソフトの世界でも革新的なサービスを展開している。
それはituneを基軸にしたMacユーザーに対する顧客満足度を上げるサービスだ。
全てはハードを購入したユーザーの為のソフトツールといえる。
そして、ハードの世界で「意味のある」価値を生み出すのは、デザイン力に他ならない。
因みにGAFAの共通点はというと、グローバル戦略と新規性(先駆者)だろうか。
俺が今開発しているプロダクトは「役に立つ」家電というハードの世界なので、すぐにコモディティ化されてしまう競争社会で生き残りをかけて勝負しなければならない。
その上で必要なのは「意味のある」商品にする為のデザイン力とブランディングなのだと理解できた。グローバル戦略と新規性はあるはず。
ベンチャー企業がメーカーを立ち上げて、商品開発し、販売する。
そんな誰もが無謀だと思う様な夢を追いかけて走っていられるのは偉大な先人のおかげかもしれない。
尊敬するスティーブ・ジョブズは、自身がプログラマーでもなければデザイナーでもなかった。もう1人の天才プログラマー、スティーブ・ウォズニアックが開発した技術を見出した先見性とあらゆる技術を組み合わせる嗅覚と才能を持ち合わせていたのだと思う。
正気の沙汰じゃ大きな夢は追いかけられないのかもしれない。
〜悠々自適に生きる〜
大事な事は自分で決めろ
こんな事は当たり前だと思うかもしれない。
だが、追い込まれている時や決定事項が重大であればある程、自分の判断かつ自己責任で決断する事は容易ではない。
先日こんな記事を読んだ。
集団思考の罠:他人の意見に振り回されないための「5つの問い」
集団思考の罠:他人の意見に振り回されないための「5つの問い」
重大な決断をする前に、他人の意見を求めるのは理にかなっている。私たちはそうすることを奨励されてもいる。しかも、そうしたアプローチが功を奏することもある。
ただし、非常に重大な決断をする必要がある場合はこれに当てはまらない。それこそ、集団的意思決定が逆効果になってしまう場合だ。というのも、集団思考はたいてい中道の意見で落ち着くからだ。
集団思考は尖ったアイデアを丸くしたり、超少数意見を排除したりする。その結果、アドバイスやフィードバック、そしてとくに議論を深めるために意図的に出された(善意の)反対意見までもが、無難で凡庸な結論に落ち着いてしまう。
加えて、集団的意思決定はあなたに逃げ道を与える。その結論の責任を負うのはグループ全員であるから、うまくいかなかったとしても自分のせいではない、と言い訳ができるのだ。
一方、自分で決断した場合は、すべてが自分の肩にかかってくる。あたなのビジョン、情熱、モチベーション、責任感、すべてだ。
だから、あなたは他人が間違っていると証明するためにも、全力を尽くすだろう。自分が正しいと証明するためにも、あらゆる障害を必死で乗り越えていくだろう。成功を収めるために、どんなことでもするはずだ。
これでわかるだろう。あなたが自分の人生で何かを変えたいと思ったとき、本当に必要なのは自分の意見だけなのである。
全くその通りだと思う。
これは社内会議の様な集団的意思だけでなく、客観的な他人の意見も当てはまると思う。
他人が自分の事を心配して、良かれと思ってしてくれたアドバイスだとしても、結果的にそれが自分の為になるとは限らない。
他人から見て馬鹿げた事や、無理な事だとしても自分がやりたい事(夢)なら決断してやるべきだ。だが、実行するのは言う程簡単な事ではない。
最初は失敗するつもりで始めるのが良い。
やった事がない事に挑戦するということがいかに重要で困難な事かということは、当事者にしかわからないだろう。できる、できないではなく、やるか、やらないか。
だが、自分で決めた事は自分の責任で、他人のせいにはできない。言い訳はできない。
だから頑張れるのだ。
誰だって失敗なんてしたくない。
だが、失敗したくなくて、できる事しかやらなくなると成長は止まるのではなかろうか。
やりたい事に挑戦し失敗しても、諦めなければ経験が増えるだけだ。
失敗した事のない人ほど怖いものはない気がする。リカバリーの経験や対応力は失敗した経験から得るものだからだ。
だからこそ悔いのない方を選べ。
34才にして父親から勘当(絶縁)された理由 - 悠々日記〜7人家族その日暮らし〜
本当に色んな人が色んな事を言ってくる。何が正しい答えかなんて誰にも分からないから、自分が後悔しない選択を選ぶしかない。
成功への道⑨〜理想の人生を生きる為に〜
ストレスから来る原因不明の体調不良で自分の身体が思う様に動かなくなった俺は自宅のベッドの上で天井を呆然と見つめていた。
ここで言う「成功」というのは単に世間一般でいう「大金持ち」になる事ではない。「自分の理想の人生を生きる」ことを一言で「成功」と位置付けた。そして勿論、自分自身「成功」している訳でも「大金持ち」な訳でもない。今まで歩んで来た道、これから進む目指すべき「成功」への道を自分の為に記録する事にしただけだ。そんなベンチャー社長の物語シリーズである。
物語シリーズ①はこちら
成功への道①成功への道①〜理想の人生を生きる為に〜 - 悠々日記〜7人家族その日暮らし〜
前回の物語シリーズはこちら
成功への道⑧
夏のイルミの施工は何とか仲間のお陰で完了する事ができたが、数日経っても体調に改善の兆しは見えない。
普段は食って寝れば大抵治ると思っていて、病院には全く行かないのだが、周りに心配され過ぎて流石に行く事にした。
1ヶ月で体重が激減したのだ。
動けないし、食欲ないから食べれなくて、あっという間に痩せ細っていった。
ちょっと太り気味だったから丁度良いやぐらいにしか考えてなかったのだが、身体が動かないのはまずい。仕事にならん。
父親に紹介して貰った病院から更に大学病院の皮膚科を紹介して貰った。
免疫機能が低下して持病のアトピーが悪化して、皮膚のバリア機能が低下して体温が下がってると診断を受けた。
出された薬はただの塗り薬のステロイドだ。
いやいや、そんな訳ないでしょ?
只のアトピーならこんな苦労してないよ。
アトピーは幼少の頃から付き合ってきたし、脱ステロイドもして大人になってからは殆ど治ってたんだから。
根本的な原因が知りたいんですけど?
と聞いても医者は答えてくれない。
だから西洋医学は駄目なんだわ。
対処療法しか知らないし、マニュアル通りの薬を処方するだけ。
当然ステロイドなんか使っても良くなる訳がない。
結局2ヶ月で体重は15㎏落ちた。
外見はどう見ても病人にしか見えない。
回復の兆しが全く見えなかった。
自分が何の病気にかかってしまったのか。
それが分かったのは思いがけないタイミングだった。
お義母さんの癌治療に効きそうな代替療法を行なっているクリニックを探して連れて行った時に、そこの先生から
あなたも明らかに病人だから一緒に血液検査しなさい。
と言われ、是非お願いしますという事で一緒に検査してもらう事にしたのだ。
そのクリニックがココ↓
青山ブルークリニック
血液検査と言っても日本の医療機関ではできない項目まで細分化された結果が出てくる。
採取した血液をフローズン化して海外の専用ラボに送っているのだから凄い。
お陰で当時の俺は殆ど全ての食品にアレルギー反応が出ていた事が判明した。
気になっていた病名は、
リーキーガット症候群
聞いた事もないし、何の病気かも良く分からないが、簡単に言うと小腸に穴が空いて、本来吸収すべき栄養が外に漏れ出してアレルギー反応を起こしているとな。所謂、免疫不全の病気。
なので、魚介、小麦、イースト菌、穀物類、炭水化物も駄目だと検査で判明した。
「食べれる物がないんですけど?」
って聞いたら、
「ん〜まあ、野菜だね。」って。
兎に角、アレルギーが出る食べ物は極力除去してサプリを飲んでください、と言われた。だがそもそも小腸の穴が塞がらないとサプリ飲んでも栄養吸収できないから、先ずは食事療法で腸内環境を整えなくてはいけないらしい。
リーキーガットを詳しく説明してるサイトがあった↓(当時はまだこのサイトはなかったと思う)
ようやく自分の病気が判明し、食事療法とサプリで俺の身体も良くなる筈。
と思ったが、そんな簡単には治らなかった。
妻も協力してくれて、スムージーや野菜中心の献立にしてくれたが、一向に回復の兆しが見えない。
サプリは効いてなさそうだし、血便まで出始めた。アトピーはドンドン悪化して、皮膚はボロボロ。1日3回風呂に入って身体を温めて、ベッドやソファーで横になるしかなかった。
ほぼ寝たきり。
いよいよヤバイな。
俺、下手したらこのままくたばっちまうんじゃねぇか?
そんな風に思えて、不安で仕方なくて涙が出てきた。
子供を連れて出掛けしようとしても身体が言う事を聞かず、一人で留守番、なんて事も何度かあった。
悔しくて、情けなくて、涙が止まらなかった。
俺の身体はどうすれば治るんだろうか。
できるだけ負担をかけない食事を心掛けても、サプリを飲んでも、寝ても覚めても治らない。
ある日、妻がリーキーガットにはGAPSダイエットが良いみたいだと調べて教えてくれた。
ダイエット⁉️
こんなに痩せ細ってるのにダイエットなんか必要ないでしょ。
でも良く聞いたらダイエットというより食事法らしい。
今調べるとGAPSについても色々サイトがある。5年前はほぼ無かった。
あったのはこの本だけ↓
妻はFBで調べて、実際に10年程前にリーキーガットらしい症状(当時は日本ではリーキーガット症候群という言葉すらなかったらしい)で、数年間日本の病院をたらい回しにされて、海外まで行って治療を受けた方とコンタクトを取ってGAPS食事療法を教えて貰ったそうだ。
このサイトが詳しく解説してます↓
食物アレルギーや不耐症がある人は、保護膜である腸の上皮を修復し、腸表面全体がしっかりと覆われる状態にしなければなりません。そのために導入食事療法の実践が必要です。アレルギーや食物不耐症は、異常な腸内細菌叢によって腸上皮が損傷している「リーキー・ガット(腸管浸漏)」という状態が原因となって起こります。この状態では、食物が十分に消化されないまま損傷した腸壁を通って吸収され、それを攻撃するための免疫システムを作動させます。アレルギーの場合、どの食物に反応するのかを特定するため、検査をするのが一般的ですが、腸壁が損傷していると、ほぼ全ての食物が不完全消化のまま吸収される可能性が高くなります。それに対するアレルギー反応はすぐに現れることもあれば、遅れて(1日後、2〜3日後、または数週間後)現れる場合もあります。様々な食物に対する反応が重複すると、その日に出た反応が何に対する物なのか、特定することは不可能です。また、皆さんご存知の通り食物アレルギー検査自体が信頼できない物です。ですから、例えば2週間にわたり、毎日2回ずつ検査することが可能な場合、食べた物全てに対して「アレルギー有り」の結果が出てしまうでしょう。腸壁の損傷状態が続く限り、あらゆる食べ物を排除しても問題を取り繕うに過ぎず、良い方向には向かいません。私の臨床経験から言うと、最良の治療法は導入食事療法で集中的に腸壁を修復することです。一旦腸壁を修復すれば、食物が完全に消化されてから吸収されるようになり、大半の食物不耐症とアレルギーが解消します。
全くこの通り。
食べ物を除去するだけでは改善しなかった。
ガチの臨床では2年ぐらいかけてフルGAPSをするみたいだけど、導入食事療法を調べると、除去食とメインはボーンブロス(鶏ガラスープ)らしいので早速試してみた。
既にある程度は除去していたし、前にファスティングも試していたので、ボーンブロスのみの生活も苦もなく始められた。
上質な鶏ガラスープは黄金色に輝き、何より最高に美味しかった!
GAPS食事療法はボーンブロスのコラーゲンが壊れた腸壁を治してくれるそうだ。
効果は1週間程で現れた。
血便が止まり、身体の調子が良くなっているのが実感できた。
いきなり劇的に回復する訳ではないが、徐々に改善の兆しが見えてきただけでも救われる思いがした。
希望が持てるだけで前向きになれるのだ。
闘病してる人はもっと大変な思いをしてるんだろう、健康である事を噛み締めなければいけないと思った。
今はまだ健康ではないのだが。
4人目が産まれるまでには身体を治すと意気込んでいたが、結局倒れてから数ヶ月が過ぎても全快までには至らず、出産を迎えた。
俺は4人の父親なのだ。
一刻も早く身体を治して仕事をしなければならない。
ベッドで天井を睨みながら身体を治す事に専念する事を心に決めた。
〜悠々自適に生きる〜